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ニ ノ イ チ  作者: タカノケイ
エピローグ
36/36

祝福

「本当に、ごめんなさい」


 雛子は深々と頭を下げた。「謝って許してもらえることじゃないけれど」と言いながら繰り返し謝る。電車でもバスでも一緒だった三人を墓地で見かけて「奥村の生徒かもしれない」と気が付いて戻ってみたものの、まさか当の被害者だとは思わなかったらしい。長い髪が地面につきそうなほど頭を下げた。


「あなたに謝られる覚えはないですし。とりあえず、燃えちゃうんでお線香上げていいですか」


 あまりに長い謝罪に、結衣が呆れたような声で言う。線香は大分短くなってしまっていた。鈴子が慌てて結衣から線香を半分受け取り、あかりに分けた。三人並んでしゃがみこみ墓石に手を合わせる。どうしたらいい? という視線を合わせるあかりと鈴子を見て、結衣が口火を切る。


「で、話ってなんですか? 聞こえにくいので大声でお願いします」

「……彼がどんな先生だったのか、知りたいと思ったの。でも……」

「いい先生でしたよ。わたしを監禁するまでは」


 結衣ははっきりとした口調で言った。あとは? ときつい声で聞き返す。悲痛な顔だけして内心では面白がって質問してくる人が多くてうんざりしているのだろう。


「あたし、大好きでした。あたしみたいな目立たない子にあんなに話しかけてくれる先生初めてで……で……」


 鈴子がなんとか場を取り繕おうとしたが、最後は俯いて言葉にならなかった。鈴子は自分を刺したのが奥村だったことを、覚えてはいないが知っている。痛い沈黙は続いた。


「あの、奥村先生とは……」


 あかりは遠慮がちに質問する。


「わたしと彼はこの村で生まれて育ったの」


 雛子はぽつぽつと語りはじめた。最寄の駅からバスに一時間以上乗り、そのバス停からも三十分以上歩くような山奥の村でふたりは生まれ育った。村の多くは「奥村」という名字だったので、家には屋号のようなものがつけられていた。奥村守道の家は「道家」。だから彼の一族の男子は名前に「道」の字がつけられる。村で一番立派なお屋敷だったと、雛子は少し自慢げに言った。

 対する雛子の家の屋号は「柱」それは人柱の意味の柱だった。この村の人柱の風習はニュースで知ってるわよね、と雛子は寂しそうに笑った。

 数年から数十年に一度、五軒ある柱の家から順番に、女が一人「人柱」になる。時期は決まっておらず「災いの前兆が見えたら」とされていた。人柱は女であれば老人でもいいのだが、女が一人も居ないという場合を除いて次の家に回すことはできない。村の呪い師が「柱を立てる必要がある」と宣言したその年、柱を務めなければならない雛子の家の女は雛子だけだった。八歳だった。


「柱はね。半月以上ものを食べてはいけないの。ものを聞いても見てもいけない。そしてこの世の穢れを取って、山神に捧げられるの」


 雛子は遠い国の話をしているかのように淡々と話した。


「わたしは柱として捧げられる。儀式を執行するのは「道家」の務めだった」

「先生の家……」


 あかりの呟きに雛子は頷く。あかりにとって、奥村は今でもまだ「先生」だった。


「そう。彼の家の座敷牢に入れられたの。耳を破かれて目を塞がれて……怖かった。でも逃げ出そうとは思わなかった。使命だと思ってたの……なんでかしらね」


 なんで……という小さな結衣の問いかけに、雛子は苦しそうに笑う。


「彼が助けに来たの。わたしは口ではダメだと言ったけど、本当は凄く嬉しかった。彼に手を引かれて山の中を逃げた。里道を下ったら見つかるから山に登ったのね。朝が来て……雨が降ってて……二人で雨宿りして……村を見下ろしながらおにぎりを食べてた」


 今、まさにその風景が見えているように、眼下の湖を見下ろしながら雛子は痛みを隠しきれない顔をした。


「山が爆発して……凄く揺れて……気が付いたら、村が」


 雛子は苦しそうに言葉を切る。鈴子の目から涙が落ちた。結衣は歯を食いしばって聞いている。あかりは、ただ雛子を見つめていた。


「わたし、言ってしまったの。あなたのせいだって。わたしは逃げたくなんかなかったのにって」


 雛子は両手で顔を覆った。恐らく初めて口に出したのだろう。後悔と絶望の重みに細い体が折れてしまいそうだった。顔から引き剥がした手を指が白くなるほど握りしめる雛子を見ながら、あかりは六年前の出来事をぼんやりと思い出していた。

 六年前、あかりは小学生だった。その日は運動会で、スポーツの得意なあかりは一等賞を示す紫色のリボンを肩に二つ留めて、お弁当を食べに父母席に向かった。母はあかりの大好きなフルーツを家に忘れてきていた。「おうちに帰ってからでいいよね?」と言われたのに、あかりはむくれて返事をしなかった。母はフルーツを取りに家に戻った。


