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黄昏のG   作者: 裏山おもて
3章 失われるもの
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「それではユウトぼっちゃん、くれぐれも体には気をつけて」

「うん……ステラもね」


 最後にもう一度抱擁しあってから、ステラと別れた。

 陽はすでに高くのぼっていた。もうすぐ正午だろう。

 随分、ステラに付き合ってもらってしまった。久々に会えて嬉しかったとはいえ、長居したのはそのせいじゃない。ユウトの表情は暗く沈んでしまっていた。

 大通りを避けて裏路地を歩く。足取りは重い。


 ……レイラが死んだ。


 その言葉が、現実味もなくただユウトの胸にのしかかっていた。全身が鈍くなってしまったかのように、どこか感覚がおかしくなってしまった。

 細い路地を歩いていると、路傍に空地を見つけた。これから新し建物を造るのか、整地された土の地面に石材がいくつも積まれてある。

 その石材のそばには子ネコが一匹座っていた。

 黒ネコだった。


「……この前の……」


 パン屋の前で少女に餌をもらっていたネコだった。

 ユウトは石材に腰かけた。その足もとにすり寄ってくる子ネコ。


「エサなんてもってないぞ」


 話しかけても伝わるはずがない。

 それでも離れないので、抱き上げてみた。

 小さくて軽いネコだった。

 そういえば、むかしレイラに黒ネコのぬいぐるみを創ってやったっけ。

 あのときは父さんに怒鳴られたけど、どうせなら、もっと創ってあげていればよかった。


 ユウトはネコを抱きしめて、顔を膝にうずめる。

 目頭が熱くなってきた。

 ユウトがかすかに震えたせいか、腕の中で小さくネコが鳴いた。小さくとも暖かい体温。


「なにしてるの」


 澄んだ声。

 ふと顔をあげると、そこにいたのは小柄な少女だった。

 薄い髪色に灰色の瞳。表情は人形のように整っているけど、どこか儚い表情。

 この前の少女だ。


「君は……」

「私は、なに?」


 冷めた表情でユウトを見下ろす。

 その視線はネコに注がれていた。


「あ、ごめん。君のネコだったんだね」


 そっと離してやる。

 子ネコはユウトの膝から飛び降りて、少女の足もとにすり寄った。


「私の? 生き物は持ち物じゃないわ」


 少女はそう言って膝を曲げると、手に持っていた小さなパンを千切るとネコに与え始める。

 ネコは喜んで、少女の指先を舐めながら食事をとっていた。

 ただ黙々とネコにパンを差し出す少女。

 ユウトのことは覚えてないのかもしれない。ほんの少しのあいだだけの顔見知りだ。

 邪魔しちゃ悪いから立ち上がろうとしたとき、少女が顔を上げずに唇を動かした。


「靴磨きは辞めたのね」

「あ、うん」


 忘れてなかったのか。

 ユウトは少女の頭頂部を見下ろしながら、小さく返事をした。


「いまは、機動隊で働いてる」

「そう。よかったわね」


 声色も変えずに言う少女。興味がないのか、皮肉なのかはわからない。

 ユウトにとってはどっちでもよかった。

 ただその答えが、ユウトにはすこし堪えた。


「……よくなんてないよ……」

「なぜ? こんな世界で生きていける仕事があるのに」

「生きていきたいなんて、思えないんだ」


 妹のために。

 ただそれだけを心の支えにして、色々なことを耐えてきた。

 それなのに失ってしまった。

 もう、どうしていいのかわからない。


「あなたは死にたいの?」

「わからないんだ。世界のために僕の力が必要だって言われて、がんばろうって決めたんだ。でも僕は、世界のためになんてがんばれるような立派な人間じゃない。たったひとりさえ守れればそれでよかったんだ。でも、その子もとっくに死んでるって言われて……どうすればいいのか、もうよくわからないんだ」


 右腕を見る。

 鋼鉄の腕は冷たくて、重い。こんなもの投げ出してしまいたかった。

 でも投げるには遅すぎる。

 もう、歩きはじめてしまった。

 行き先が真っ暗になったのに、もう戻れなくなってしまった。


「僕は、なんのために……」

「からっぽね」


 少女は、いつの間にかユウトの顔をじっと見ていた。

 感情を灯さない、空虚な瞳で。


「あなたはどこにいるの? あなたはだれ? 私には、あなたが見えない」

「僕は、ユウト……」

「そう。でもあなたのその名前に意味はあるのかしら」


 少女は手を払ってパンくずを落とすと、立ち上がった。

 ユウトに背を向ける。


「……私には、呼ばれる名前すら……」

「え」


 小声でうまく聞き取れなかった。

 少女はそのまま空地から出て行った。振り返ることもなく路地を曲がって、消えてしまう。

 子ネコもいつのまにかいなくなっていた。

 行ってしまった。

 よく知らない相手にこんな話をしてしまった。つまらなかっただろうな。

 なにがしたいのか、自分でもよくわからない。


「僕が、見えない……か」


 ユウトは膝を抱えて目線を落とした。

 わからない。

 自分がユウトだということ以外、自分でも知らないんだ。


 生まれたことに意味はあったのだろうか。家のなかで厄介者として隔離されて育ってきて、挙句の果てに捨てられた。捨てられた理由すらわからない。変な義手に適合しただけで、世界のためになんて言われて痛い思いをさせられる。

 そんな風に生きたいなんて思ったことは一度もなかった。


 ただひとつ望んだことは、いつか妹とまた笑い合うことだけだった。その願いすらも儚く消え去って、自分が見えないなんて言われてもどうすればいいのかもわからない。

 妹が死んだ原因すら、自分にあるのだ。


「……生まれてこなければよかった……」


 口に出すと、なんて軽い言葉なんだろう。

 でもその言葉の意味は体の底に染み渡り、沈殿していく。

 暗く、重く、深く。澱んで。

 沈んでいく。






「こんなところにいたんですか」


 ユウトは顔を上げた。

 随分長い間、じっとしていたようだった。

 周りはすでに暗く、肌寒い。

 ユウトの前にはシンクが立っていた。顔をあげたユウトの表情を見ると、眉をしかめる。


「あの……どうかしましたか?」

「いや、なんでもない」


 ユウトは目をこする。


「シンクこそどうしたんだ? 昨日は帰ってこなかったし、あのデカい鎧獣のことでなにか進展があったのか?」

「はい。『複巣母体』はやはりこちらへ向かってるようです。おそらくあと五日ほどで会敵するでしょう。迎撃の戦略、避難誘導の日程とルートなどを一晩で取り決めておきました。鎧獣の群れも含めて、英雄十傑が主戦力となり機動隊全員で迎え撃つ予定です」

「そうか……じゃあ、僕も」

「いえ」


 シンクは首を振った。


「ユウトは逃げる準備をしてください」



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