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黄昏のG   作者: 裏山おもて
2章 氷の世界
21/73

 

 午後からの訓練も、喉が焼けるほど吐かされた。


 全身青あざだらけでどこをどう体を動かしても痛い。それでも根をあげなかったのは、単に意地だった。父に捨てられ、ただ過ごすだけだった毎日。ようやく自分にしかできないことがあると知った。

 正直怖い。けど、怖がってるヒマはない。

 この世界にはもう時間が残されてないのなら、少しでも早く強くならなければならなかった。妹のレイラが生きていけるような、希望が持てるような世界にしてやりたい。地平線まで晴れた空を見せてやりたかった。


「は、ははっ」


 防御した腕ごと体を蹴り飛ばされて、突き立つ樹氷に背中から叩きつけられる。

 肺が痛い。頭がくらくらする。

 だがユウトは笑みを浮かべていた。


「ははははっ!」


 辛いときこそ笑え。

 ジルに言われたその言葉が、ようやくわかってきた気がする。


「頭でもおかしくなったのかい?」

「ええ、殴られ過ぎておかしくなりそうです」


 ユウトは膝に手をついて立ち上がる。

 眼の前に迫ってきたメオの拳を、真上に跳んで避けた。そのまま後ろの樹氷を蹴っておおきく距離を取る。

 わりと避けられるようになってきた。あとは反撃だ。


 ユウトが拳を構えたとき、頭上――外壁の上部からまた警鐘が鳴った。

 メオとユウトは動きを止めて空を見上げる。

 世界樹からキラキラと舞う氷の粒子。


「……一日に二度目なんて珍しいねえ」

「そんな日もあります。行きましょう」


 近くで傍観していたシンクも、腰かけていた樹氷から飛び降りる。

 三人が鉄門にむかおうとしたその背後で、パキリと氷が割れる音がかすかに鳴った。

 気圧の変化も気温の変化も、ましてや生物がそうそう存在するような環境じゃない。

 わずかな音に背筋がざわついて、とっさに振り返った。


 その瞬間、巨大な塊が樹氷の陰から飛び出してきた。


 茶色い獣だった。

 四本の短く太い足。体表面は殻のような皮膚で覆われ、関節の部分以外はその皮膚が大きくせりだしている。目は小さく口は大きい。強靭そうな顎に鋭い牙。一歩進むたびに揺れる地面。

