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黄昏のG   作者: 裏山おもて
3章 失われるもの
28/73

 

 この都市から出ていくなんて考えたこともなかった。

 生まれてから死ぬまでずっと、要塞都市エヴァノートの都市旗の下で生きていくと思っていた。この地に根を張るように、ここから動かないものだと思っていた。


「さあ、行きますよユウト」

「……うん」


 鞄を背負って、家を出る。

 街は慌ただしかった。


 鎧獣掃討作戦を明日に備えて、すでに市民の避難が始まっていた。


 市民たちは、調査兵の指示に従って少しずつ貴族街へ移動していた。ぞろぞろと混雑した列が街の中心部へと続いている。それぞれ荷物を抱えた住民たちの顔には、不安の色が浮かんでいた。

 防衛拠点も完成しつつあった。ふだんは壁の上なんて監視兵と巡査兵くらいしか見当たらないのに、いまでは大勢いる様子が壁の下からでも見て取れる。

 昨日、ユウトも機動隊の新兵として作業を手伝った。氷の平原のむこうからゆっくりと近づいてくる巨大な鎧獣の姿に緊張して堅くなる雰囲気のなか、メオがわざとらしく組立作業をサボって周りに注意される、なんて和んた空気をつくっていた。

 あそこは大丈夫だろう。ミンファとメリダもいるけど、メオなら心配ない。


「名残惜しいですね」

「うん」


 十六年。

 この灰色の壁に囲まれて育ってきた。


「私も長かったです。本当に長かった」


 シンクも感慨に耽っているようだった。


「何年くらいこの都市にいたんだ?」

「この都市に初めて訪れたのは、二百年ほど前です。まだ都市は小さくて内壁しかなかった時代ですよ。政治もほとんど機能していませんでした」


 それがどれほど昔のことなのか数字でしか想像できない。

 幼いころから幸福だったとはいえないユウトは、この生まれ育った都市への思い入れはそこまでない。それでもここを離れるのはつらいのだ。シンクの心の(うち)を測ることなんてできないだろう。


「……行きましょう」


 ユウトとシンクは、外壁に背を向けて歩き出した。

 避難する市民に混ざって都市の中央へと向かう。とはいえ貴族街に入るわけにはいかない。途中で道を逸れて、路地裏を進んだ。

 都市の東には鎧獣の群れがたむろしている。少しずつ近づいていくる『複巣母体』が、都市の外壁を壊したらすぐに乗り込めるように待っているのだ。腹を空かせ涎を垂らして、いまかいまかと待ちながら。

 ユウトたちが出るのはその逆側、西だ。


 数日かけてまっすぐ西に進んでいくと、そこには別の要塞都市があるらしい。暖域の規模はこの都市ほどは大きくないらしいが、資源が豊富な土地に根付いた堅牢な要塞都市というのがシンクの情報だった。

