ショート
「……どういう事だよ……」
「エギュラメ様は、我々、ヤギや人間と違うのだ」
「桧毬……」
桧毬はいつの間にか隣のベランダから跳んできていた。三番目の手紙を読んだ文也が混乱するのを予測したかのように。
「エギュラメ様は世界の始まりと共に生まれ、世界が終わるか、光の存在に倒されない限り、エギュラメ様は、存在する御方。
闇の王、魔王のお力にのみ、闇の一族は増え、我々のような繁殖というものもない。
愛というもの自体、我々とあの方とは考え方が違うのだ」
「……」
三番目の手紙で混乱する中で、桧毬の解説は聞こえいるが、頭には入ってこなかった。
呆然とする文也に、対し桧毬は真っ直ぐ文也を見つめる。
「三番目の手紙は読んだのなら。返事を書くのだ」
「返事って」
文也は桧毬の表情に違和感を感じた。三番目の手紙で頭が混乱しているが、そのせいではない気がした。
彼女の中で押し殺していた物が、姿を見せた気がした。
「さあ、エギュラメ様に宛てる返事を書くのだ」
「……」
さらに文也は、桧毬の半目がギョロリと別の意志を持って動いたのを感じ取った。
それと同時に触れてしまった黒い封筒。
2つの波動が体に入り込んだ時、文也の頭と心がショートし、彼は言葉にならない声を発していた。
「文也?」
「ぁ……あ、来るな、来るなっ」
両手で頭を抱えようとしたが、近づいてくる桧毬、というより、彼女の半目から魔王の娘が近づいてくることに、恐怖を感じた。
「あ……」
視界に入ったベランダに続く窓を開け放ち、文也は柵を越えて桧毬のように跳んだ。
ヤギと違い人間の体は、短い飛距離のあと落下した。運動能力の高くない体は地面に叩きつけられる前に、カーポート(一軒家によくある自家用車を雨から守る屋根)にぶつかり大きな音を立てた。
「文也!」
桧毬がベランダから身を乗り出した時、文也の体は、そこから地面に落ちるところだった。
文也は、体、足がものすごく痛くなっているのを何となく感じとっていた。
それよりも、彼を包み込む闇がそれ以上に恐怖で、辺りは夜の闇であることに、更なる混乱を与えた。
闇は、魔王の娘そのもので、彼女が闇の中から手を伸ばし、捕らわれるのではないかと、文也は怯えた。
離れた所から声がした。桧毬か、家族か、近所の住民か、聞き分ける余裕などなく、今の文也にとって、彼女から逃れるため、闇から逃れるため、走り出す事しかできなかった。
運動に馴れていない人間が走りつづける時間は限られている。頭はまだ、闇に逃れようと闇の中を走り続けたいが、体は悲鳴をあげていた。
歩くことしかできなくなった時、闇から腕が伸びた。
文也は声にならない音を僅かに漏らし、腕を振り払おうと、残っている力でありったけ振り払った。
「落ち着け、文也、俺だ」
その声が修二だと気づくまで彼は暴れるように、体や腕を振り回し、それから、電池が切れたロボットのように、全ての動きを止め、重力に従い、倒れるようにしゃがみ込んだ。