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二話

 木の上から降り立ったイーニドは、ゾーラの棲家、すなわちイーニドの棲家でもある場所に向かって一目散に駆け出していく。

 行く手を阻む筈の密集した深い木々も絡みつく野ばらの蔓も、イーニドが一歩進むごとにサーッと静かに音を立てながら道を開けてくれる。これはイーニドの持つ、人ならざる者が放つ魔力の力によるものだ。

 人間であれば、視界を遮られ、血を流して立ち往生する木々の中を難なく走り抜けていくと、途中、森の中の一部を切り開いて作られた小さな集落――、ゴーストや獣人達の棲家がひしめく場所に辿り着くも、走るペースはそのままに、集落の一画に向けて走り続ける。

 やがてイーニドは、ウェハースの屋根瓦、ピンク×水色の縞模様をしたスティックキャンディの煙突、キャメル色したビスケットの外壁、茶色い板チョコの扉――と、お菓子で出来た小さな一軒家の前で立ち止まった。


(……えっと、まずはゾーラ様のご機嫌の善し悪しを窺って……。大丈夫そうなら、うまいこと煽てつつ、ハロウィンのお菓子の件をお願いしてみよう……)

 よしっ!と、胸の前で握った両の拳をぐっと引き下げて気合いを入れる。

 そして、扉を開けるべくドアノブを掴んだと同時に、イーニドの猫耳がピクンと僅かに跳ねた。


 扉の向こう側から、弱々しくすすり泣く声が微かに漏れ聞こえてきたからだ。

 気付くとイーニドは、叩きつける勢いで扉を開け放っていた。

「ゾーラ様!!一体どうなさったのですか!?!?」


 外観こそは全て菓子で作られているが、家の中、壁紙や家具・調度品一式はごく普通の素材、ただし、キラキラしたラメ入りのベビーピンクの壁紙、同じくベビーピンクのテーブル、チェア、クローゼット、ドレッサー、ベッド……、ベッドの掛布や天蓋から吊るされているカーテンなどは派手なフリル素材。およそ魔女の部屋とは思えぬ、全てがベビーピンクで埋め尽くされた、少女趣味全開の内装と家具ではあったが。

 そのピンク色の部屋の中、玄関から見て左の隅に置かれたドレッサーの前に、一人の少女がしくしくと泣きべそをかいていた。

 ダークブロンドの長い髪を黒いリボンでツインテールに結い上げ、真ん丸で大きな青い瞳からポロポロと大粒の涙を流す、陶器人形のような美しい顔立ちの少女、もとい魔女ゾーラは、イーニドの姿を確認するなり、座っていた椅子を蹴倒すようにして立ち上がる。

「うわぁぁぁん、イーニドォォー!!どこ行ってたのよぉぉぉ?!」

 ゾーラは泣き叫びながらイーニドの元まで駆け寄り、思い切りガシッ!と抱き付いて来た。

「も、申し訳ありません、ゾーラ様……。ちょっと野暮用で、森の一番奥の池まで出掛けていました……」

 確か、一言告げてから出掛けたんだけどな……、と思いつつ、胸に縋りついて泣き喚くゾーラを必死で宥めすかせる。ゾーラは機嫌を損ねると拗ね方が尋常でなく、後が大変なため、どうやって落ち着かせようかとイーニドは考える。

(あたしを呼び戻したがっていた理由を聞き出して、気を逸らせようかな……)

「ゾーラ様、マイクに呼ばれてこうして戻って来たのですが、あたしに何か急ぎの用があったのですよね??」

 すると、ゾーラはぴたりと泣くのを止め、それまで俯きがちだった顔をおずおずと、ひどく緩慢な動きで上げてみせる。

「…………」

 ゾーラの顔をはっきりと目にした途端、イーニドはぎょっとなり言葉を失った。


 あれだけ泣いていたのだから、瞼が真っ赤に泣き膨れてしまったのは致し方ないとして。

 それ以上にイーニドを唖然とさせたのは、ゾーラの上瞼に黒く細いラインが幾つも引かれていて、おそらく化粧筆でアイラインを引こうとしたのだろう――けれど、上手く描けなかったようで――、瞼の際と睫毛の間を埋めるようにして引くべきラインが大幅にずれている。しかもずれているだけでなく、ガタガタに歪んでもいる。更に、何回もやり直そうと努力したのが却って裏目に出ていて、無駄に線の数ばかりを増やしてしまっただけのようであった。

