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黄昏のG   作者: 裏山おもて
プロローグ 拝啓、息子へ
1/73

 

「『樹氷』が降るぞー!」


 警鐘が鳴った。



 吐き出す息は白く、重い。

 凍てつく寒さに震えながら兵士たちが走っていく。氷に感染した地面に足を取られながらも、転ばないように慌てて駆けていく。

 彼らが抱えた袋は氷の結晶で膨れていた。半日でこの成果なら、まあ及第点だろう。最近導入されたという新しい掘削器のおかげで効率があがったようだ。


「……さてと」


 最後尾を走っていた調査兵を確認。

 まだ若い。入隊したての新卒だろう。凍った地面に慣れていないせいで走るのがかなり遅い。都市の防壁に辿り着くまでまだまだ時間がかかりそうだ。

 こっちにむかって駆けてくるその若い兵士のうしろを、ぐるりと一望する。


 巨大な氷塊が、地面に突き立っていた。


 ひとつや、ふたつじゃない。

 大小さまざまな鋭く尖った氷が、数えきれないほど地面に刺さっていた。

 地面から生えてきたものではない。

 空から墜ちてくる、樹氷だ。

 見渡すかぎり地平線の彼方まで続くその景色は、大地を蹂躙する氷塊の凄まじさを物語っていた。


 地も山も海も川も、なにもかも。

 雲のように空を覆っている『世界樹』の樹枝から墜ちてくる樹氷に埋め尽くされ、凍らされていた。


 唯一その支配をまぬがれているのは、背後にある要塞都市だけだった。

 人間の住む小さなその世界は、暖域(だんいき)と呼ばれて青空が晴れていた。


「おい、急げ」

「は、はいいっ!」


 都市から一歩でも出てしまえば空を氷が覆い尽くしている。

 空を見上げると降ってくるのは氷の塊。

 はるか上空から堕ちてくるその威力は、どんなものでも破壊してしまう。

 人間の力など及ばない自然の猛威。

 至純の脅威。


「ゴートさん! 彼で最後ですか?」

「ああ……おそらく」


 後ろから声をかけられて、ゴートは振り返る。

 調査兵ではない。腰に帯剣の許可を得た、金属の鎧を右腕に着けている青年が立っていた。名前は思い出せないが、おなじ外套を羽織っているので機動隊の一員だってことはわかる。


「そうですか。なら樹氷嵐には遭わずに済みそうですね。我々もすぐに戻りましょう」

「いや、そう上手くはいかないらしい」


 背をむけようとした青年に、ゴートは首を振る。

 青年は、ゴートの視線の先を見て息を呑んだ。


「なんで……っ!」


 地面に突き立った氷の割れる音が響く。

 氷を砕きながら姿を現したのは、大きな獣だった。

 岩のような外殻で全身を覆われた獣。ゴートや青年の身長の三倍はありそうなほどの大きさだった。

 そいつはゴートたちを見つけるや否や、息を荒くして突進してくる。


「なんで鎧獣(がいじゅう)が!」

「俺に聞くな」


 震えあがる青年を背に、ゴートは正面から鎧獣を見据える。


「だ、だだダメです! 鎧獣に剣なんて通じませんよ!? 逃げましょう!」

「黙ってろ」


 自分の背丈よりも大きな氷塊を砕きながら突っ込んでくる鎧獣。

 その鎧のような皮膚は強靭で、たしかに鋼の剣など通じるような相手ではない。

 だが――


「止まれ」


 右手をかざしたゴートの直前で、鎧獣は見えない壁(・・・・・)に激突した。

 轟音が響き、風が乱れ、グラリと傾く鎧獣。

 そのまま泡を吹いて倒れた。激突した衝撃で気を失ったのか、ぴくりとも動く気配はない。


「これでいいだろ。さて、帰るぞ」

「うおお……さ、さすがゴートさん……」


 声を震わせながら、青年はゴートの後ろについて歩くのだった。



 ❆ ❆ ❆ ❆ ❆ ❆



 数百年前、世界は氷の世界樹に覆われてしまった。


 ある日突如として現れた世界樹に、それまで繁栄していた文明はなすすべなく滅びの一途をたどってしまったらしい。

 空を覆い尽くし地下に根を張った氷の世界樹に衰退を余儀なくされた人類は、その数を大きく減らしながらも生き残り、なんとかこの時代までたどり着いた。

 文献も、歴史も、すべて捨て去ってしまい、残された物は少ない。

 言い伝えられているのは、かつて科学と呼ばれる文明が栄えていたこと。人工物でできた街や道具が溢れていたこと。しかし人工的に造られた物ほど世界樹の氷に感染しやすかったため、世界中ほぼすべての文明が氷と化してしまったこと。


