5
朝は苦手だ。
窓から入ってくる朝の薄い陽光を眺めて、ユウトはゆっくりと起きあがった。
見慣れない部屋にしばらく首をひねってぼうっとする。
ジルの声に起こされない朝。もう甘えることをやめたんだった。
「おはようございますユウト」
「ん……おはようシンク」
部屋の扉から顔をだしたシンク。エプロン姿がとても似合う。
あくびを盛大にしながら、リビングに。
朝食のパンとサラダ、スープが並んでいた。
椅子に座って、ふたりで食べる朝食。なんだか新鮮でむずがゆかった。
とくに会話もなく時間が過ぎていく。会ったばかりのはずなのに、なぜかずっと昔から暮らしていたような錯覚をおぼえる。昨日、シンクの話をしたせいかもしれない。目の前で美味しそうにパンを頬張る少女の姿は、やはり普通の人間と変わらない。
食べ終わり、歯を磨いて着替える。
新兵の制服に着替えて外套を羽織る。ユウトの外套だけは深緑色だ。着替えてリビングに戻ったときにはシンクもすでに準備ができていた。
ふたりで家を出た。
「私は一度本部に寄りますから、ユウトは先に行っててください」
シンクはそう言って、要塞都市の中心へ歩いていく。
東支部の隊舎までは徒歩数分だ。道に迷うわけもなく、ひとりでもとくに支障はない。
活気づきはじめた街を歩く。
隊舎のすぐ近くまできたとき、狭い路地のほうから言い争うような声が聞こえてきた。
「や、やめてください」
「いいだろ。減るもんじゃなし、頼むって」
なんだろう。
顔を覗かせると、男が数人、少女を取り囲んでいた。
よくない雰囲気だ。
「こ、困ります……返してください」
「ちょっとだけだから、なあ?」
よくわからないが、そのままにしてていい場面じゃなかった。
「なあ、なにしてんの?」
ユウトが声をかけると、男たちが一斉にこっちを見て顔をしかめる。
「ちっ機動隊かよ」
「べつになんもねえよ! あっちいけ!」
シッシとユウトを追い払うようなしぐさを見せた男の手には、鞄がひとつ。
可愛らしいネコの刺繍がついていた。
どう見ても男のものじゃない。
「窃盗するならもうちょっと場所選びなよ」
「ちげえよ!」
男のひとりが顔をひきつらせる。
まあどんな事情があるかは知らないが、いまは困ってる子を放置できる立場じゃない。
ユウトはゆっくり歩いて行って、男たちのすぐそばで止まる。
「それ、その子に返してあげたら?」
「おまえには関係ないだろ!」
ドン、と胸を押される。
一歩後ろに下がったユウト。
「……関係なくもないけどな、機動隊なんだし」
治安維持も仕事のうちだ。
ユウトが睨むと、男たちは言葉に詰まった。
乱暴をしてるようには見えなかったから、そう威圧するのも悪い気がする。穏便に済ましたいのはやまやまだったが。
「っく、せっかく話せたんだ……こんなところで諦めるかよ!」
男のひとりが右手を地面に向け、
「【海の白煙】!」
煙幕の魔法を発動させた。
「きゃっ!」
男が少女の手を取って煙のむこうに逃げていく。
追いかけようとしたユウトに、別の男が右手を向けた。
「恨みはないけど……【沼の粘液】!」
視界に広がったのは、ネバネバした液体。
それがあたり一面の地面にへばりつく。あまり好きじゃない魔法だ。
……まったく、面倒なことを。
ユウトはため息をつきながら右腕を掲げる。
関節部のギアに手をかけて。
「ちょびっとだけ……【烈風の・ギア】」
ほんの少しだけ、義手の力を解放した。
突風が右腕の先から生まれて、煙を四散する。
路地のむこうに走っていく男たちが見えた。
沼のように広がる粘液はそれほど多くない。一歩で越えられるだろう。
ユウトは膝に力を込めて、地面を蹴った。
瞬間、視界がブレる。
軽く粘液を飛び越えようとしただけだったのに、ユウトの跳躍は遥か前方――男たちの頭上すら飛び越えてしまった。
「うわっ!?」
自分でも驚いて声が漏れる。
ユウトは路地の向こうの家の壁に着地すると、そのまま重量に引かれて落ちる。空中で姿勢を立て直して今度はちゃんと地面に着地した。
ちょうど男たちのすぐ目の前だった。
「えええっ!?」
驚く男たち。
その気持ち、よくわかる。
「……なんだいまの」
ユウトは自分の両手を眺める。
この義手をつけてからなにかおかしい。走ってもあまり疲れないし、いままでより体が軽い。
だが、それだけではここまでの跳躍力を生む説明にはなってないだろう。もっと違うなにかがいまの瞬間的な爆発力を生んだ気がする。
わけがわからなかったが……とにかく、いまは上手く回り込めたこの状況を使わない手はない。
ユウトは内心苦笑しながら手を差し出す。
「その子も嫌がってるからさ、離してあげてくれない?」
「っく……」
男たちは悔しそうにしながらも、ユウトに敵うはずがないと思ってくれたのか大人しく少女を離した。
鞄をユウトに渡すと、「すみませんでした」と残念そうに肩を落としてその場から離れていく。
なにがしたかったんだろう。窃盗でも誘拐でもなさそうだった。
「……怖かった……」
男たちがいなくなると、少女がぺたんと地面に座り込んだ。
茶色がかった巻き髪に低い身長。年齢はユウトと同じくらいだろうか。顔は整っていたが、美人というより可愛い風貌の少女だった。
腰が抜けたのだろう。
鞄を差し出す。
「ほら、返すよ」
「あ、ありがとうございます……」
ビクビクとしながら鞄を受け取る少女。
「いまのひとたち、なんだったの?」
「わ、わかりません……なんかサインが欲しいって……」
「サイン?」
ユウトは首をひねる。
疑問符を頭に浮かべたユウトを、少女は上目づかいで見上げてくる。
その表情は怯えていたけど、とても可愛らしかった。
「はい……わたし、機動隊のお仕事で宣伝活動してて……たぶんそれで……」
宣伝活動か。
そういえば、機動隊の隊員募集を募るパフォーマンスを街角の広場なんかで歌ったり踊ったりしてるアイドルたちがいたっけ。
靴磨きのときに何回も見たことがある。可愛い子たちが都市の中をときどき宣伝して回ってるはずだ。
つまりさっきの男たちはこの子のファンか。納得した。
「ってことは君も機動隊?」
「はい。東支部所属の、医療班です」
「そっか。僕も東支部なんだ。きのう入隊したばかりだけど」
「し、知ってます」
少女はもじもじと手を動かしながら、恥ずかしそうにユウトの顔を見上げた。
「きのうの歓迎会のとき、挨拶、聞いてましたから」
「あ、いたんだね。ごめん、飲みすぎて全然記憶ないんだ」
「……すごかったです」
なにがどうすごかったのか、聞くのは怖くてやめた。
それより、思わぬことで結構時間をくってしまった。仕事の時間はまだのはずだが、入隊したてでさっそく遅刻なんて冗談キツイ。
「じゃあ行こうか」
「あ、はい」
少女の手を取って立ち上がらせる。
それにしても、さっきのはなんだったんだろう。
単純な筋力ではまったく説明がつかない出来事だ。身体能力そのものが大きく増強されたような感覚だった。
ユウトは首をひねりながら、隊舎に急ぐのだった。