 これでは、せっかくの美少女が台無しではないか。

 ちなみに見た目は美少女のゾーラだが、実年齢はゆうに百五十歳を超えていることは秘密である。


「あのね……、今度のハロウィン後夜祭サバト用にメイクの練習をしていたの」

「はい」

「それで、今年は魔女界でカリスマ的人気を誇る大魔女マドンナ様が参加するってことで……」

「はい」

 魔女なのに聖女の名を名乗るのか、と突っ込みそうになるのをどうにか堪える。

「マドンナ様は大層お美しいだけでなく強大な魔力を持っている方だから、性格も非常に苛烈な方だと。それで、今年のサバトに参加する魔女達の間ではマドンナ様に倣って……」

「はい」

「『したたかで強気な小悪魔風アイメイクで目力アップ!!これで貴女もクールでカッコいい大人の女性に大変身!!』な猫目メイクが大流行しているから、どうしてもそのメイクでサバトに出掛けたいのよぉ!!」

「……はい……」


 ここでイーニドは、次にゾーラが何を言い出すか、何となく予想がつき始めていた。

 ゾーラは一旦イーニドの傍から離れ、ドレッサーの上に開いたまま置いてあった雑誌を手に取る。そして、見開いたページをイーニドに見せつけるようにして、再び彼女の傍に歩み寄ってきた。

「これこれ!これよ!!」

 ゾーラが指し示した箇所には、キャットラインという、目尻の上をスッと細く跳ね上げたアイラインの引き方を挿絵と共に説明されていた。

「…………」

 愛玩用の子犬みたく大きく丸い、潤んだ瞳のゾーラには正直なところ、このアイメイクは似合わないのでは……、と思い、黙り込む。

「ねーえ、イーニドォー」

 ゾーラがコテンと小首を傾げ、上目遣いで見上げてくる。


 やばい、同性から見てもやばいくらい可愛い。

 可愛いけど、でも、嫌な予感しか、もうしない。


「イーニドは手先が器用でしょ??だからさぁ、このメイク、ゾーラに施して欲しいの!!ねぇお願いー!!」

「……分かりました……。……とりあえず、ドレッサーの前に座っていただけますか??」

 ゾーラの『お願い』に逆らえる訳のないイーニドは、ゾーラの後に続き、ドレッサーの前に進む。

 まずは綿に染み込ませた化粧落としで失敗したアイラインを綺麗に拭き取ると、雑誌の説明に沿ってイーニドは器用に筆先を動かし、ゾーラの目頭から目尻に掛けて、睫毛の隙間を埋めるように美しいラインを引いていく。

 たちまち、ゾーラの瞳はキリリとした強い猫目へと変貌する。

「さっすがイーニド!!ゾーラが自分でやるよりよっぽど上手だわ!!ねぇねぇ、後夜祭サバトの時も、お願いしてもいい??」

 鏡の中の自分に惚れ惚れとしているゾーラの言葉に、イーニドは返答を詰まらせた。

 ハロウィンの夜はお菓子集めに奔走してへとへとに疲れてしまうので、次の日は一日中ゆっくりと過ごしたかった。

 しかし、ちゃっかり者のゾーラはきっと、メイクのみならず髪型や衣装の着つけも全面的にイーニドに任せてくるだろう。そうなると、まだ日が高い時間から起きて準備に取り掛からなければならない。当然、前日の夜の疲れは取れていない。

「ねーえ、お願いー!!」

 イーニドの気も知らずに、尚もゾーラは上目遣いであざとく懇願し続けてくる。

「だって……、メイク一つ満足にできないと、サバトに集まる他の魔女から馬鹿にされるんだもの……。イーニドがメイクしてくれれば、絶対にそんなことにはならないし、むしろ、『どうやってそんなに上手くできるの?!』って羨望の的になれるわ。貴女だって、私が誰よりも美しくいられるのは誇らしいと思ってくれるでしょぉ??ねぇ??」

「…………」

「いいじゃん、いいじゃん!!何も貴女が苦手な事を頼んでいる訳じゃないんだからさぁー!!お願いー!!!!」

「…………」


 潤んだ瞳で見つめてくるゾーラは魔女と言うより、黒い服を着た天使にしか見えない。


「……分かりました。喜んでお手伝いさせていただきます!!」

 とうとうイーニドはゾーラに根負けしてしまった。

「さっすがイーニド!!持つべきものは忠実な僕よねぇー!!」

 顔の前で、合わせるようにして両手を叩いて喜びの声を上げるゾーラに気付かれないよう、こっそりと溜め息をつく。

 溜め息をつきながらもイーニドは、見た目を美しくするならばその分お菓子も数多く持たせなければならない、と考えていた。見掛け倒しだと、他の魔女から馬鹿にされるようでは可哀想だからだ。


 例年よりも、より多くの菓子を得るためにはどうしたらいいだろう。


 イーニドの憂鬱も例年と比べて一層深くなっていくばかりだった。

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