七話
(1)
「マイクロフト!お前どこ行ってたんだよ!?」
森の最奥の池から集落へと戻ったイーニド達の前に、濃灰色の狼耳と薄茶色の髪の少年、マイクロフトの友達が急いで駆け寄ってきた。
「皆で人間達からお菓子を集めている最中に、籠だけ置いて忽然と姿を消したから……、探したんだぜ??」
「ごめんな、ジャッキー。ちょっと野暮用思い出してさ……」
顔の前で右手を掲げ、マイクロフトは申し訳なさそうにジャッキーに謝る。
「別にいいけど……。ちなみにその野暮用ってやつは、イーニドとのデートか??」
ジャッキーは預かっていた菓子の籠をマイクロフトに手渡しがてら、ニヤニヤと意味ありげに笑い掛ける。
「ばっ……、馬鹿言え!そんな訳……!」
「じゃ、そのお手々は何なのかなぁ??マイクロフト君??」
途端に、マイクロフトは掴んでいたイーニドの手をササッと離すも、巧い反論の言葉が見つからないのか、真っ赤な顔してジャッキーを睨んでいるのみであった。
マイクロフトを揶揄って遊びつつ、ジャッキーは自分の籠から幾つか菓子を取り出し、「はいよ、お裾分け!!」と、イーニドの掌にポンと手渡してきた。
「は?!えっ?!何で何で!!ジャッキーの分なんでしょ??いいよ、いいよ、悪いから……」
いきなりのことに驚き、イーニドは貰った菓子をジャッキーの籠の中へと返そうとしたが、その手をジャッキーはやんわりと押し返す。
「いやー、『イーニドが毎年集めたお菓子をゾーラに全部渡してしまうから、自分の分のお菓子がない。だから、俺達のお菓子を少しだけでいいから分けてやってくれないか』って、マイクロフトから頼まれてさぁ」
「えっ」
思わず、すぐ隣にいるマイクロフトを振り返った。
と、同時に―-
纏わりつく森の木々や茨の蔓の間を掻き分けながら、街から戻ってきたと見られる、大きなカボチャ頭にマント姿のジャックオランタン、全身を真っ白な包帯でぐるぐる巻きつけたミイラ男、血のように赤い唇から鋭い牙を覗かせる女吸血鬼など、森に住む多数のゴースト達が、三人の前にわらわらと近づいて来たのだった。
「マイクロフト!!こんなところにいたのか……って、イーニドも一緒か」
「へぇ、こりゃ丁度いいや」
何が丁度いいのだろう??と、不思議に思うイーニドのすぐ目の前まで来ると、ゴースト達は一斉に、ジャッキー同様、自らの籠の中のお菓子を幾つか、彼女に差し出してきたのだ。
「……ちょっと、これは皆が人間から貰ったお菓子でしょ?!」
「あぁ、そうそう。さっきの話の続きだけど。マイクロフトと俺の二人でさ、一緒に集落中のゴーストや獣人達にイーニドに菓子を分けてくれるよう、頼んで回ったんだよね」
「あ、おい、余計な事を喋るな!!」
友人の暴露に慌てふためくマイクロフト。よく見ると、さっき以上に顔が赤くなっている。
「もしかして、前にあたしが池に行く途中でマイクと彼にすれ違ったのって……。このことを二人で相談し合っていたから??」
マイクロフトは真っ赤な顔はそのままに、無言で頷く。
「……だ、だってよ、毎年のように主人の為に菓子集めるのに奔走しているんだから、このくらいの見返りがあったって別にいいんじゃないか、って思っただけだよ……」
「……じゃあ、ゾーラ様のところへ一緒に謝りに行こう、って、ここまで連れて来てくれたのは……」
「謝りに行こうと思ったのは本当だぞ?!まさか、こうもタイミングよく皆がお前に菓子を渡しに来てくれるなんて、俺も思ってもみなかったけど……。」
最後の方は消え入りそうな、か細い声で話すマイクロフトと、次々とお菓子を差し出してくるゴースト達をぐるりと見回す。
