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ニ ノ イ チ  作者: タカノケイ
六月十二日(金)
5/36

速水

「すずー! 平気?」


 放課後になってやっと教室に戻ってきた鈴子にあかりは駆け寄った。「うん、ただいま」と鈴子が笑顔で答える。鈴子の顔色は大分よくなっていて、あかりはほっと胸を撫で下ろす。他の生徒は既に帰るか部活を始めていたので、教室には二人しか居なかった。


「あかりちゃん、待っててくれたんだ。ありがとう」

「今日は部活休みなよ。一緒に帰ろう?」

「うん」


 鈴子は頷いて荷物をかばんにつめる。そうしながら、皺になったスカートを気にして、手で伸ばしていた。余程ぐっすり眠ったらしい。かばんのチャックを丁寧に閉めて、鈴子は顔を上げた。


「みーつんに部活休むって言ってくる。ちょっと待っててくれる?」


 鈴子は、かばんをあかりの机の上に置いて教室を出た。鈴子は高校に入り、同じクラスで前後の席になった結衣につられて演劇部に入った。極度のあがり症だから舞台には絶対に上がりたくはないが、台本を書いたり、小道具を作ったりすることに興味があると言っていた。あかりは中学までは本気で剣道に打ち込んでいたが東成高校には剣道部がなかったため、今はいわゆる「帰宅部」だ。

 あかりは鈴子の鞄についているクマのキーホルダーをぼんやりと眺めた。あかりと結衣と鈴子で、四月の遠足の時にお揃いで買ったものだ。それぞれ、違う色のリボンが首に結ばれている。


――わたしは水色、すずはピンクで……あかりんはオレンジって感じかな


 結衣の美しく整った顔立ちと、はっきりした物言いを思い出す。結衣は……今、どこでどうしているのだろう。


「おまたせ」


 鈴子が教室に戻ってきてあかりは我に返った。明るくなった鈴子の表情に安心して、二人で教室を後にする。


「朝、保健室であたしもちょっと寝ちゃったよ」

「……そうなの?」

「もー爆睡! 夢まで見ちゃった。鈴子の顔に涎たらしたかも」

「やだあ」


 二人はケラケラと笑って昇降口で立ち止まる。


「出ないのか」


 急な怒鳴り声に二人はびくんと肩を震わせた。用務員の佐々木が校門に手を掛けて立っていた。閉めるから出るなら早く出ろと言うことらしい。二人は慌てて走りだした。校門を出て、はあはあと息を吐く二人の前でがしゃん、と派手な音を立てて鉄製の校門が閉められた。


「すみませんでした」


 あかりの言葉には答えず、佐々木は舌打ちをして閂をかけた。不審者の侵入を防ぐため、四時以降は体育教官室前の西門以外は閉じる。

 佐々木は「ゴミを落とした」という程度の事で生徒を怒鳴るなど、何かと問題のある男だ。酒臭いこともあるらしい。暑い中、広い学校を回って門を閉めて歩くことにいらついていたのだろう。あかりと鈴子は顔を見合わせると、肩を竦めて歩き出した。若い娘の気楽さで、数歩も歩かぬうちに佐々木の事などは忘れてしまった。

 学校の外は暑いくらいの日差しだった。アスファルトから靄が立ち上って、歩く気力を萎えさせる。坂道を下って、線路沿いを南に歩いて、左に曲がって坂道を登るとあかりの家である神社だ。上り下りしないでまっすぐ行けたら……と思い、一度挑戦したが、民家を避けながらアミダクジのようにクネクネ歩いた結果、学校に着くまで逆に時間がかかった。電車通学の友人には、普通に歩いても十五分で着くくせに……と笑われた。


「ねね、すず。今日久しぶりに泊まりに来ない?」

「え……」


 鈴子は立ち止まる。ニ・三歩そのまま前に進んだあかりは、振り返って首を捻った。


「あれ? あたし何か変な事言った?」

「いや、あの、……いいの?」


 鈴子は上目遣いで問いかける。


「良くなきゃ誘わないでしょー。変なの。このまま、すずんちに寄って着替えとか取って行こ」

「うん!」


 他愛もないアイドルや漫画の話をしながら、保健室で見た気味の悪い夢を、鈴子に話すべきだろうか、とあかりは悩んでいた。あの少女が被っていた銀のバケツには2-1とマジックで書かれていた。あれがニノイチの夢なのかもしれない……そして、ニノイチはあかりではなく鈴子を見ていた。それが鈴子の不眠の原因だと直感が告げている。でも、何の関係もないとしたら……臆病な鈴子を怖がらせるだけだ。そんなことを考えているうちに、二人は鈴子の家の前に到着した。