 まずはそこを目指す。

 東街から北街を抜けて、西門から出る。


「ところでユウト、それなんですか?」


 シンクが指さしたのは、ユウトの外套につけられたネコの刺繍だった。

 もちろん機動隊の外套ではない。この都市から逃げるようにして出ていくいま、さすが機動隊の外套を着るわけにはいかない。

 ユウトが昔から着ていた外套の端に、ネコの刺繍が小さく縫い付けられていた。


「ああ、これ? 昨日、ミンファがくれたんだ」


 離れても忘れないように、と言ってつけてくれたのだ。


「そうですか……随分、仲良くなったみたいですね」

「そうかな。そうだといいけど」

「嬉しそうですね」

「もちろん。初めてできたともだちなんだ。大事にしたいじゃないか」


 刺繍を指でなぞる。さらりと指先の感触が心地いい。

 丁寧に、綺麗に縫われていた。

 そんなユウトを見てシンクが小さくため息をついた。


「……鈍感ですね」

「え? なにが?」

「なんでもありません。それより、そろそろ北街の大通りに出ますよ。人の流れに沿って自然に横切りましょ――」


 と、シンクが前方を眺めたときだった。

 遠くから、鐘の音が聞こえてきた。

 外壁の警鐘だ。とっさに足を止める。

 北街の外壁は目視できるが、揺れていない。

 どこだ――と耳をそばだてると、聞こえてきたのはいま来た方角……東街のほうだった。


「樹氷かな」

「どうでしょう」


 シンクが膝を曲げて跳ぶ。近くの家の屋根に登った。

 ユウトも魂威変質を使い、同じように屋根の上に着地する。

 やはり東の鐘が大きく揺れていた。気のせいか、いつもより激しい鳴らし方だった。

 だが不自然だったのは、上空を見ても粒子の煌めきが起こっていないことだった。樹氷が剥がれ落ちる前に見せるあの前兆が、まったく見えない。


「……なぜ……?」


 シンクが訝しげに眉をひそめた、次の瞬間。

 外壁の向こう側の空に、大きく弧を描いてこちらに迫ってくる影が現れた。

 丸い形をした茶色い影。それがいくつも連続して、東の空から要塞都市へと迫ってきている。

 とっさに魂威変質で視力を上昇させ――絶句する。


「鎧獣!?」



 体を丸めた小型の鎧獣だった。

 それらがいくつも飛来していた。まるで何かに放り投げられたかのように、猛烈な速度で都市に向かってきていた。

 最初のひとつは壁を超える直前、弾けるように消えた。メオが防いだのだろう。だが高さも場所もバラバラに飛来する鎧獣の弾丸をすべて防ぐことはできない。

 息を飲む間もなく、体を丸めた鎧獣が壁を越えて街へ落下し始めた。


「そんな、まさか……」


 振動が響く。

 落下の衝撃で家は破壊され、飛び散っていく。鎧獣たちは体を戻して、すぐさま街の中を跋扈し始めた。

 間髪入れずに悲鳴がいくつも聞こえてきた。まだ避難をし始めたばかりの状況だ。鐘の音に混ざって遠く離れた北街まで届くほどの人々の叫喚が、東街で渦を巻き始める。

 武器も持たない市民たちに、鎧獣に抵抗する術はない。


 ……想定していない、最悪の事態だった。

 なぜ鎧獣が空から飛来するのかは、ここからじゃ見えない。だが確実なのは、まだ機動隊は戦闘態勢に入っていないことだ。彼らは明日に備えて休んでいるのだろう。

 街の人を守らないと。

 ユウトはとっさに駆けだそうとした。

 その腕を、掴まれる。


「ダメですユウト」

「でも……」

「ダメです。こうなることを覚悟の上、私たちはこの都市から離れると決めたのです。私たちにも一刻の猶予はありません」


 眼差しは鋭かった。必要以上に腕に力を込めるシンク。かすかにその手が震えているのに気づくと、なにも言えなかった。

 動けなかった。


「……行きましょう。通りは危険ですから屋根伝いに」


 手を繋がれて、連れていかれる。

 背後から聞こえてくる破壊の音と振動。そして悲痛な叫び。

 ユウトは拳を握りしめた。


 ……なんのために。


 なんのためにこの街を去るのだろう。世界樹を破壊するためか、世界を守るためか。

 世界とはなんだ。

 初めて世界を守れと聞かされたときから、漠然としたその言葉に心が奮い立つことはなかった。そんなことを言われても、まるで実感がなかった。


 世界とはなんだ。

 何匹も、何十匹も空から飛来する鎧獣。こうして遠ざかっていくうちにも蹂躙されていく街。命を落としていく人々。女や子供も関係なく鎧獣のエサになってしまう。


 なんのためにこの義手を使うのだ。

 ただ世界樹を破壊するためだろうか。助けられるかもしれない命を見捨てて、世界のためにとまっすぐ進み続けていくのだろうか。もしうまく世界樹を破壊できたとしても、振り返ったときに誰も残っていなかったら、その行為にどんな意味があるのだろう。


「……ちがう」


 そんなことがしたいわけじゃない。

 ユウトはただ、大事な人を守れればよかった。

 妹は死んだ。いままでどんなに辛いときでも彼女のことを考えて生きていた。その彼女が死んだ世界に守る意味はあるのかと、この数日間、何度も自問した。

 ユウトは、自分の外套に触れる。

 ネコの刺繍に触れる。


「……ちがう。僕は……」


 妹しか見えてなかった。

 一番大事な人は、もういない。

 でもユウトの守りたい人は妹だけじゃなかった。

 母親代わりのステラもいる。育ててくれたジルもいる。友達になってくれたミンファとメリダもいる。


 ユウトだけじゃない。みんなが育った街がここなんだ。

 ここで生きているんだ。

 それを、見落とすところだった。


「ユウト!?」


 シンクの手を振り払って駆けだした。

 魂威変質を使って屋根の上を飛ぶように進む。あちこちで鎧獣が暴れている。機動隊員が駆けつけて戦っているところもある。ただ人々が鎧獣から逃げ惑っている場所もあるだろう。