マイクロフトはムスッとふてくされているものの、狼男のジャッキーや、ジャックオランタン、ミイラ男に女吸血鬼、魔女、アンデッド……、中には表情が分かり辛い者もいたが、この場に集まったゴースト達は皆、イーニドにニコニコと優しく微笑んでいる。
「俺達もさ、頑張り屋のイーニドの姿を見ていて励まされる事多いんだよな」
「そうそう!何たって、あのゾーラに嫌な顔一つせず、健気に仕えているだけでも大したものさ」
ゴースト達の笑顔の力に押され、イーニドはおずおずと遠慮がちにお菓子を受け取る。
「皆……、ありがとう……」
イーニドがお礼を述べると、益々もって周りに和やかな空気が溢れ出す。
仏頂面だった筈のマイクロフトの表情も、いつの間にやら緩んでいた。
最終的に、仲間から貰ったお菓子はイーニドの両手一杯に溢れる程の数となった。
菓子をイーニドに渡すと、ゴースト達はすぐに散り散りになってその場を去り、ジャッキーも気を利かせてか、いつの間にか二人の前から立ち去っていった。
(2)
再び二人きりになったイーニドとマイクロフトは、ゾーラとイーニドの棲家へと歩みを進める。
「これだけあれば……、ゾーラ様許してくれるかな……」
両手一杯とはいえ、ゴースト達から貰った菓子の数は例年よりもずっと少ない。
「足りなかったら、俺の分全部やるから」
マイクロフトは、手にしている籠をイーニドの方へ差し向ける。
「そんなの駄目だよ……!ただでさえ、散々マイクロフトに面倒掛けたのに……、これ以上は……」
「別に……、面倒だなんて……。俺はただ……。お前がロリ婆ぁの怒りを買って、この森から追い出されでもしたら……。それだけは絶対食い止めたいんだよ……。その為なら、自分の菓子なんかどうだっていいし、この際、何ならあいつに土下座だってしてやるさ」
「……マイク……」
相変わらず、怒ったような、ぶっきらぼうな口振りでそっぽを向いているので、マイクの表情を窺うことは出来ない。けれど、素っ気ない態度とは裏腹に、イーニドの身を案じている言葉に、自然と胸の奥が熱くなった。そして、肌が触れ合いそうなくらい、彼の傍まで身を寄せる。
「何だよ、急にくっついてくんなよ」
「違う、急に寒くなったから、こうした方があったかいと思っただけだもん」
「はぁ??この程度の冷え込みで何が寒いんだよ。これだから猫は……」
「うるさい。あんたが無駄に毛むくじゃらなだけじゃない」
「てめぇ……、誰が毛むくじゃらだ!」
憎まれ口を叩き合うも、どちらもくっつき合ったまま離れようとしない。その間にも、二人はお菓子の家の前に到着していた。
真夜中過ぎの暗澹たる闇のなかに置いても、メルヘンかつ少女趣味全開なこの家の作りは、集落の家々の中でも際立って目につきやすい。
怖気づくイーニドに代わって、マイクロフトが板チョコの玄関扉をノックする。
「はーい、ちょっと待っててぇ」
舌足らずな甘えた声で返事が返って来る。
しかし、ちょっと待って、と言った割に、ゾーラはちっとも中から出てこない。
「おい……、あいつ、何やってるんだよ??かれこれ一〇分近く待たされてるぞ??」
「多分……、部屋着ですっぴんのままだったから、着替えてメイクをされているんだと思う……」
なんだそりゃ、と、マイクロフトが不快気に文句を言い募ろうとしたのを、イーニドはシッ!と唇に指を当てて窘めたと同時に、「お待たせぇー、って、あら、イーニド??おっ帰り―☆」と、ダークブロンドのツインテール頭に、真っ黒なゴスロリ服を着たゾーラが、勢いよく扉を開け放して姿を現した。