 そうして科学世紀は終わりを告げ、氷河期と呼ばれる時代になった。人類の祖先はその時代、地面のなかで苦難と困窮に過ごし続けた。

 人類は、いつ滅んでもおかしくなかった。

 そんな歴史の果てにいまの時代がある。

 そう伝えられている。


「……命を、紡いでいかなくちゃならない」


 困難な時代を生き抜いた人々は、空を覆う世界樹が晴れた場所――『暖域』に、外壁をつくって要塞都市を築くことができた。

 そのなかで我々は生きている。

 一度は灯火となった人類の火種は、またすこしずつ大きくなり始めている。

 繁栄をはじめている。


「ゴート=レイトさんですね? 奥様の容態が思わしくありません。分娩室へは?」

「ああ、頼む。それと彼女は妻ではない。迷惑をかけるが、理解をもらえると助かる」

「し、失礼しました。それではこちらに」


 看護師につれられて、ゴートは部屋へと入る。

 薄い布で囲われた向こう側から聞こえてくるのは、うめき声。

 苦難の表情を浮かべているのは見慣れた顔だった。歪んでいても美しく、愛おしい。幼い頃から愛しつづけてきた女性だ。

 彼女はもともと体が弱かった。出産も危ぶまれていたのはわかっている。自分の体のために中絶するかどうかを相談したこともあった。

 でも。


『そんな恐ろしいこと言わないで。せっかく授かったあなたの子なんだから』


 彼女はにっこりと笑って言ったのだ。

 ゴートは貴族として、最初から結婚相手は決まっていた。すでに別の家系と結婚し、家のために子どもを産んでいた。

 それでもゴートは彼女を愛していた。いや、誰よりも、愛している。

 薄い布のむこうから悲鳴が聞こえる。

 想像を絶する痛みと戦っているのだろう。

 ゴートは兵士として、いままで何度も死線をくぐりぬけてきた。氷に囲まれた世界で、この要塞都市を守るために必死に戦ってきた。

 その結果、いつのまにか都市最強のひとりなどと呼ばれて頼りにされるようにもなっていた。

 だから、わかる。

 彼女の声から、力が失われていくのを。

 死が迫っているのを。


「ダメです、呼吸が……」

「投薬いそげ!」


 医師たちが慌ただしく彼女を取り囲む。

 ゴートは都市を守る力を持っていた。誰よりも強靭に戦うことができていた。

 強い力があった。

 ……戦う力だけは。

 でも、愛する女性を救うことはできない。こうして拳を握りしめて祈ることしかできなかった。

 彼女を助ける力は、なかった。


「ユウナ……」


 彼女の名前を呼ぶ。

 返事はかえってこなかった。


「心拍停止です」


 薄い布の向こう側。

 沈黙に包まれ、やけに遠く感じたその距離に生まれたのは、ひとつの小さな産声だった。


「……オギャァ……オギャァ!」

「間に合った! 子どもだけでも守れ! いそぐんだ!」


 繋がった命は小さなものだったけど。

 愛する彼女が残したものは、ひとりの小さな赤ん坊。


「すみません。この子だけしか」

「いや……」


 医師が抱えてきたのは、母親によく似た目の丸い男の子だった。

 ゴートも抱きとめる。

 とても、とても軽かった。


「名前を、決めてあげてください」

「……ユウト」


 とうに決まっていた。

 それは彼女の名前と、自分の名前を合わせたもの。

 もし子供ができたらな、と。

 彼女と一緒に、幼い頃から決めていた名だ。




「お前の名は、ユウト=レイトだ」



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