黒猫娘のブルーハロウィン

八話

(1)

　激怒の余りに発された、ゾーラからの絶縁、追放宣言を受けてしまったイーニドは、激しいショックに泣くことすらままならず、全身の力を失くして玄関ポーチにぺたんと座り込む。

　家の外壁と同じく、玄関ポーチもキャメル色のビスケットで作られているが、石の上に座っているかのような冷たい感触が足元から全身に伝わってくる。

「……おい。……おい、イーニド。しっかりしろよ！！」

「…………うん…………」

「うん、じゃねぇよ……。立てるか？？」

「……うん……」

　マイクロフトは腕を引っ張って助け起こそうとするが、呆然としたままのイーニドの身体はびくとも動こうとしない。

「……おい」

「…………うん…………」

「お前……、さっきから『うん』ばっかり……」

「……うん……」

　生返事を繰り返すばかりで、立ち直る気配を一向に見せないイーニドに、マイクロフトは遂に痺れを切らした。

「あぁ！面倒くせぇ！！」

　鬱陶し気に叫んだ後、マイクロフトはイーニドを横抱きの姿勢で両腕に抱き抱え、玄関ポーチを背にして歩き出す。さすがにイーニドも吃驚し、我に返る。

「ちょっと、やだ！！降ろしてよ！！」

「しょうがねぇだろう、歩くどころか立つことすらままならないんだから、こうするしか他に方法ないし？？」

「あ、歩けるわよ！！ちゃんと自分で歩くから！！何でもいいから、とにかくすぐに降ろして！」

　イーニドは、マイクロフトの両腕の上でじたばたともがいては暴れてみせる。

「やめろっ、暴れるな！分かった、分かった、今降ろすから大人しくしてくれっ！」

　マイクロフトは言われた通り、すぐにイーニドを地に降ろす。

「……ったく、そんな元気があるなら、とっとと立てよなぁ」

　ところが、イーニドを降ろしたかと思うと、今度は彼女の手を握りしめ、集落から元来た道に引き返そうとする。

「ちょっと、何処へ行く気なの？！」

　さっきから抱き上げられるわ、手は握られるわで、これでは幼なじみと言うよりも恋人同士みたいではないか。

　そう思った瞬間、イーニドの頬はカッと熱くなり、身体中が熱で火照るような気分に陥った。それなのに、しっかりと握られた手を離したくないとも思っている自分がいる。

　胸の中で湧き起こる、何とも言えない甘さを含んだ不可思議な感情に戸惑っていると、マイクロフトがぽつりと呟くように、こう告げた。

「明日……、いや、もう今日か。今夜のハロウィン後夜祭サバトが開催される場所――、トンプソン山に、今から向かうぞ」

「は？？何しにそんなところへ……」

「大魔女マドンナに、ゾーラの暴君振りを訴えに行くんだよ。噂では、すでに昨日の夕方にはトンプソン山に入ったらしい。強大な魔力を持ってしてこの森のゴースト達を守っている事を笠に来て、やりたい放題のあのロリ婆ぁにはもう我慢ならない」

「…………」

「幸い、この森からトンプソン山まではそう遠くはないし、今から急いで行けば夜明け前には辿り着ける。……普段からお前に散々甘えまくっていたあげく、たった一度の失敗で森から出て行けだなんて……。そんなこと……、俺が絶対に阻止してやる！」

「…………」

　決意に満ちたマイクロフトの横顔、切羽詰まった固い声色に気圧されたイーニドに、言葉を返す余地などない。

　ただマイクロフトに手を繋がれたまま、黙って彼と共に暗闇の中でランプの光を翳し、深い森の密集する木々や絡みつく茨を魔力で退けながら、道なき道をひたすら突き進んでいく。

　しかし、次第に頭が冷静になっていくにつれ、マイクロフトや仲間達が自分のために様々な行動を取ってくれていたのに対し、自分は何もせず受け身のまま、皆の厚意に甘んじてばかりいるだけでいいのだろうか、という疑問が持ち上がり始める。

　そして、あと一歩で森の中から抜け出せる、というところでイーニドは急に立ち止まった。

「イーニド、どうしたんだよ？？」　

　怪訝そうに振り返るマイクロフトを真っ直ぐに見据える。

「マイク、あたし……。もう一度ゾーラ様のところへ戻って、自分の気持ちをきちんと話したい」

「…………」

「確かに、ゾーラ様はとんでもなく我が儘で子供っぽい方だけど、それはあたしが今まで何も咎めたりせず、黙って従っていたのも一因だと思うの。だから……、ハロウィンのお菓子の件だけじゃなく、他の事でも言うべきことを言った上で、それでも駄目ならマドンナ様のところへ行こうと思う」

　マイクロフトは黙ってイーニドの言葉に耳を傾けていたが、「今更あいつが聞く耳を持つと思うのか？？余計に怒らせることになりそうな気がするぞ？？」と反論する。

「でも……、それはやってみなきゃ分からないことじゃない」

「そんなのやらなくても結果は見えている」

　やはりマイクロフトは、承服しかねる、といった体で真っ向から反対してきた。

　どうすれば納得してもらえるかなぁ、と、イーニドが軽く息を吐き出した時だった。

　突然、限りなく黒に近い濃灰色の巨大な雲が、通常では考えられない程の速度で森の上空に流れて込んできた。

　雲はあっという間に、真夜中の空を彩っていた三日月や数多の煌めく星々全てを覆い隠し、暗闇の暗色が一段と濃く変化した。

　それと共に、青白く輝く不気味な閃光が視界を走り抜け、数秒の遅れの後、耳を劈く大音量で雷鳴が響き渡る。

　雷が大の苦手なイーニドはすっかり怯え、マイクロフトが彼女の肩を抱いて宥めていると、二人の眼前――、森の入り口を塞ぐ人物――、グリップ部分にベビーピンク色の宝玉が付いた、背丈より大きな杖を手にするゾーラが佇んでいたのだった。

