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黄昏のG   作者: 裏山おもて
3章 失われるもの
26/73

 


 夜風が吹いた。


 陽が沈み、静寂が街に寄り添っていた。

 笛のような風の唸り声がユウトとシンクの間に流れ込んでくる。


「……逃げる?」

「はい。ユウトと私は、『複巣母体』と戦う前にこの都市を出て行く予定です」


 冗談を言ってるような雰囲気じゃない。

 シンクは真剣だった。


「ユウトは唯一の『黑腕』適合者です。世界樹を壊すことのできる武器を持った稀有な存在です。いまはまだその力はありませんが、いずれユウトの力はこの世界の命運を左右するでしょう。こんなところで死んでいい人じゃありません」

「でも、それは……」


 見捨てる、ということだ。

 もし『複巣母体』を撃退できなければ、この要塞都市エヴァノートは滅ぶ。

 この街の人々もみな死んでしまうだろう。

 それを承知でここから逃げるなんて、できるわけが――


「ユウトは優しいです。でもその優しさが、誰かを見捨てることになる」


 ハッとする。

 むかし父から言われた言葉と同じだった。


「ユウトが生き延びれば、世界は守られる可能性が残ります。もしこの都市が滅びても世界を救うことができれば、もっと多くの人たちを助けることができるんです。後悔しても、自分を責めても、私を恨んでも、何をしても構いません。ここに残ったとしてもいまのユウトでは『複巣母体』との戦いで役には立ちません。ですからどうか、世界のために逃げてください」


 シンクの言葉は切実な熱を帯びていた。

 その真剣な表情に、ユウトはなにも言い返せなかった。

 役に立たない。

 そう言われてしまえば、残る意味すら否定されたような気がした。


「……わかった」


 ユウトは視線を落とす。

 ここに残ってもこの都市の行く末を変えることができないのなら、ただ天に祈るだけだ。祈るだけならこの都市じゃなくてもできる。


「辛い選択をさせてしまって、ごめんなさい」

「いいんだ、もう」


 もう、守りたい人はいなくなってしまったのだから。

 ユウトは重たい足を引きずるようにして帰路についた。

 シンクはそんなユウトの背中を、心配そうにじっと見つめていた。



 ❆ ❆ ❆ ❆ ❆ ❆



「はい、ちゅうもーく」


 気の抜けた声が、詰所内に響いた。

 空が青く澄み始めた朝。いつもと同じように勤務に出た機動隊員たちを待っていたのは張り詰めた空気だった。


 ふだんは各々バラバラに時間を過ごしている詰所では、みなが席に着いて前方を注視していた。

 全員の視線の先にいるのは、この部隊を統括するメオ=シノメ。英雄十傑のなかでも自由奔放を重んじる彼がこうして隊員を集めることは珍しい。

 だがその理由は、すでに隊員たちにも分っていた。

 それゆえ緊張が場を支配していた。


「さて、時間も限られてるからね、単刀直入に言おう。二日前日没から地平線付近に姿を現した超巨大鎧獣――『複巣母体』の件なんだけど、調査の結果、その進路がこの要塞都市エヴァノートに向いていることがわかった」


 静かな室内にメオの声が木霊する。

 顔を青ざめる者、拳を握る者、ごくりと喉を鳴らす者。

 それぞれが嫌な予感を確信に変えた瞬間だった。


「会敵予測時刻は、三日後の正午。つまりあと三日でこの要塞都市は『複巣母体』の巨体に飲みこまれて滅ぶってことだ。……もちろん、我々機動隊が何もしなければの話だけどね」


 メオは手にしていた一枚の紙を、壁に貼り付ける。

 この都市の周辺を含めた地図だった。


「そこで、三日後の日の出直後より鎧獣掃討作戦を決行する。要塞都市の戦力を総出で集めた大きな作戦になる。目標は『複巣母体』の本体だけど、厄介なことにその子どもの群れが数多くいる。よってここにいる多くの者も、戦いに身を投じてもらうつもりだ」