 自分が救いたいのは、まだこの小さな世界だけだ。

 視線を左右に走らせる。


「――きゃあああ!」


 近くから叫び声。

 とっさに方向転換をして、声のもとに駆け付けた。

 狭い路地で、小型の鎧獣が若い親子を追いつめていた。まだ幼い娘を抱きかかえた母親は、涙で顔を濡らしながら恐怖に座り込んでしまっていた。


「やめろ!」


 ユウトは地を蹴る。

 親子に跳びかかろうとする鎧獣を、黑腕で横から殴りつけた。

 硬い感触。重い手ごたえ。


 魂威変質はうまくいったようだった。鎧獣は近くの家に激突して、家が崩れ去る。

 誰かの居場所を壊してしまった。

 あとで謝らないとなと思いつつ、鎧獣と親子の間に立つ。


「そこを動かないでください」


 後ろに語りかける。

 母親は娘をぎゅっと抱きかかえてうなずいた。ユウトの視線は鎧獣に注がれたままだ。あの分厚くて硬い外殻に覆われた体に、いまのでダメージを与えたとは思わない。

 案の定、鎧獣はゆっくりと身を立て直してこっちを睨んだ。

 獲物を見定めたのか、低く唸った。


 ……集中しろ。

 目と、足と、腕に力の流れを集める。大事なのは動きだ。

 相手の動きを理解し、対応し、利用する。

 メオがやっていたようにやるんだ。


「さあ、来いよ鎧獣」


 ユウトが黑腕を構えた刹那、鎧獣が飛びかかってきた。その強靭な顎でユウトを喰おうとして迫ってくる。

 予想通りの動き。

 最短距離で、最強の武器を使って相手を仕留める。それは狩りには一番適した動きだ。

 だが、それゆえ読めていた。


 ユウトは真上に跳びあがってそれを避ける。ただ避けるだけの動きじゃない。自分の真下を通過しようとする鎧獣に、体を捻って腕を向けた。

 黑腕の腕先が鎧獣をとらえる。

 いまだ。


「【バースト・ギア】!」


 真下に向けて、黑腕の力を解放した。

 放たれた烈風は鎧獣の外殻を砕き、地面に叩きつける。石畳の地面が剥がれ大きく陥没し、その猛烈な力で鎧獣を圧迫する。

 血も臓物もまき散らすことができず、鎧獣はひしゃげて潰された。


「よっと」


 このままだと周りも巻き込みかねない。力の解放を途中で止めて、潰れた鎧獣のとなりに着地した。

 鎧獣の目を見下ろす。光のなくなったその目は、確実に死んでいた。

 ユウトは大きく息を吐き出す。


 うまくできた。

 とはいえそう安心してる暇もない。すぐに、親子に声をかける。


「北街のほうから貴族街に向かってください。あっちはまだ鎧獣が来てません」

「は、はい」


 母親は慌てて立ち上がり走っていく。

 その手に抱かれた娘が、母親の肩越しに手を振ってきた。


「おにいちゃんありがとう!」


 その笑顔のまま、通りから去って行った。


「……よし」

「よし、じゃないです」


 シンクがすぐ後ろに立っていた。

 不機嫌そうな顔をしている。


「まったく、ユウトは物わかりが悪いです。あなたが危険を冒す意味を、もう少し真摯に考えて欲しいものです」

「ごめん……」

「でも、少し嬉しいです」


 シンクは表情を崩した。

 呆れるような笑みだった。


「ユウトにも自分を犠牲にしてまで何かを守りたい気持ちがあることが、私は嬉しいです。ですからどうしてもこの街を守りたいなら、一緒に守りましょう」

「……いいのか?」

「本当は止めたいですけどね。でも、私はユウトのために造られたアンドロイド。生まれたときから身も心もあなたに捧げてしまってます。あなたが心から望むとき、心から望む場所で、心から望む行動をすることこそが私の存在意義なのです。ですからもし危険が迫ったときは私があなたを守ります。できる限り」


 微笑んだシンクは、すぐに視線を街に走らせる。

 ゆっくりしている時間はない。


「少しでも被害を抑えましょう」

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