(2)

　ゾーラは、威嚇する猫のようにダークブロントのツインテールを逆立たせ、垂れ目がちな大きく丸い、青い瞳を吊り上げている。

　怒髪天を衝く勢いで怒りの感情に支配されたゾーラに、イーニドは思わず震え上がる。

　ゾーラは、杖の先をドン！と地面に叩きつける。

　次の瞬間、真夜中にも関わらず空一面が真っ白な光に包まれ――、バリバリバリーン！！！！と、凄まじい雷鳴が耳に轟いた。

　二人の計画を見抜き、こっそりと先回りしたゾーラが魔力で雷雲を発生させて、次から次へと雷を落としては計画の妨害を謀っているのだ。

　ゾーラの怒りと鳴り止まない雷に行く手を阻まれ、立ち竦む二人に向かってゾーラが叫ぶ。

「何よぉ、何なのよぉ！！皆して、ゾーラの事をよってたかって馬鹿にしてぇ……！！誰のお蔭で、この森でぬくぬくと安全に暮らしていけると思っているのよぉ！！ゾーラが結界張って上げているからでしょぉ？！それなのに……。もういいの！この森に雷落として全部燃やしてやるんだからぁ！！」

　その言葉を聞いたイーニドは、ヒステリーを起こすゾーラと雷にひどく怯えながらも、あらん限りの大声で叫んだ。

「やめてください、ゾーラ様！！そんなことをしたら……、皆だけでなく貴女も棲家をなくすことになってしまいます！！」

「ゾーラは別に困らないわ！あんた達と違って、ゾーラはどこでもやっていけるだけの魔力を持っているからぁ！！ていうかぁ、僕の分際でゾーラに説教しないで！！」

　僕の分際で、と言われ、イーニドは言葉を詰まらせるが、更に負けじと大声で言葉を返す。

「いいえ！今回ばかりは、ゾーラ様の行いは絶対に許されるものではありません！！それに……、そんな風にご自分の我が儘な考えを無理にでも押し通そうとするから、皆がゾーラ様に不満を持ち、煙たがるんです！！どうして分かってくれないんですか！！折角素晴らしい力を持っていても、まるで意味がないじゃありませんか？！」

　今まで従順だったイーニドに真っ向から反抗され、ゾーラの怒りはいよいよもって頂点を迎えた。

「うるさいうるさいうるさーい‼！！！皆一人残らず、雷に当たって燃えてしまえぇ！！！！！」

　イーニドとマイクロフトの頭上に向けて、一際激しい雷鳴と共に青白い稲光が落下――、　咄嗟に、マイクロフトはイーニドを庇って強く抱きしめたーー

「ちょっとぉ、さっきからぎゃあぎゃあと喚き散らして怒り狂ってるかと思いきや……、幼気な子猫と犬っころ相手に何をそんなにムキになっているのかしらぁ？？」

　雷に打たれるものだと覚悟していた二人は、雷の代わりに上から降って来た声に恐る恐る顔を上げる。

　目の前にはいつの間にやってきたのか、空に向けて杖を掲げる人物が佇んでいた。突然の乱入者に、ゾーラも大きな瞳を益々見開き、呆然としている。

　どうやら、イーニド達に落雷する直前に魔法を発動させて雷を弾き飛ばし、見事霧消させたらしい。

「まったく……、この吸血鬼のゲイカップルが正体晒しては人間からお菓子をぶんどっていたから、とっ捕まえて説教する為にこの森に来てみれば……。ゾーラが全力で弱い者いじめをしているし……。とんだハロウィンナイトねぇ……」

　杖を持っていない方の手で掴んでいた、二匹の蝙蝠をわざとぶらぶらさせる。首根っこを掴まれている蝙蝠達はぐったりとしたまま動かない。

　その、どこか人を食った仕草に腹を立てるゾーラ。

「何よぉ！！どこの魔術師か知らないけど、邪魔しないでよぉ！！」

「邪魔ですって？？オイタをしでかした子供を叱っているだけよ。それと、アタシは魔術師じゃなくて、歴とした魔女よ」

　その言葉に、ゾーラもイーニドもマイクロフトも思わず目が点となった。

　背中まで流れるゴールドブロンドの長い髪に、宝石のごとく輝くエメラルドグリーンの瞳が特徴的な、気品溢れる美しい顔立ち、更にはアール・ヌーヴォー風の細身の黒いドレス姿だけを見れば、魔女と言われても充分納得できただろう。

　けれど、二メートル近い長身に、服を纏っていても分かる程に適度に筋肉が付き、均整の取れた身体つきはどう見ても男のものである。

　三人からの奇異の視線を受けた男は、やれやれと嘆息する。

「嫌ぁね。アタシはね、身体こそ男だけど心は乙女なの。だから、アタシのことは皆、大魔女マドンナと呼んでいるわ」

　えっ！？と、更に目を丸くし、驚いて互いの顔を見合わせるマイクロフトとイーニド。

　ゾーラに至っては、「えぇぇぇぇーー？！嘘よ嘘よぉ！！！！大魔女マドンナ様がオネェだなんてぇぇぇ！！！！」と、多大なショックを受け、その場でへなへなと腰を抜かしてしまう。

　直後、一瞬にして邪悪な巨大雷雲は、跡形もなく霧消していったのだった。