 見上げるほどの大きな獣。


 ――まさか、これが鎧獣か。


 初めて見たその巨大な獣は、一直線にユウトたちに向かって突進してくる。

 圧倒的な質量と威圧感に、とっさに足が竦んだ。


「はっ!」


 最初に反応したのはシンクだった。

 突っ込んでくる鎧獣に、迷いなく回し蹴りを叩き込んだ。数倍も体が大きなはずの鎧獣は、シンクの細い足に蹴り飛ばされて横の樹氷に激突する。


「ひゅう、さすが『魔女』だね。魂威変質も桁違いだ」


 口笛を吹いたメオ。

 シンクは科学時代に生まれたアンドロイドだ。本人いわく魔法は使えないらしい。つまりいまのは魂威変質じゃなくて、ただの蹴りの威力。肉体の強度は人間のそれじゃない。

 とはいえいまの一撃じゃあビクともしないようだった。鎧獣はガラガラと樹氷を崩しながら起き上り、こっちを睨んできた。


「僕がやろう」


 その手に刀を出現させたメオが、居合切りを放つ。

 鎧獣の外殻が少し割れると、すぐに右手をかざした。


「【命の折紙】」


 鎧獣はその巨体をパタンと畳まれるようにして、一枚の茶色い紙になってしまった。

 地面に落ちたその紙を拾って、メオは空を仰ぐ。


「さあ、壁の上に急ご――」


 鳴り響く鐘に顔をしかめたメオが、横から突進してきた巨体に弾き飛ばされた。重量の違いは明らかだ。メオはなすすべもなく近くの樹氷に激突して、樹氷が崩れ落ちる。

 また、鎧獣だった。


 隠れていたのか、近くの樹氷の陰から大勢の鎧獣が姿を現しはじめた。一体、二体、三体とその数をどんどん増やしていく。

 集団だ。

 そのなかの一番近くのメオを吹き飛ばした鎧獣が、ユウトに視線を定める。凶悪な瞳に睨まれてユウトは動けない。


「【命の折紙】」


 いつのまに斬っていたのか、鎧獣の顎には一本の切り傷。ぱたんと畳まれていく獣に右手を向けたメオが、砕けた樹氷のなかからゆっくりと立ち上がった。

 傷一つない。とっさの魂威変質で防御もできるのか。


「メオさん!」

「こりゃあ不測の事態だね……ちょっと厄介だ」


 いつのまにか鎧獣たちはユウトたち三人を取り囲んでいた。その数は、十や二十じゃおさまらない。まるで狩りをするかのように、恣意的な狙いでユウトたちを包囲していた。

 シンクが指示を仰ぐ。


「どうしますかメオさん?」

「……ユウトくん、走れるかい?」


 メオが指さしたのは鉄の門だった。

 ここからではけっこうな距離がある。


「僕らが鎧獣を引きつける。ユウトくんは門から都市へ入って外壁を上って樹氷嵐を防ぐ。これでどうかな」

「ユウトにはすこし難しい気もします」


 シンクが眉をひそめる。

 たしかにこの数の鎧獣をくぐりぬけ、門までたどり着き、たったひとりで樹氷を弾き返すんだ。簡単だとは言いがたい。まだ魂威変質も覚えたてで、さっきのメオみたいに防御に使えるわけじゃない。

 だが。


「……やります」


 鎧獣は大勢いる。

 ユウトの右腕は強力な武器だが、一発が強烈な代わりに周りも巻き込んでしまう。この状況では使いづらい。それにもっと乱戦になった場合、メオやシンクの足を引っ張るかもしれなかった。

 それよりは、樹氷相手のほうが向いている。


 ユウトがうなずくと、メオは「燃えるねえ」と楽しげに笑った。

 メオとシンクがいくら強いとはいえ、相手は鎧獣の群れ。

 鎧獣はこの氷の環境に適応した唯一の獣だ。その外殻は樹氷を砕き、強靭な爪は地面を掘り、頑強な顎はすべてを噛み砕く。

 一歩間違えれば喰われて死ぬ。


「僕らの心配はいらないよ。それよりユウトくんは、街を守ることを考えてくれたまえ」

「わかりました……では、行ってきます」

「武運を」


 ユウトは体内に流れる力を、足の裏に集中させる。

 地面を打ち砕くように蹴った。体内で爆発したエネルギーは筋繊維を通して皮膚へと伝わり、膂力へと変換される。

 周りの景色が一瞬で通りすぎる。

 急速に遠ざかったユウトに、周囲の鎧獣の何匹かが反応する。追いかけようと体の向きを変えた鎧獣の前に立ち塞がったのはシンク。


「行かせませんよ」


 シンクが触れたすぐそばの樹氷が音もなく消滅する。

 その光景に、ビクリと体を震わせて後退する鎧獣たち。

 本能が警告しているのだろう。

 小柄なこの少女は、なにかがあると。


「さあ、うまくやってくれよ」


 メオが近くの鎧獣を斬り捨てつつ空を見上げた。

 巨大な樹氷がひとつ、墜ちてこようとしていた。



 ❆ ❆ ❆ ❆ ❆ ❆



 鎧獣たちはシンクたちが食い止めてくれた。

 ちらりと後ろを確認しつつ、飛ぶように駆ける。

 門にはすぐにたどり着いた。壁の上から状況を見ていた門兵が、すぐに門に隙間をつくる。街のなかへと入ったユウトは、休む暇もなく階段を駆け上がり壁の上までたどり着いた。