 メオの言葉に、緊張がより強まった。

 鎧獣との戦い。それは本来なら、機動隊のなかでも氷の世界での活動を主目的とした討伐班だけが実行する危険な領分だ。

 英雄十傑ですら、群れに対して有利とは言い切れない。

 メオの瞳は今までにないほど熱を帯びていた。


「新兵諸君や、戦いに力不足とこちらで判断した者は後方支援に回ってもらうつもりだよ。それ以外の諸君にも、もちろん強制はしない。死ぬ確率は決して低くないからね。逃げたければ逃げればいい。今日の夕刻まで時間をあげるから、辞退したい者は剣と外套を置いて出て行くといい」


 目は鋭く、表情は柔らかく微笑むメオ。

 その言葉にほっと息をついた者も少なくなかった。


「……でも、よく考えてみてほしい。僕らが何を護りたいのか。僕らが剣を手にした意味を、その理由を。ここから去って家族や大事な人と過ごすのも悪くないだろう。最期の時になるかもしれない時間を大事にするのもひとつの愛だろう。それを選ぶのも君たちの自由だ。だけど考えてみてほしい。その大事なひとが、自分が、どこで生まれてどこで育ってきたのかを。この要塞都市がいま、この大地に生きている意味を」


 メオは窓の外を見る。

 空を覆い尽くす氷の天井。そのなかで唯一、人間が生きることを許された世界。

 賑わい始めた街の人たちの声が、風に乗ってここまで届いている。

 活気のあるざわめきだった。


「本日の勤務後、夕刻を過ぎてここに残った者で作戦会議を始める。それでは、解散」


 メオはそう言って詰所から出て行った。






 言葉の少ないまま、ぞろぞろと勤務に向かう機動隊員たち。いつもの明るい隊舎の雰囲気とは違っていた。

 詰所に残ったユウトは、椅子に背を預けたまま動かなかった。

 今日は訓練もない。メオもシンクも本部で戦略会議らしい。

 することもなく、与えられた時間をただ空虚に持て余していた。何かをやる気力もなかった。


 この都市から逃げる。

 そう決めたユウトにもメオの演説は深く刺さった。


 厄介者だと言われて育ち、挙句に父に捨てられた。右腕を失って、生きる気力も目的も消え失せてしまった。シンクやメイジェンが必要としてくれているのは『黑腕』をつけたユウトだ。

 ただのお兄ちゃんだと慕ってくれた妹は、もういない。


 剣を手にした意味は、他の人たちより希薄で中身のないものだった。求められたから応じただけだった。

 かすかにあった理由も失ってしまった。

 それでもなぜ、この都市から逃げ出すと決めたはずの心がこれほど痛むのだろう。

 苦しいのだろう。


「ユウトくん……」


 詰所には、夜警の者たちもまだ戻ってきていない。

 残っていたのは、ユウトとミンファだけだった。

 ミンファがユウトの顔をのぞき込んでいた。メオが話しているあいだもずっと心配そうに見つめられていたことは、ユウトは知らない。


「……なにかあったの?」

「べつになんでもないよ」

「うそ。顔色わるいよ」


 おそるおそる、ユウトの額に手を当てるミンファ。

 熱はないことを確認してから、手をひっこめる。


「大丈夫だよ。ミンファは医務室行かなくていいの? 仕事は?」

「まだ夜勤のひとがいるからいいの。それより、ユウトくんが……」


 ミンファが言いかけた言葉を、ユウトはわざと遮る。


「ああそうだ。『複巣母体』のこと、メリダはもう聞いたのかな。ミンファは医療班だからもちろんだけど、メリダも新兵だろ? なら前線で戦わなくても大丈夫だろうけど、たぶん正義感強いだろうから戦いたいって思うんじゃないかな」

