幼馴染み
「ただいまー」
からりと玄関の引き戸を開けてあかりは大声を出す。神主の家といってもごく普通の古い和風住宅だ。木の床があかりの祖母、ハナエの手によって鏡のように磨かれて襖を映している。縁側に吊るされている風鈴が、坂の下から吹き上げた南風に揺られて、ちりり、と清々しい音を立てた。
「おかえり、あら、すずちゃん、いらっしゃい」
襖から割烹着を着たハナエが顔を出した。
「こんにちわ、おじゃまします」
鈴子は丁寧に頭を下げて挨拶する。どうぞ、と鈴子を促しながらあかりは靴を脱ぐ。
「おばあちゃん、今日、すず泊まるから」
「あら、そうなの。すずちゃん、ゆっくりしてってね」
「はい、ありがとうございます」
再び頭を下げる鈴子に微笑むと、ハナエは台所へと向かった。あかりと鈴子はたたきに靴を揃えて家に上がった。
「なんか持ってくから先にあたしの部屋に行ってて」
「うん」
鈴子は勝手知ったるようすで階段をのぼり始め、あかりはハナエに続いて台所に向かった。昔ながらの広い廊下を進むと、掃き出し窓から境内の掃除をする速水の姿が見えた。
「麦茶でいいかしら」
「うん、ありがと」
あかりはピッチャーとコップと菓子盆をハナエから受け取り、トレイに乗せて運んだ。足で襖を開けて部屋に入ると、鈴子は窓から境内を見下ろしていた。視線の先にはあの池がある。トレイをミニテーブルに下ろしてコップに麦茶を注ぎ終わると、あかりも立ち上がって外に目をやった。その瞬間、まるで気づいたかのように速水が顔を上げ、二人は慌てて部屋の奥に移動した。
「……ぷっ」
どちらからともなく笑い声が上がる。驚き慌てふためいた自分たちがおかしかった。笑い転げながら、床に座り込む。
「あ、どうぞー」
あかりは思い出したように、鈴子の前に麦茶の入ったコップを置く。氷がからからと音を立てて、コップの外側についた水滴がテーブルに流れ落ちた。鈴子はハンカチを取り出して、コップの周りをくるりと拭いて麦茶を一口含んだ。
「冷たくておいしー」
ため息とともに言うと、畳んだハンカチの上にコップを置いて、横にあったクッションを胸に抱いた。あかりのコップはほとんど空になっている。
「そんなに急に飲むと、おなか痛くなるよ」
「なんない、なんない」
あかりは片手にコップを持ったまま、菓子盆に乗ったかりんとうを摘み上げて答えた。ハナエが用意してくれるのは、女子高生がコンビニで選ぶようなお菓子ではない。いつもどこか懐かしい素朴なものなのばかりだったが、二人はそれが気に入っている。つられるようにすずもお菓子に手を伸ばした。小腹が満たされると、あかりはクッションを枕にころりと横になった。畳みにじゅうたんを敷いた床の固い感触が気持ちいい。
「うー、満腹」
「あかりちゃん食べすぎだよ」
仰向けになっておなかを擦っているあかりに笑いかけ、すずはクッションを抱いたままベッドにもたれかかった。
「今日、夕飯何かなあ」
「え、満腹なんじゃなかったの?」
あかりのおなかを突きながら笑うと、すずもあくびをして横になった。二人で黙って転がっていると、自然と瞼が下がってくる。寝入りかけたあかりは、がちゃん、という音に現実に引き戻された。はっと目を開くと、コップが倒れてテーブルの端から麦茶がポタポタと零れている。
「ごめ……蹴っちゃった」
「すず、寝相悪っ」
あかりは笑ったが、鈴子はラグの染みを凝視しながらハンカチで叩いている。
「そんなに気にしなくっていいから」
「ごめ……ごめんね」
もうほぼ乾いているラグを叩き続ける鈴子の横顔を見て、あかりはすうっと息を吸い込んだ。鈴子がニノイチの夢を見たのではないか、という予感はあかりの中で確信に変わっていた。
「なんか悪い夢でも見たー? まーさか、ニノイチの夢だったりしてー」
冗談交じりの口調で言うと、すずはびくんと肩を震わせた。ラグを叩く手が止まっている。
「……何言ってるの。あんなのただの噂だよ」
「そう?」
「そうだよ、居るわけないでしょ、ニノイチとか」
「いるかも。変なもの被ってたりなんかして」
鈴子はゆっくりと顔を上げ、問いかけるようにじっとあかりの目を覗き込んだ。
「すず、見たんでしょ」
「何、言ってるのかわかんない、あかりちゃんに関係な……」
鈴子の目に涙の粒が盛り上がる。
「聞こえたよー、すず」
「……なに、が」
「あかりちゃーん、助けてーって心の声。ねえ、全部話して」
「……なに、言って」
ぽろぽろと鈴子の丸い頬を涙の粒が転がり落ちる。あかりはそっと手を伸ばしてその頬を撫でる。
「あたしも見た、ニノイチ。多分、もう巻き込まれてる。だから話して」
「あかりちゃ……だって……こわくないの?」
「怖いよ。すっごい怖い。でも、あたしの知らないトコですずに何かあったらもっと怖い」
開け放した窓から、一陣の風が吹き込んだ。ポロポロと泣き出した鈴子の背中をあかりは優しくさする。ちりりん、と遠くで風鈴が鳴った。
「昨日、昨日の夜ね……」
鈴子は昨日見た夢の話をゆっくりと語りだした。