 眼下で、無数の鎧獣たちと二人が戦っているのが見えた。

 心配だったが自分のことに集中しないと。

 ユウトは深呼吸をひとつして空を見上げる。


 巨大な樹氷が墜ちてきていた。前のやつよりあきらかにデカい。

 この大きさ、果たして弾けるかどうか……。

 義手を空に向け、緊張する。


「ユウト、手伝うか!?」


 近くにいたのはメリダだった。

 ちょうど外壁の見回りだったのか、焦った顔で近づいてくる。

 ひとりで挑むよりは心強い。ユウトは樹氷から視線をそらさずに問う。


「メリダの魔法は?」

「触れた物を空中で自在に操れる。樹氷相手では役に立たないのだが……」


 自信なさそうに唇を噛むメリダ。


「ちなみに人間も操れるのか?」

「すまん、生物は無理だ」

「じゃあそれは?」


 ユウトが指さしたのは、一本の剣。

 メリダが腰に差していた鉄の剣だった。


「ああ、もちろんだが……」

「じゃあ、それに僕が乗っても大丈夫か?」

「……まあ、ユウトくらいの重さなら乗せても操れるけど」

「なら頼む」

「えっ」


 ユウトはメリダの剣を引き抜くと、地面に置いて上に乗る。

 上空を見上げながら。


「僕を空まで運んでくれ」

「わ、わかった!」


 驚きながらも、メリダは右手をかざした。

 ふわり、と剣が浮く。

 バランスをとるユウトを乗せながら、剣は徐々に速度を上げて上昇していく。

 迫ってくる樹氷。

 はるか下に都市が見えた。高い塔に括りつけられた都市の旗印と同じ目線で、ユウトは巨大な樹氷を睨んだ。

 重力に引かれて墜ちてくる樹氷。重量がありすぎて、その勢いを殺せないかもしれない。


 じゃあ下から弾くんじゃなく、横からならどうだ。

 ユウトは右手を掲げてギアに手をかけた。

 風を唸らせて迫ってきた樹氷。

 標準を定めて、一気に解放する。


「【バースト・ギア】!」


 烈風が轟いた。

 衝撃波をともなった風は、樹氷の側面を砕きながらうねって突き進む。氷の粒子まで砕かれた樹氷は、その体積を削りながらも――さすがに大きすぎてすべてを巻き込むことができない。やっぱり完全に砕くことは不可能。

 だが、周囲を巻き込みながら拡散する強烈な暴風に、樹氷はその巨大な体躯を弾かれて軌道を大きく変えた。

 都市のはるか外へと落下していった。

 そのまま轟音をたてて氷の大地に沈む樹氷。地面が揺れる。


「――よし!」


 樹氷はなんとか防げた。

 踏みしめる地面がなく反動をそのまま受けたユウトは、大きく飛ばされつつ拳を握った。


「って、やべえ着地!」


 さすがに上空からの落下を、魂威変質だけで防げるとは思えない。 

 慌てて体勢を整えたユウトの足もとに、メリダが操った剣が近づいてくる。

 ナイスだ。

 タイミングを合わせて、空中でうまく剣に着地する。


 剣にのってそのまま外壁の上まで戻ってくる。

 ユウトがすぐそばまで来ると、メリダは息を荒げながら右腕を下ろした。

 剣がカランと落ちる。


「メリダ!」


 魔法にかなり力を使ったのか、崩れるように倒れるメリダ。

 体が震えて寒そうだ。魔力をかなり消費したに違いない。息も絶え絶えになりながらもメリダは歯を見せて笑った。


「はは、役に立ったかな」

「うん。すごいよメリダは」


 ゆっくりと起き上らせる。

 すぐに階段を上ってくる機動隊兵士たち。そのなかに医療班のミンファも混じっていたから、メリダをミンファに預ける。

 樹氷が落下した地点よりかなり都市のそばでは、まだ鎧獣の群れとシンクたちが戦っていた。すぐそばに巨大な樹氷が落下したのに戦いが止む気配はない。

 このままユウトがそっちに向かおうか考えた、そのときだった。


「……あれはなんだ……?」


 駆けつけた機動隊員のひとりが地平線を指さした。

 ユウトも視線を動かす。

 遠い彼方の地平線。

 そこに、山のようなものが見えた。


 ……いや、そんなはずはない。

 この都市の周囲に山はない。氷が突き立った平地しかないはずだ。

 じゃああの地平線を歪める物はなんだ。

 ユウトは目に力を集中させ、視力を上げた。


「――まさか」


 息を呑む。

 遥か遠方。

 そこにいたのは、巨大な影。


「……鎧獣……?」


 まるで山だ。

 山のように巨大な、鎧獣だった。


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