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「誰一人としてこの場所から去ることなく、その命に剣を抱き盾となることを選んでくれた。僕はこの部隊の隊長として、君たちを誇りに思うよ」
メオがぐるりと詰所内を見渡して微笑んだ。
夕日が沈んだ宵の口。
静寂に包まれた街を窓の外に眺めたメオは、壁に貼っている地図を手のひらで叩いた。
「――作戦決行は三日後の早朝。よって明後日の朝より、都市民の避難を行う。外壁を破られることを想定し、中央調査隊が内壁の内側――貴族街へと全市民を誘導することになっている。我々機動隊は明日朝より外壁上を拠点とし、防衛線を築く。防衛線展開の主導は治安巡査班と医療班でおこなってもらうつもりだ。討伐班と英雄十傑、それに僕が選んだ数十名の治安巡査班の者は掃討作戦本隊に所属してもらう。掃討作戦本隊は、明後日の夜から行動を開始することになっている。……ここまでで、何か質問はあるかい?」
「掃討作戦の内容は?」
手を上げたのは、屈強そうな体つきの兵士。
おもに鎧獣退治を受け持つ、討伐班のひとりだった。
「簡単にいうと奇襲作戦だよ。第一陣が夜明けと同時に『複巣母体』を叩く。あのデカさじゃ相当な消耗戦になるだろうからね、第二陣が鎧獣の群れと戦いながら、第一陣の退路確保と本陣である第三陣の進路を切り開く。つまり第二陣の者には都市から『複巣母体』までの直線距離を、文字通り体を張って開けてもらうつもりだ」
「俺たちの詳しい所属は?」
「すでに決めているのは英雄十傑の配置だけだよ。明日の本会議ですべての者の配置を決定する。明日の夕刻、みんなに報告するよ」
メオは地図の端――都市の外側に書いてあるひときわ大きな丸印に指先を添える。
「奇襲作戦を担う第一陣の指揮を執るのは、西部隊隊長ゴート=レイト。彼の魔法は空を走れるからね。夜のうちに鎧獣の群れの頭上を越すことができる」
次にメオの指は、丸印から都市に一本の直線を引く。
「道を確保する第二陣の指揮を執るのは北部隊隊長グレゴリア=レグザ。知っての通り、彼は疲れを知らない怪人だ。三日三晩でも戦いつづけられる」
次に指さしたのは、直線の周りを囲む丸印。
「攻撃の本隊である第三陣の指揮を執るのは、本部隊副隊長のひとりフレアナ=フレイン。彼女の魔法の威力は英雄十傑随一だ。文句なしの適任だろう」
次は外壁を指し示す。
「外壁の防衛線の指揮を執るのは僕、メオ=シノメ。まあ君たちは知ってのとおり、僕の魔法は攻めより守りに向いてるからね」
最後の指がなぞったのは、都市の内側。
「そして内壁で最終防衛線を指揮するのは、都市機動隊本隊長メイジェン。彼女が敵わない相手だとすればこの都市の誰も敵わない。彼女の倒れたときが、この都市の終焉だ」
無論、そこまで鎧獣たちの侵攻を許すわけにはいかない。
それは機動隊員たちの誰もが思ったことだった。
メイジェンの出番が来るということは、庶民街が獣たちに蹂躙されるということだ。
ここにいるすべての者が住んでいる街を踏みにじられるということ。
「それぞれの所属は、明日の夕刻にまた言い渡す。それまで日常を過ごしてくれ」
『ハッ!』
メオの言葉に、隊員たちの敬礼が揃う。
窓の外から吹き付ける風が、少し強くなり始めていた。
❆ ❆ ❆ ❆ ❆ ❆
その日は図らずも飲み会となった。
メオが出て行った後、誰も帰ろうとしなかった。恐怖を誤魔化そうとする者、己を奮い立たせようとする者、最後になるかもしれない酒宴を楽しむ者。
それぞれが酒を持ちより、盛大な宴になっていた。
そんななか、部屋の隅でちびちびと酒を飲むのはユウトだった。
騒ぎ立てる気分でも、酒が強いわけでもない。
目立たないように静かに座って眺めていた。
「ユウトくん……隣、いい?」
遠慮がちに近づいてきたのは、ミンファだった。
「あ、うん……いいよ」
ユウトの声が少し裏返る。
朝のことがあったせいでかなり気まずかった。誰かの胸で泣いたのは初めてだったし、それが同じ歳の女の子だっていうことも恥ずかしかった。うまく目を合わせられなくて、手にした酒を一気に煽る。
「そんなに飲んだら、また酔っぱらっちゃうよ」
くすりと笑ったミンファ。
なんて言えばいいのかわからない。ただなぜか、謝ったほうがいいような気がした。
「……今朝はごめん」
「ううん。わたしのほうこそ、無理やり話させてごめんね。わたし、嫌な女じゃなかったかな?」
「それはない。けど……」
「けど?」
「自分がちょっとだけ嫌になったよ」
