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ユウト=レイトからただのユウトになって六年が経った。
背も伸びたし、筋肉もそれなりについた。
まだ大人と呼ぶにはすこし早いかもしれない。でも、あと数年もすれば成長も止まる。体も心も大人になるまでにジルから学んで、いずれ装備屋を継ごうと思っていた。
たまに兵士が防具を買いにくるくらいの街のはずれにある寂れた店だった。それでもユウトの居場所はここだと思ってきた。
いまでもそう思う。ここが自分の家だ。ジルは師匠でもあり父でもあった。
「じゃあ、行ってくるよ」
荷物をまとめて、玄関から出る。
仏頂面のジルがユウトの背中をじっと眺めていた。
いってらっしゃいとか気をつけろよ、とか。
そんな気の利いた言葉は言われなかった。まあ、そんな器用な言葉は期待してない。ユウトがシンクについていくと決めてから、ジルはずっと不機嫌そうに口を閉ざしていた。
シンクと並んで、歩き出す。
無言のまま別れるのも、予想通りだ。
六年間ともに過ごしたんだ。ジルの性格くらいわかっていた。
ユウトは振り返らずに歩いていく。
寂しくない。悲しくなんてないんだ。
拳を握りしめてすこし歩いたとき、後ろからジルの声が聞こえてきた。
「おい、ユウト……ちゃんと朝は自分で起きろよ」
「……うん」
ユウトはこみあげてきた涙を堪えながら、うなずいた。
❆ ❆ ❆ ❆ ❆ ❆
機動隊東支部は、要塞都市のなかでも一番忙しい。
樹氷が墜ちてくる場所は様々だが、太陽が昇ってくるせいか都市東側の樹氷が墜ちることが多かった。ここ数年は、数日に一度は墜ちてくる。
シンクの担当はその東支部らしい。東支部の隊舎の近くに部屋を借りて暮らしていた。
ユウトはこれからシンクと共に過ごす。
そう聞いて荷物をまとめてきたんだけど。
「ふつつかものですが、これからよろしくおねがいしますねユウト」
「……ちょっとまって! 同じ部屋!?」
てっきりユウトの部屋もあると思っていた。
シンクの家は、リビングがひとつと寝室がひとつだけ。
ひとり暮らし用の部屋だった。
「もちろんですよ? なにか不都合でも?」
きょとんとした顔で首をかしげるシンク。
「いやいやいや……英雄十傑って都市最強の戦士だろ給料もすごいんじゃないの。なんでこんな小さな家に住んでんの」
「必要ないので」
「いままさに必要だよな!?」
この少女に貞操観念とかないのだろうか。
怖い。
「なぜですか。ユウト、もしかして私の体によからぬ情を抱いてるのですか?」
「そうじゃなくて!」
いや、まあちょっとはあるけど。
シンクの整った顔、綺麗な首筋、ふくよかな胸、くびれた腰、丸いヒップライン、すらっと長い足……よこしまな考えを持つなというほうが無理だ。マジで。
って違う違う。そういうことじゃない。
「寝る時とかどうすんの。ベッドひとつだし」
「ユウトが使ってください。私は寝る必要がありませんから」
さらりと冗談かよくわからないことを言ってのけるシンク。
もうどうしていいかわからずに、ユウトは立ち尽くす。
「いきなり同棲って……ハードル高い……」
「ジルレインさんとも同じ状況で住んでたじゃないですか」
「お師匠は男だよ! しかも父さんみたいなもんだったし違うよ!」
「同じことですよ。すぐに慣れます」
「慣れるのが怖いんだってば……」
まだ十六歳そこらの年齢で女の子と住む日常はやばい。
しかも相手は『魔女』。都市最強とも言われる少女だ。
顔を引き攣らせて突っ立っていると、シンクがユウトの手から荷物をとってベッドの上に置いた。
「それよりユウト、荷物を置いてすぐに行きますよ。人を待たせてるんですから」
「え? どこに?」
「東支部の隊舎です。今後の方針を決めておきたいので」
そそくさと部屋を出て行くシンク。
ユウトはため息をついて、ついていくのだった。
交差した二本の剣が描かれた旗。
それが機動隊の隊旗だった。
その赤い旗を掲げたひときわ大きな建物は、外壁のすぐそばで存在感を放って建っていた。ここが要塞都市のなかでも重要な拠点だと一目でわかるようになっている。
一階はロビーと応接室や待合室。二階は機動隊員の詰所など、三階には会議室や職務質が備わっているらしい。地下には都市犯罪者のための拘留所があるんだとか。
そのまま最上階の三階に連れられたユウトは、すれ違う屈強な機動隊員たちにジロジロとみられながら肩身の狭い思いをしていた。
ほとんどの者の視線はユウトの右腕――義手に注がれていた。
魔法も使えないやつが何の用だ。そう言いたげだった。