「ごめんね、ちょっと待っててね」


 鈴子はそう言って家の中に入っていった。あかりは、見慣れた道を見つめる。坂を下ると踏切があり、今度は上り坂になる。少し右曲がりの坂の先には神社の赤い鳥居が三つ並んで見えた。


「おまたせ」

「早っ! 全然待ってないし」


 二人は並んで坂を下る。鈴子の隣の家の主婦が、庭箒をもって出てきた。


「あら、お揃いで遊びに行くの?」

「はい、あかりちゃんのうちに」

「凸凹コンビで、いつも仲良くていいわね、いってらっしゃい」

「はい」


 主婦は笑顔で手を振った。あかりは背が高く痩せていて、すっきりと整った和風な顔立ちをしている。それに比べて、鈴子は背が低くぽっちゃりとして、顔にはまだ中学生のような幼さが残っている。どうにもちぐはぐな感じがするふたりが仲良く坂道を下ると、二人を幼いころから知っている近所の人たちにこんな風に声をかけられることが多い。鈴子はにこにこと手を振りかえして鞄を持ち直した。

 

「お泊り、久しぶりだね」

「だね、高校に入ってから初?」

「うん」


 鈴子はすっかり元通りに見えたが、鳥居をくぐって石段を登り始めると急に無口になった。石段を登りきると立ち止まって意を決したように左を向いた。あかりもつられて左を向く。


「すず、どうしたの?」

「……あの……池」

「池? 池がどうかした?」

「……ううん、なんでもなかった」


 鈴子は作り笑顔であかりに向かって首を振ると、神社の右奥に建っている秋月家の住宅に向かう。あかりは立ち止まって池を眺めた。特に何も変わった様子はない。


「こんにちは」


 後ろから聞こえた声に、あかりは驚いて振り向く。鈴子の近くに、秋月神社の氏子である速水という男が竹箒を持って立っていた。


「……こんにちは」


 鈴子も気づいていなかったらしく、挨拶を返すまで随分と間があった。


 速水は神社のすぐ近くに住んでいて、こうして時々、境内の掃除などを手伝いにくる。あかりの母親の巴と同級生だったと聞いているから、四十半ばのはずだ。既に頭はだいぶ薄く、やはり同い年のあかりの父よりかなり年上に見える。


「こんにちは。いつもありがとうございます、速水さん」


 あかりは二人に駆け寄って早口で礼を言った。手伝ってもらっているのだからもっと愛想よくしなければいけないのだが、どうにも速水が苦手なのである。鈴子も小さい時から遊びに来ているので速水とは顔見知りだが、やはり、あまり好きではないようだった。


「氏子の仕事だからね。すずちゃんは久しぶりだね。今日はお泊り?」

「そうです」

「あかりちゃんも鈴ちゃんもどんどん可愛くなるねえ。あかりちゃんは巴にどんどん似てくる」

「あ、はい、ありがとうございます」


 あかりは頭を下げる。あかりの母、巴は六年前から行方不明になっていた。近所では口さがない者達が「男と逃げた」と噂をしたし、警察にもほとんど取り合ってもらえなかった。それでも、家族は今でも巴を信じているし、あかりもまた、母が自分を置いて失踪したなどと思っていない。だから、速水が「巴」と呼び捨てにしたことがとても勘に障った。そんなあかりの気も知らず、速水はふたりを舐めるように見つめる。


「脚の形まで似てる」

「え、そう……ですか。それじゃ」


 ぞわっとしたものが背中を走って、あかりは鈴子の腕を取って早足で歩き出した。速水は尚も粘りつくような視線をふたりに送る。


「あかりちゃん、池が何か気になるの?」

「はい? いや別に」


 再び呼び止める速水に、内心で閉口して、あかりは思わず少しきつい口調になった。速水は気にした様子もなくニヤニヤ笑いを鈴子へと向ける。


「すずちゃんも気にしてたでしょ? 何かあるの?」

「な……なんでもないです!」


 鈴子の反応は「なんでもない」ものではなかった。だが、速水は急に興味がなくなったように「ふうん、そう」というと竹箒を動かし始めた。あかりは鈴子の肩を抱いて足早に住宅へと向かった。

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