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ニ ノ イ チ  作者: タカノケイ
六月十七日(水)
28/36

夜道

 二十一時を回った頃、五時間近く叩きつけるように降っていた雨が、ようやく少し勢いを落とした。あかりは部屋に戻って携帯を開く。ふ、と奈々からの返事がないことが気になった。


「雨凄かったね~! 明日自転車持ってくね。ありがとう。このお礼は体で」


 最後にハートマークをつけて送信する。いつもなら、遅くても三十分あれば返事が来るのに、一時間待っても返事は来なかった。奈々はバイト中でもすぐに返事をよこすのに……胸騒ぎがおさまらず、あかりは何度も携帯電話を確認した。いろいろなことを頭の中で整理しようと思うのだが、思考が逸れて集中できなかった。


「なんか疲れちゃったな……」


 ぽつりと弱音を吐く。悪く考えすぎだと思う。これだけ事件が明るみに出て、警察が乗り出しているのだ。これ以上、犯人に何かできるとは思えない。それにニノイチ……二葉は、何の害もない気がする。はっと気がついて、また携帯を掴み、鈴子へのメッセージを打ち込み始めた。


《あかりん》 ニノイチは二葉さんだった。助けてもらったの。怖くないからね。レインコートからは逃げたほうがいいかも


 支離滅裂な文のまま送信する。鈴子が二十四時になる前に気が付けばいいのだが……あかりは今まで気がつかなかったことを悔やんだ。時計を見ると二十二時を少し過ぎたところだった。何とか間に合うだろう。


《あかりん》 多分だよ。信用していいと思うけど、騙されてる可能性もあるかもだよね


 もう一度、鈴子に送信する。間もなく、ぽん、と小さく携帯が鳴った。


《すず》  了解。あとで会おう

《あかりん》うん、頑張ろう


 また、携帯がメッセージの着信を告げる。送り主は鈴子ではなく奈々だった。


《7》  今、わたしはどこにいるでしょう


 そう一言表示されている。


《あかりん》は? どこ?

《7》   はてなまーく


 一瞬考えて、奈々が昼間に書いた地図を思い出す。「? 頭?」と書かれた場所、今は使われていない東成ダムだ。


《あかりん》なんで? なにやってんの?

《7》   なんにもー


 信じられない! あかりは呆れてものも言えないとはこのことか、と思った。返事を書く前に続けざまにメッセージが送られてくる。


《7》  なんか外から変な声する。お経みたい。きもちわるい。


 あかりは驚いて跳ね起きる。奈々の番号に電話をかけて、携帯を耳に押し付けるが繋がらない。あわててメールの画面に戻す。


《あかりん》 奈々! 逃げて!

《あかりん》 どこかに隠れるか

《あかりん》 奈々! 返事して!


 いくらメッセージを送っても、奈々がそれを読んだ、という記録がつかない。


「奈々……」


 あかりは立ち上がって、パーカーを羽織った。部屋に置いたままにしていた木刀を掴む。


「そんなもの持って、夜中にどこに行くの!?」


 木刀を抱えてスニーカーを履くあかりに気づいてハナエが声を荒げた。


「ん? 彩夏んち」


 あかりは俯いたままで告げた。本日三つ目のウソだ、とあかりは唇を噛む。別の高校に進んだが、小・中とあかりと鈴子と仲の良かった彩夏はいわゆる「恋多き女」で、男と別れるたびに、あかりか鈴子が呼びつけられる。


「……あらそう。気をつけてね」


 ハナエは、またかという表情をしてと部屋に戻った。彩夏の家は、線路道から神社への上り坂の真ん中より少し上、あかりの家からは歩いて五分もかからない。危険はないと思ったのだろう。


――ごめん、おばあちゃん


 あかりは迷った末、和彦に電話をしたが、話し中で繋がらなかった。家の裏手に回って自転車に跨り、小雨が降り注ぐ一気に坂道を下る。細かい雨がぱちぱちと頬やまつげにあたった。やはり、父に行き先を知らせようか、と一瞬悩んで、学校への坂の下で自転車を止めた。

 父はとても怒るだろう。心配するのと同じ分だけ怒るに違いない。その怒りはそのまま愛だ。そう思うと奈々のことは誰かに任せて引き返したくなった。あかりは来た道を振り返る。


「失敗しちゃった? えらいねー。なんでかって? だって、成功させようって思って挑戦したんでしょう?」


 あかりの中で、母の懐かしい声が鮮やかに再生された。どんな理由や言い訳を思いついても、奈々を見捨てることは絶対に出来ない。結局、連絡はせずに坂道の先に見える学校を睨んで、あかりはペダルを踏み始めた。

 学校の東側の道を曲がり、鈴子がくぐったフェンスの穴の横を走り抜ける。しばらく平らだった道はだんだん急勾配になって、山際に沿って右にゆるくカーブを描いて登っていった。あかりは立ち上がって自転車を漕ぎはじめた。首筋に汗が流れる。そのころには周りに家はぽつぽつとしか見当たらなくなっていた。

 遠くから電車の走る音がして、見下ろすと四両編成の電車がトンネルに吸い込まれていくのが見えた。


「この道であってると思うけど……この道しかないし……奈々、自転車ないのに一人で歩いたのかな」


 電車を見てから十分以上も進んだが、何も見えてこない。心細くなってあかりは声に出して言った。まるでニノイチの夢の中の世界のようだ。雨は止んで月が出ていたが、外灯はひとつもない。自転車のか弱いライトがウーウーというモーター音の強弱とともに強くなったり弱くなったりしながら、頼りなく地面を照らす。あかりは自転車のライトを消して、懐中電灯をつけてかごに入れた。少しは強い光と、軽くなった自転車に心強くなった。

 その後も道はどんどん細くなった。ガードレールはところどころ折れ曲がり苔むしている。急なカーブを曲がると、急に道路が広くなり、その先に建物が見えた。赤レンガづくりの高い柱が二本立っている。そこから建物を囲んであかりの身長ほどの高さの壁が回っていた。鉄製の門は閉められているが、錠前は壊され、人がひとり入れるくらいの細い隙間が開いていた。

 あかりは自転車を止めて、懐中電灯を首から下げた。


「よし」


 右手に木刀を杖のように持ち、左手で懐中電灯を掴むと、あかりは門の隙間を潜った。元はコンクリートだと思われる地面は、折れた枝や降り積もった落ち葉でびっしりと覆われていた。激しく降った雨で、ずっしりと濡れていて、あかりのスニーカーはあっという間にびしょびしょになる。

 管理棟はかなり大きな建物で、やはり赤レンガで造られている。三階建てだろうか。元々はダムの管理塔以外の用途で使われていたのかもしれない……あかりは建物を見上げながら進んだ。

 建物の前までたどり着いたが、正面の扉は固く閉ざされていた。大きな南京錠が掛けられ、とても開きそうにない。あかりはため息をついて裏手に回ろうと建物沿いに歩き出した。角までたどり着いたとき、エンジン音が聞こえて、車のライトがあかりを照らした。

 車のドアが開き、運転席から誰か降りたのがわかった。バタン、ドアを閉める音がやたらと大きく響いた。

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