「あれ、マイクロフトじゃん!!何何何――、何でまた、今日に限って二人一緒にいるの??分かったわ!お菓子貰いに行きがてらデートでもしてたんでしょ?!ていうかぁ、二人共いつの間に付き合ってた訳?!?!ちょっとその辺、ゾーラに詳しく教えてよねぇぇ!!まったくもう!いっそのこと爆発しちゃえばいいのにっ☆」
典型的なスイーツ()の例に漏れず、恋バナ大好き(はぁとまーく)なゾーラは、寄り添うイーニドとマイクロフトの姿を見て、勝手にテンションを急上昇させている。
「ほらぁ、二人共早く中に入ってよぉーー。ゾーラに洗いざらいぜーんぶ話してもらうんだからぁ」
二人に向かって、中に入るようしきりに手招きするゾーラ。
「あ、あの……、ゾーラ様……」
すっかり興奮しているゾーラとは反対に、イーニドは青ざめた顔色をして切迫した表情を浮かべている。
「何よぅ、なんでそんなに陰気な顔しているのよぉ??そんなにゾーラに、マイクロフトとのラブラブ話を教えるのが嫌な訳ぇ??」
ゾーラは眉を潜めてイーニドを咎める。
機嫌が傾きかけているゾーラに脅え、つい口を噤んでしまうイーニド。
「あんたの妄想に水を差すようで悪いけど、俺とこいつはただの幼なじみなんで。そういう目で見るのは止めて欲しいんだけど」
言葉を失うイーニドに代わり、心底うんざりした様子でマイクロフトが口を開いた。
「そんなこと言っちゃってぇ、またぁ!マイクロフトってば、本当ツンデレさんよねぇーー」
生意気とも取れるマイクロフトの言葉に腹を立てるどころか、変に都合良く受け取るゾーラ。
「それに、俺がここへ来たのは、イーニドと一緒にあんたに謝りに来ただけだ」
「謝る??」
ゾーラに内心イライラしながらも、マイクロフトは努めて冷静に事の経緯を全て話したのだった。
「……そういう訳で、仕出かしたことは決して許されることじゃないけど……、こいつなりにあんたの事を思っての行動だったんだ。置いてきてしまった菓子と比べたら、数も種類も少ないかもしれない。でも……、こいつの今までの頑張りに免じて、今年はこれだけの菓子しか手に入れられなかったことを許してやって欲しいんだ。足りなければ、俺の分も全部差し出すし……」
すでに菓子を差し出しながらゾーラに頭を下げるイーニドに続き、マイクロフトも深々と頭を垂れて籠を差し出す。
そんな二人を、ゾーラは黙って見つめるだけで、決して二人から菓子を受け取ろうとしない。
やはり怒っているのか――、と、二人が意気消沈し掛けた時だった。
「うわぁぁぁぁぁーーん!!!!!イーニドの馬鹿ぁぁぁぁぁぁ!!!!これっぽっちのお菓子なんかじゃ、明日のサバトで皆から笑いものにされちゃうじゃないぃぃぃぃ!!!!!いやあぁぁぁ!!!!」
ゾーラは小さな子供のようにわざとらしいまでに号泣し、イーニドが抱えていた菓子を奪い取る。強引に奪い取ったために、幾つかの菓子がポロポロと足元に落ちては地面に散らばった。
ゾーラは盛大に泣き喚きながら、奪い取った菓子を次々とイーニド目掛けて投げつけてくる。
「大体さぁ、禁忌を破ったのはイーニドが勝手にやったことじゃない!!ゾーラが頼んだ訳じゃないのにさぁ!!勝手なことして失敗してぇ……、何で、そのとばっちりをゾーラが受けなきゃいけないのぉ!!!!」
「てめぇ!!ふざけんなよ!!!!」
「マイク、やめて!!」
身勝手極まりないゾーラの嘆きに腹を立て、怒りを露わにするマイクロフトをイーニドは慌てて宥める。
「ゾーラは何も悪くないもん!!!!悪いのはぜーんぶ、イーニドなんだからぁ!!!!もうこの森から出て行って!!二度とゾーラの前に現れないで!!!!イーニドなんか大っ嫌い!!!!」
大きな青い瞳に涙を一杯溜め込み、我を忘れて怒り狂うゾーラは、二人の鼻先でバンッ!!と、壊れそうな勢いで乱暴に扉を閉めたのだった。