視線がなくなったのは三階一番奥の部屋の扉に来てから。ほっと息をつくのもつかのま、シンクが扉をコンコンと叩いた。
「シンクです」
「ああ、入れ」
中から聞こえてきたのは、ハスキーな女の声。
部屋のなかには丸い机があった。十人ほどが座ればいっぱいになるだろう。
その一番奥に座ってこっちを見ていたのは、赤い髪の女性だった。
年齢はぱっとみただけではよくわからない。三十歳にも四十歳にも見える。壮年の女性だ。
ただ座っているだけのその風貌で、なにか威圧感のようなものがある。ユウトの本能がこの女は危険だと言っていた。
つい背筋が伸びた。
シンクはその女性に会釈をすると、ユウトを引っ張って自分の前に立たせた。
「メイジェンさん。お話したとおり連れてまいりました」
「ご苦労」
メイジェンと呼ばれた女は、視線をユウトの腕に走らせる。
黒い義手を観察する。
「わたしは都市機動隊、総隊長のメイジェンだ。少年、貴方の名は?」
総隊長。
つまり目の前の女性が、この都市を守護する機動隊のすべてを纏める存在だった。メイジェンという名は聞いたことくらいはある。人智を超えた魔法を使えるという噂があった。
「ゆ、ユウトです」
「ユウト……?」
ユウトが名乗ると、眉をひそめたメイジェン。
なにかまずかったのか。
「親の名は?」
「親は、ジル――ジルレイン=バトルクライです」
ユウトは胸を張って言った。
六年間だけの育ての親だけど、いまの自分があるのはジルのおかげだ。間違ったことは言ってない。
「ほおう……そうかジルレインか。随分と懐かしい名だ」
「むかし英雄十傑だったって聞きました」
「ああ。とびきり優秀な戦士だった。私がまだ入隊したての頃、たくさん世話になったよ。引退してからは義肢職人をやっていると聞いてはいたが、まさかここでその名を聞くとはな」
すこし表情を崩したメイジェン。
思い出に耽るような目をしていた。ジルのこともよく知ってたに違いない。
「あの、お師匠……ジルは――」
「まあ聞きたい話も山ほどあるだろうが、そう時間があるわけじゃないんでな。すまないが世間話はいずれ」
「す、すみません」
「呼び出した理由はわかるな? 差し支えなければその義手、よく見せてくれるか」
ユウトはうなずいて、右腕から義手を外す。
メイジェンが義手を手に取ると、いろんな角度から目を細めて眺める。
珍しい物だということはすぐにわかったらしい。構造の複雑さにも感心していた。
「見たこともない金属、精密すぎる構造……。どこで手に入れた? ジルレインが持ってたものか?」
「それがわからないんです。つい先日、僕に送られてきました」
「誰からだ」
「Gって名乗るひとからです。それしか手がかりは」
「G? 誰だ……」
本当に誰だろう。
考えてもわからないことだらけだった。
メイジェンもすこし思案していたようだったが、ユウトに義手を返すと首を横に振った。
「まあ気にしても仕方のないことだな。それよりユウト、貴方にはこれから機動隊の一員になってもらいたい」
「……僕がですか?」
「そうだ」
力強くうなずくメイジェン。
ユウトはとっさにシンクの顔を見る。世界樹を壊すためにシンクと一緒に戦うことは覚悟したけど、機動隊に入るなんて思ってなかった。
シンクは最初からそのつもりだったんだろう。ユウトに向かってウィンクしてきた。
聞いてないんだけど。
「実物を見せられては私も認めざるを得ないだろう。シンクがむかしから言っていた通り、たしかに『黑腕』は実在した。そしてユウトは適合者……ということは、貴方はいまのところ世界樹を破壊できる唯一の存在であるわけだ。【霊王の五躰】が存在するなどにわかに信じがたい話だったが……本当に世界樹の破壊がシンクの使命なのであれば、そのサポートを要塞都市の護り手としてしないわけにはいかないだろう」
メイジェンは演説するように立ち上がった。
その手にあったのは、外套だった。
背中に機動隊の印が刻まれた外套。
ただし都市の旗色――赤ではなく、ユウトがいつも羽織っているものと同じ深緑色。
「だがユウト。適合者の貴方はまだ剣の握り方を知らない。その腕の使い方を知らない。ならば我々が戦い方を教えるべきだ」
ユウトはその外套を手に取る。
とても軽い。けど、暖かい素材だ。
「……僕はどうすれば?」
「この東支部にはいい指南役がいる。サボり癖はあるが、腕は確かだ」
メイジェンはなにか悪戯を思い付いたような笑みを浮かべた。
落ち着いた風貌のなかに、無邪気さが垣間見えた。
「力の使い方を学んで強くなれ。そうだな……手始めに、英雄十傑にでもなってみせろ」