「……ユウトくん」

「ミンファは友達だから心配だろ。メリダの魔法じゃ鎧獣じゃなかなか通用しないから、もし前線に出たいって言っても説得しなきゃな。そのときは僕も協力するよ。喧嘩じゃ負けるかもしれなけど、口喧嘩なら叩き込まれて育ってきたから得意なんだ」

「ユウトくん」

「ミンファも医療班だから、完全に後方ってわけにはいかないのかな。なるべく戦いに巻き込まれて欲しくないな。優しいから、怪我した人を放っておけずに戦地に立つなんてことしそうで心配――」

「ユウトくん!」


 ミンファの叫びが耳に響いた。

 必死に紡いでいた言葉を飲みこむ。

 ようやくミンファと目を合わせた。

 どうしてだろう。

 どうして、ミンファがそんな悲しい顔をしてるのだろう。


「……どうして」

「ユウトくんが、苦しそうだから」


 ミンファは唇を震わせていた。


「なにがあったの? なにがそんなにつらいの? わたし、誰かと話すのあんまり得意じゃないから……ごめんね、わからないの……。でもね、わかるよ。ユウトくんがとっても苦しんでるのわかる。とっても、とっても苦しんでるのが……わかっちゃうの」


 ミンファはユウトの瞳の奥を見つめていた。

 優しいその目は、ユウトの沈んだ心を見据えていた。


「話して楽になるなら、話してほしい……わたし、ユウトくんに助けてもらったのに、そのお礼もしてない……ううん、ちがう。わたしは聞きたいの。ユウトくんとともだちになれたのに……近くなったって思って、ともだちになれたと思ったのに、今日のユウトくんがとっても遠く感じるの。だから、あのね……」

「ともだち……」


 いままで、友達なんていなかった。

 心を開いて話すことも、本気で笑い合うこともなかった。

 心を開いて話してくれたことも、本気で笑ってくれたことも。

 いままで一度もなかった。


「僕と、ともだち……」

「そうだよ。わたし、ユウトくんのことを知りたくて、苦しんでほしくなくて、だから……」


 ミンファはそっとユウトの頭に手を添えた。

 ゆっくりと撫でられる。

 暖かくて優しい手だった。

 昔、妹のレイラに毎日してあげたことを思い出した。レイラは小さくて体温が高くて、撫でるたびにぴょこぴょこ跳ねて喜んでいた。サラサラで綺麗な髪の指触りが好きでいつまで撫でていても飽きなかった。


「……あ……」


 目が潤んだ。

 レイラのいない世界。

 死んだ世界。

 あの髪をもう一度撫でることができなくなってしまった世界。

 遠く感じてしまった世界。


 その世界のなかで、ユウトの髪を優しく撫でる小さな手。

 ユウトの口から、言葉が自然とこぼれ落ちる。


「……妹が、いたんだ」

「うん」

「大好きだったんだ。大事だったんだ。生きる理由、だったんだ」

「うん」

「でも……死んだんだって」

「……うん」


 ユウトの目から涙が溢れてくる。

 とめどない涙が。


「ごめん……ごめん……」

「いいんだよ、ユウトくん……いいの……」


 頭をぎゅっと抱きしめられる。ミンファの胸に沈んで、ぎゅっと。

 鼓動が聞こえた。

 生きている音が。命の音が。ぬくもりの音が。


「うああ、ああ……」


 胸が絞めつけられた。

 ミンファの命を感じる。

 自分の命を感じる。

 ……生きている。

 この都市で、この街で、すぐそばで。


「うああああああ」


 小さな、ほんの小さな世界が欲しかっただけだ。

 たくさんは望まない。

 ほんの小さな幸せがあればよかったんだ。

 それすらずっと前に零れ落ちていて、もう拾えなくて。


「ユウトくん……」


 自分のせいで、一番大切なぬくもりを失って。

 それでも誰かのぬくもりはちゃんと感じられるのだと。

 そのぬくもりにかすかでも安らいでしまうのだと分かってしまった。安らいでしまう自分がいるのだと、気づいてしまった。


 それが、胸を強く絞めつけるのだ。


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