算数のテストは渡さなくていい
「お、目が覚めたか?」
文也は目を開き、今まで自分は目を閉じていた事、気を失っていた事を知った。
それから算数のテストに悩まなくて済んだ事にほっとした。
「大丈夫かい?文也君。エレベーターから降りてきたら君が倒れてて、桧毬さんが大丈夫だというから、とりあえず部屋まで運んできたんだよ」
見知らぬ部屋と見たことのない男、それから桧毬がいた。男は30代くらいで、風貌は元ヤンっぽい感じがした。
この者が飼い主の息子、福多英治に間違いないだろう。
「……。どうして俺の名前を知っているんですか?」
「それは、君がこの手紙の持ち主だからだよ」
元ヤンっぽい男は、月とロケットのイラストがある青い封筒を文也に差し出した。
それから、その封筒にセロハンテープでとめたメモが一枚。
『この 手がみ は たけだふみなり じゃない人が あけてはなはない!!
たけだふみなり じゃない人が、この手がみ を はっけん した ばあいは、たけだふみなりがくるまでたいせつ に ほかん しててください』
「英治さんは、家の庭に埋められていた手紙に気がついてくれて、わざわざ預かってくれたらしいのだ。文也、感謝するのだ」
「え、ああ。」
元飼い主だからか、どこかぎこちない桧毬の言葉に気になりつつも、文也は礼と謝罪した。
「ありがとうございます。それとスミマセン。子供だったとはいえ、人様の家に勝手に埋めてしまって」
「俺が言うのもなんだけれども若気の至りは仕方ない」
「はあ」
「管理人さんから『ヒマリが来たといえばわかる』とか言われて、この手紙の主だとピンときたよ。まさか、本当に手紙の主が現れるか思ってもみなかった。あーあ、賭は負けか、後で親父に報告しないとな」
「親父さん、お爺さんは……」
「文也、英治さんは、ここの事を色々知ってて楽しかったぞ」
「桧毬さんは、何年か前に住んでて、君が目を覚ますまで昔話に盛り上がってたよ」
「自分がヒマリだったって言わなかったんだな」
マンションを後にしてから、文也は桧毬に聞いた。
「英治は、良くじい様と喧嘩して、腹いせにヒマリの小屋蹴ったりして、苦手なのだ」
「苦手なわりに話が盛り上がってたのにか?」
「情報収集なのだ。文也に聞いても、知らないレベルだ。
お向かいの戸土倉さん所で起きた近所を巻き込んでの一週間の夫婦喧嘩の原因とか」
「……そうだな」
「英治の奴。結婚して性格が丸くなってじい様とも和解したらしい。良かった良かった」
それから桧毬は聞き取れないほと小さな声でぽつりと言った。
「これでもう、ここに来ることはないだろう」
聞き取れてしまった言葉に文也がどう言って良いのか困っていたが、数メートル先にある角から見覚えのある者が姿を表した。
「修二」
「………………」
2人の存在に気がついた修二は無言のまま歩み寄ると、桧毬に折りたたんだメモ用紙を差し出した。
「桧毬、何も言わずに、これを食べてくれ」
彼の表情からして、渡す必要のなくなったアドレスが書かれた物なのは間違いないだろう。