弱音を吐く自分も、涙を受け入れてもらった自分も、それに安心してしまった自分も。
妹が死んだ原因はユウトなのに。
それなのに、ミンファに話して少し楽になってしまった自分がいた。
「……わたしのせいかな?」
ミンファは眉尻を下げる。
違う。
そんな泣きそうな顔をさせたいわけじゃない。
「そんなわけないだろ。ミンファは優しいな」
「わたし、優しくなんかないよ……」
「優しいよ。男が苦手なはずなのにさ、僕のためにこうして話してくれてる。僕のことを心配してくれる。それで優しくなけりゃあ、この世界に優しさなんてどこにもないよ」
「ちがう。ちがうの、わたしは……ずるいだけ……」
ミンファは首を振る。
彼女の言葉の意味は、ユウトにはわからなかった。たぶん聞いても答えてくれないだろうことはなんとなくわかったから、それ以上は何も言わなかった。
どちらも黙り込んでしまう。
沈黙が流れる。
「あ、あの……ユウトくん」
「どうしたの?」
「ユウトくんも、鎧獣と戦うのかな? まだ新兵だから後方支援になるのかな。そうだといいな……わたし、ユウトくんに戦いなんて、向いてないと思うから。わたしが言えたことじゃないかもだけど」
えへへ、とはにかんで笑うミンファ。
ユウトは胸が痛んだ。
言うべきじゃないのかもしれない。シンクとふたりでこの都市を去って逃げ出すなんて、みんなを見捨てるなんて言うべきじゃない。
それくらいわかっていた。正直に言うことに、メリットなんてなかった。
でも。
「……僕は、いないんだ」
ユウトは我慢できなかった。
心配してくれるミンファを騙すようなことはできなかった。嘘を吐くなんてできなかった。黙っていることすらできなかった。
「ごめん。僕は明後日、この都市から逃げるんだ。世界のためなんて言い訳して、この街を見捨てて逃げるんだ。みんなが命懸けで戦うのに……ごめん。ごめん」
目を逸らす。
自分だけ逃げるなんて最低だ。それくらいユウト自身にもわかってる。
嫌われても仕方なかった。何を言われても仕方なかった。
忌諱され、非難され、嫌悪され、罵倒されるべきだ。
友達になったはずの相手に失望されることになる。
それをわかっていても、なぜか嘘はつけなかった。
嘘を、つきたくなかった。
そんな青ざめたユウトの耳に聞こえたのは、ミンファの小さな吐息。
「そっか。よかった」
「え?」
笑っていた。
失望することもなく、嫌悪することもない。
ミンファはユウトを見て微笑んでいた。
「ユウトくんが戦わなくていいならよかった。ユウトくんってば、なんか危なっかしいから」
「……怒らないの?」
自分だけ逃げるのに。
みんなを見捨てるのに。
「なんで怒るの? ユウトくん、怒られるようなことしたの?」
「だって……ミンファのことだって置いて逃げるんだよ」
「あの、えっとごめんね……ユウトくんってバカなんだね」
ミンファはくすりと息を漏らした。
面白いものを見たように笑う。
「ユウトくんの顔見てればわたしにもわかるよ。怖くて逃げるんじゃないんだって。逃げないとダメなんでしょ? ユウトくん、特別だもんね」
「それは、あの」
「死ぬわけにはいかないんでしょ? それくらわたしにもわかるよ。だってユウトくんの外套は、緑色なんだもん」
ミンファが指さしたのは、ユウトの膝に折り畳まれた外套。
深緑色の外套だった。
「緑って、それだけで?」
「緑は繁栄の色。その色を背負うユウトくんは、きっとこれからずっと、この氷の世界と戦っていくんだよね? だからこの都市で死ぬわけにはいかないんだよね? それなら逃げるんじゃないよ。前に進むって言うんだよ」
恥ずかしそうに言葉にするミンファ。いつもはこんなこと言わないに違いない。
それでも迷わずに、ユウトの背中を押してくれる。
「だからユウトくんが気に病む必要、ないんだよ」
「ミンファ……」
ユウトとミンファは、じっと見つめ合う。
また涙腺がゆるくなってきた――
「おいおいおまえら! ラブコメか~?」
いきなりふたりの間に割り込んできたのは、顔を真っ赤にしたメリダだった。
両手に酒瓶を抱えてケタケタと笑っている。
「うわっ! メリダ酒くさ!」
「ちょっとメリダ、飲みすぎだよ」
「わははははは! ユウトも飲め飲め~!」
酒をまき散らす笑い上戸のメリダに、ユウトとミンファは吹きだした。
「ほら飲めよユウト~ミンファにカッコいいところみせろよ~」
「うわっ」
ベロベロに酔ったメリダに茶化されて、少し毒気が抜かれた。
……けど、たまにはこんな夜もあっていいのかもしれない。
ユウトは酒瓶を口に突っ込まれながら、そう思った。




