六話
ハロウィン祭の賑やかな喧騒と暗闇の中に紛れ込み、どうにか無事に森の入り口まで辿り着いたマイクロフトは、繁茂する木々や茨の蔓を魔力で退けてひたすら疾走し続けた。
イーニドはマイクロフトに咥えられながら、しょんぼりと項垂れている。
しかし、森の最奥の池までやってきたところで、マイクロフトはイーニドを乱暴に地面へと放り投げる。受け身を取ったので怪我は避けられたものの、冷たく固い土の上にころんころんと二、三度転がる羽目にはなった。
「……痛い!!何すんのよ!?!?こっちは怪我してるかもしれないって言うのに!!」
即座にイーニドは猫娘の姿に変身し、マイクロフトを怒鳴りつける。が、だらりと伸ばした舌先から泡だらけの唾液を垂らし、息も絶え絶えに荒い呼吸を整える姿を見て、言葉を詰まらせた。
しばらくの間、感覚が短く、浅い呼吸を繰り返していたマイクロフトだったが、次第に落ち着きを取り戻し始める。それと共に、巨大な銀狼の姿から、狼耳と尻尾を持つ少年へと姿を変えたのだった。
マイクロフトは、地面に両手と両膝を付いた四つん這いの姿勢から立ち上がり、座り込んだままのイーニドを上から見下ろす。
「はぁ??そんだけ大声出せりゃ、大したことないだろうが……。ていうか……」
マイクロフトは息を大きく吸い込むと、イーニド以上の大声を出して怒鳴り返した。
「こっっ……、んの、馬鹿猫!!!!何、平気な顔でゴースト界の禁忌を犯してんだよ!!!!お前っ、自分が何をしでかしたのか、よく分かってんのかよ!!!!大馬鹿野郎!!!!」
「……っつ、そんなに馬鹿馬鹿言わないでよ!!!!そのくらい、ちゃんと知ってるわよ!!!!でも……、あたしはジャックオランタンやアンデッドみたいにあからさまなお化けっぽさがないし、狼のあんたと違って非力な猫だから、まだそんなに人間を怖がらせないかな、と思って……!!」
頭ごなしに怒鳴りつけられたイーニドは、吊り上がり気味の金の猫目を益々吊り上げ、更に怒鳴り返す。
マイクロフトは呆れて言葉も出ない、といった体で、薄青の瞳でイーニドを睨みつけていたが、彼女と目線を合わせるべく彼も地面に膝を降ろした。
「……あのな、イーニド」
「……何よ……」
「何で人間の前で正体を晒しちゃいけないのか、お前、本当に分かっているよな??」
先程とは打って変わり、マイクロフトは諭す様な口調でイーニドに話し掛ける。
「人間が、あたし達みたいな人ならざる者を脅かさないようにするためでしょ??」
「……ってことはさ、つまり……。正体晒した時点で、人間から危害を加えられる可能性だって充分あり得る、て訳だ……」
「……あ……」
「……そんなことも考えてなかったのかよ……。お前……、やっぱり馬鹿過ぎ……」
マイクロフトは肩を竦めて長い溜め息をつく。
「…………ごめん…………」
「…………」
「……ねぇ、ごめんってば……」
「……謝るくらいなら、最初からあんな危険な真似すんなよ……」
「…………」
「……ったく、主の魔女様大事とは言え、とんだ無茶しやがって……」
「……だって……」
自分のしでかした間違いにようやく気付き、心から深く反省するイーニド。
そんなイーニドの殊勝な様子を見て、もう一度だけ嘆息するとマイクロフトは険しい顔付きを僅かに緩めた。
「まぁ……、お前も散々な目に遭って懲りたみたいだし……。人間の前で正体晒す真似は、もう二度とするんじゃないぞ??」
「…………分かった…………」
「よし」
ところが、マイクロフトがホッとしたのも束の間、すぐにイーニドの金色の猫目からぼたぼたと大粒の涙が溢れ出した。
「お、おい!?何だよ、いきなり泣くなよ!!そんなに怖かったのか?!」
ギョッとして、わたわたと慌てふためくマイクロフトに、イーニドは大袈裟なまで首をぶんぶんと横に振る。
「……ち、違うの……。確かに、凄く怖かったけど……。それよりも……」
「それよりも??」
「……お菓子を、お菓子を集めた籠を置いてきちゃったから……。……一個も手元に残っていないの……。……どうしよう……。このままじゃ……、ゾーラ様に顔向け出来ない……!!」
直後、イーニドはわぁああ、と、辺り一帯に響き渡るような大声で泣きじゃくり始めた。
いつも元気で、口を開けば憎まれ口ばかり叩いてくる幼なじみが号泣する姿に、マイクロフトはどうしていいか分からず、ただオロオロと狼狽えるより他がない。
参ったなぁ、と、銀色の狼耳をガシガシと引っ掻き、困惑しきりと言った体のマイクロフトだったが、いつまで経っても泣き止まないイーニドに遂に痺れを切らして立ち上がった――、かと思いきや、いきなりイーニドの手首をギュッと引っ掴んだ。
急に手首を掴まれ、吃驚したイーニドは泣き止むと、泣き腫らした目でマイクロフトを見上げる。
マイクロフトは気まずそうにして、イーニドの真っ赤に腫れた猫目から視線を逸らしつつ、彼女を引っ張り起こす。
「めそめそ泣き続けたってしょうがないだろ??ここは正直に、あのロリ婆ぁにひたすら謝り倒すしかないだろ。俺も付いて行って、一緒に謝るから。……お前を助けるのが最優先だったとはいえ、大量の菓子を置き去りにしたのは俺だしさ……」
「……………」
マイクロフトの意外な申し出に、イーニドはつい口をポカンと開け、彼の顔を穴が開きそうな程に、食い入るように見つめる。
自分で言い出した台詞とイーニドの視線が照れ臭いのか、マイクロフトはサッと顔を背ける。
「おい、ボサッと突っ立ってないで、早くあいつの所へ行くぞ。こういうのは早い方がいいに決まってるんだから」
背けた顔はそのままに、イーニドの手首を掴んだままマイクロフトは先へ進もうとする。
「……あ、うん……。って、ちょっと待ってよ!!マイク歩くの速い!!」
「うるせえな、お前が鈍いんだよ」
「何ですって!?」
――――こうして、二人は普段通りの軽い応酬を繰り広げながら、ゾーラの元へと向かったのだった――――。