――そして


 体中がざわざわとして、胸が締め付けられるように痛かった。「あたしのわがままのせいでお母さんが殺された」一度も口から出したことのない言葉は、あかりの胸のうちでどんどん大きく育っていくようだった。雛子は握り締めた手を見つめたまま、それが義務だというように話し続ける。


「ずっと音信不通だったのに、彼は急に現れたの。大学を卒業した、迎えに来たよ、って。ずっと君を見守ってたって。わたし、怖くなって……また言ってしまったの」


 立ちすくむあかりを前に、雛子は懺悔を続ける。


「殺すのが怖かっただけでしょう。わたしは死ぬのは怖くなかった。村を滅ぼした罪をわたしのためだった、と言うことでわたしのせいにしてるのよ、あなたは卑怯だわ、って」


 あかりは胸に鉛が詰まったようだった。自分がどこに立っているのかわからないような感覚の中、雛子の声だけがすとんすとんと胸の深いところに落ちていく。


「わたしのせいなの。彼、幸せになってくれって言って、凄く寂しそうに笑って立ち去ったわ。わたしの住む町を守るためにあんなことをしたんだわ」


 雛子は泣き崩れた。ごめんなさい、ごめんなさい、と繰り返す。こんな話は聞きたくなかった、とあかりは思った。母が殺された理由を知りたくなかった。奥村には完璧な悪であってもらいたかった。自分が結果として奥村の死に大きく関与してしまったことは、完璧に正しいことであってほしかったからだ。ほんの少しだって「そういうことをしてしまうこともあるかもしれない」と納得したくなかった。だが、心のどこかがそう思ってしまった。「そういうことをしてしまうあるかもしれない」と。奥村が生きるためには、きっとこうするしかなかったのだ、と。それでも……と、あかりは思う。


「違うと思います」


 あかりの言葉に、雛子は少し顔を上げる。


「雛子さんは、あたしのお母さん……一人目の被害者の秋月巴に良く似てます。復讐の身代わりに殺したんだと思います。だって雛子さんを殺せば、二十年前に村を滅ぼしたことが正当化できなくなりますから」


 雛子は黙って目を伏せる。


「雛子さんの言ったように、守ることを理由に、復讐という自分の行為を正当化したんだと思います。復讐ではない、守るための儀式だ、って。そして儀式を正当化するために二葉さんを……その頃には正当化のためなのかなんなのか、自分でもわからなくなっていたのかもしれません。あたしを殺そうとした時、先生は楽しそうに笑ってました」


 あかりは、子供のように無邪気に笑っていた奥村を思い出す。いつから、どこから彼は壊れていたのだろう、あの優しさの全てが演技だったのだろうか。鈴子がそっとあかりの手を握る。


「思い出した……あたしの時も……笑ってました」


 鈴子は震える声で小さく呟いた。結衣がそっと鈴子に寄り添い肩を抱く。


「それでも、わたしの罪は許されないわ。わたしが彼を受け入れていたらこんなことには……」


 雛子は俯いたまま、自分に語りかけるように呟いた。


「いいえ」


 あかりはきっぱりと言い切った。雛子は許されるべきだ、許されていい。そう思ったら、どうして良いかわからないほどだった心の中の濁りがうそのように消えていった。

 母も二葉も……奥村先生も、この村の人たちも、きっと全てが全てを許してくれるだろう。許せないのは、いつでも生きている側だけなのだ、多分。だから、彼らが許したあたしを、あたしは許さなくてはいけない。雛子は雛子を許さなくてはいけない。


「あなたも、あたしもとっくに許されてる。だから、あたし達は」


 あかりは言葉を切る。次の言葉は雛子には残酷かもしれない。


「許されたからこそ、生きなくてはならないんだと思います。幸せにならなければいけないんだと思います」


 再び雛子は泣き崩れた。鈴子が駆け寄って雛子の背中を撫でる。結衣はぼんやり湖を見ている。許されていたのだ、奥村だって本当は許されていたのに。あかりはそっと空を見上げた。


――そうだよね、お母さん


 一陣の風が吹いて、あかりの髪と頬を撫でていった。そのまま優しく湖面を波立たせる。


「あかりちゃん、お母さんの大事な大事な宝物。いつでもあなたが笑顔で幸せでありますように」


 母の言葉はまるで呪いのように強烈な祝福だ、とあかりは苦笑する。ミイイイーン、とどこかで一匹のセミが鳴き出して、そこかしこで一斉に鳴き始めた。


終の夏を謳歌するかのように。


少女達の未来を祝福するかのように。

拙い作品でしたが、お読みいただきありがとうございました。


感想、評価など入れていただけましたら、今後の励みになります。


これからも一生懸命書いていきたいと思います。


これに懲りずにお付き合いしていただけたら嬉しいです♪

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