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ニ ノ イ チ  作者: タカノケイ
エピローグ
35/36

奥村雛子

 東成市の事件から約二か月、世間は夏休みを迎えていた。一連の事件は、その異常性、残虐性で連日ニュースやワイドショーで取り上げられていたが、今はもう下火になりつつある。


「危ないよ、あかりちゃん!」


 鈴子の声が響いた。あかりはごつごつした岩の上から清流の中に落ちそうになり、手をぐるぐると回して慌てて遊歩道に戻った。


「あぶなかったー」

「あかりん、落ち着いてよ。遊びに来たんじゃないでしょ」


 胸をなでおろすあかりに、結衣が麦藁帽子のつばを少し上げて、厳しく注意する。


「すまんすまん」

「まったく」


 顔の前で手を合わせるあかりに向かって、結衣は苦笑した。

 結衣は発見から一週間ほどで体力を取り戻し、二週間で退院した。何度も破かれた鼓膜は自然再建せず、涼しくなったら再建手術を受けるらしい。今は遅れた勉強を夏休み中に取り戻すのだ、と意気込んでいる。

 半袖のワンピースを着た鈴子が、抱えた花束を持ち直しながら、くすくすと笑いだした。


「あかりちゃんは、そのくらいじゃないとね」


 鈴子も結衣と時期を前後して退院した。刃物が鋭くすっぱりと切れていたため、ほとんどの傷は白い線を残すのみとなったが、深く切られた右腕の傷には引き攣れが残ってしまった。鈴子が傷を全く隠さないことはあかりを驚かせた。「結衣を助けた勲章」「あかりちゃんとお揃い」の自慢の傷だといって鈴子は笑った。あかりの腕にも草狩り機で削がれた傷が残っている。傷自体は鈴子のものより浅いのだろうが、削ぐように皮膚を削られたせいで治りが悪く、鈴子の傷よりも目立っている。


「申し訳ない」


 あかりはおどけて言って頭を掻く。あかりは昨日ばっさりと髪を切った。男の子のような長さのショートカットである。今朝、初めて見た鈴子は驚いた顔をした後、からだにぴったりとしたTシャツとフレアのキュロットとよく似合う、と誉めた。三人は以前と何一つ変わらない生活をしている。


 だが、三人の少女の心を引き裂いた傷は、まだ生々しく刻まれたままだった。結衣は暗闇を異常に恐れ、寝る時でも電気を消せなくなった。起きた時に暗いと、恐怖がフラッッシュバッグしてパニックを起こすのだ。鈴子は一人の時に鏡を見ることができない。鏡の端に、ナイフが光る気がするのである。そしてあかりは奥村を傷つけ、結果的に死に追いやったことで身を焼くような罪悪感に苛まれていた。


 今回の事件で、ワイドショーが最も食いついたのは、奥村の出身地だった。百世帯ほどがほぼ同じ苗字の山奥の小さな村。どこにでもあるようなその村は二十年前に日本中の注目を集めた。

 二十年前の六月、村の中央を流れる川が、噴火によって流れ出た溶岩流によって堰き止められた。折り悪く降り注いでいた雨で川は増水しており、村のほとんどが水没し何人もの死者を出したのだ。

 だが、ニュースで面白おかしく騒がれたのは、その後の事件だった。高台にあって水の難を逃れ、廃墟になった家や神社や小学校に、心霊スポットだといって若者が訪れるようになった。その若者達の手によって、神社や小学校から、次々と大量の白骨が発見されたのである。古いものは何百年、新しいもので数十年前になくなったと思われる骨が、何十人分も。しかも同じ部位が同じところから出てきたのである。近代においては最早、化石のように閉鎖的な村のむごたらしい風習に、メディアはこぞって食いついた。

 村人のほとんどは、噴火の際に亡くなり、生き残ったものも口を閉ざし続けた為、騒ぎはすぐに沈静化した。二十年も経った今では、風化した過去の事件となっていたものが、今回の模倣とも見られる事件で再び脚光を集めることになったのである。

 だがそれすらも、事件からニヶ月以上経った今では誰の口にも上らなくなってきていた。


「……本当に、沈んでる家の屋根が見える」


 結衣がぽつりと呟く。遊歩道を登り視界が開けた場所に出ると、眼下に二十年前に出来た湖が見渡せた。あかりと鈴子も湖を見つめて黙って頷いた。

 三人は部活のお盆休みを利用して奥村が生まれ育ったというこの村に来た。親には内緒である。誰が言い出したのかも定かではなかったが、自分達に必要なことだ、という思いは共通していた。


「あれ」


 先頭を歩いていたあかりが立ち止まった。前から白いワンピースを着た女性が歩いてくる。その人は不思議そうに三人を見て会釈をして立ち去った。面影が母に似ていた気がして、あかりは振り返ってその後ろ姿を眺めた。


「……どうする? 行く?」


 今まで誰とも擦れ違わなかったのに、人と出会ったことで臆してしまったのだろう。鈴子が小さな声で確認した。


「もちろん行くでしょ、悪いことしてるんじゃないし」


 さっさと歩いていく結衣に続いて、あかりと鈴子も歩き出す。遊歩道の終わりは目的の墓地だった。


「やばい、全部奥村じゃん」


 あかりが回りを見渡す。一つの墓石から線香の煙が上がっていた。新しい卒塔婆が立ててある。結衣が、墓石の裏に回って卒塔婆を読んだ。


「あかりん、これで間違いないと思う。戒名に先生の名前が一文字はいってるし、没年が」


 結衣は言葉を切る。あかりは結衣の隣に立ってその文字を確認した。


「そうだね……」


 あかりはぽつりと呟く。奥村先生がここに埋まっている、あかりはそれがとても不思議な気がした。


「奥村明道 六十三才、八重 六十才、奥村重道 三十三才、法子 三十一才、輝道 六才、愛子 三才……全部二十年前の六月一日」


 あかりは墓石に刻まれた名前を読み上げる。ニュースで知ってはいたが、実際に風化した文字を見ると胸に迫るものがあった。奥村はこの日に、自分の家族の全てを失ったのだ。


「さっきの人、先生の知り合いかなあ」


 空気をやんわりと入れ替える声で鈴子が囁く。結衣は周りを見回した。花は所々に上がっているが、線香の煙が上がっているのはここだけだった。んー、とあかりは女性の立ち去った小道を背伸びして眺める。


「とにかく、お参りしましょ」


 結衣がショルダーバッグから、線香とライターを取り出した。鈴子が花束の包まれている紙を剥がす。


「水汲んでくるね」


 あかりは墓地の入り口にあった備え付けの水道に向かった。蛇口に黄土色の小ぶりのやかんがかけてある。あかりは蛇口を捻ってやかんに水を半分ほど汲んだ。


「あの、もしかして、……奥村の……生徒さん?」


 突然話しかけられて、あかりはびくっと震えてやかんを取り落とした。振り返ると先ほどすれ違った女性が立っている。女性の足下に、ころころとやかんの蓋が転がっていった。そうですけど、とあかりは小さな声で答える。


「ごめんね、驚かせて」


 足下に転がったやかんの蓋を拾い上げて女性は謝った。


「奥村雛子(ひなこ)といいます。東成市に住んでいて商工会議所に勤めています……怪しいものではないので、迷惑じゃなかったら、少し話せませんか」


 奥村雛子(ひなこ)と名乗った女性はにっこりと微笑む。あかりは呆然とその姿を見つめた。母に本当に良く似ていた。

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