豪雨
鈴子の病室の前には制服の警察官が立っていた。
「あかりちゃん、かな? どうぞ」
真知子に電話しておいたのですぐに話が通じた。あかりは深々とお辞儀をして、ご苦労様です、と頭を下げて扉を開けた。病室に入るとまっさきに奥村に目がいった。次に鈴子と目が合う。奥村を目の前にすると上気して真っ赤な頬になる鈴子は、まだ血が不足しているのか冴えない顔色をしていた。それでもあかりを認めるとほっとした目になり笑顔が浮かんだ。
「秋月さん、来たんですか」
「はい。……電話で声を聞いたら、どうしても会いたくなってしまって」
「ふたりは本当にいい友達ですね」
奥村は、真知子に向かって微笑む。ええ、赤ん坊の時から一緒ですから、真知子は嬉しそうに笑った。それから、ふたりの子供時代の話に花が咲き、お弁当を食べ損ねたあかりの腹が、ぐう、と鳴った。
「ああ、長居をしてしまいました。では」
奥村は、さっとパイプ椅子から立ち上がった。その早い動きに驚いたのか、鈴子がびくっと体を震わせる。
「あかりさん、帰りましょう。もう五時間目も終わりそうだ」
「あ……はい」
促され、条件反射であかりは立ち上がった。相手は先生なのだ。逆らってはいけないと、脳に刻み込まれている。
「あかりちゃん」
鈴子の声で我に返る。
「あ、あー、あたし奈々の自転車で来たんです。自転車で帰らないと奈々が帰りに困るんで」
「そうですか、じゃあ外まで一緒に行きましょうか」
奥村はにっこりと微笑む。そんなことなんでもない、ただ外まで歩くだけだ。それなのに、何故かあかりの心臓はばくばくと波打った。
「はい……。あ、あれ、鍵がない」
あかりはリュックの中をごそごそとかき回す。自転車の鍵はとっくに見つけていたが、口実が欲しかった。
「先生、六時間目授業があるんですよね? 遅れちゃうから先にいってください」
あかりはウソが得意ではない。リュックの中を覗きこむことを理由に、奥村の目を見ないで言った。
「……わかりました。じゃあ先に行きます。車に気をつけてね」
奥村は真知子に向き直る。
「では、お母さん、お大事にしてください」
「いいえー、本当にわざわざ……」
奥村を見送るために真知子は一緒に病室を出ていった。あかりはすとん、とパイプ椅子に腰掛ける。
「ねえ、あかりちゃん」
「ん?」
二人きりになった気安さで、あかりはパイプ椅子を引きずってズルズルと鈴子に近づく。
「あたし、何か忘れてる気がするの……お父さんもお母さんも、何も言わないし」
「うん」
「あたし、本当に車に轢かれたの?」
あかりは言葉につまる。鈴子はそんなあかりの顔をじっと観察している。
「花壇を掘りに行ったのは覚えてるの。でも学校を出た記憶がないんだ」
「ごめ……、あたしも教えてもらえないから」
真っ直ぐ見つめてる鈴子に、あかりは苦し紛れのウソをつく。これで今日はウソを二回ついた、胸がきゅっと痛む。
「そう……」
鈴子は悲しそうに目を伏せる。
「そんなこと、気にしないでさ! 理由はなんだって、食べて、寝て、早く治して?」
「うん。そうだね」
あかりは、調子のいい口調で言いながら、鈴子に笑いかけた。頷く鈴子に、そうだ、そうだ、と何度も頷く。
「結衣ちゃん、どこにいるのかなあ。結衣ちゃん、痛い思いしてないかな」
「きっと見つかるよ。あたしが見つける」
不安げな鈴子の手を握って、あかりは自分に言い聞かせるように言い切る。うん、でも危ないことしちゃだめだよ? と鈴子も手を握り、痛みを感じたように顔をゆがめた。肘から手首まで巻かれた包帯が痛々しい。
「この傷が一番酷いの。二十針縫ったって。傷残るかな」
あかりの視線に気がついた鈴子が腕を見て呟いた。
「今は、いろんな技術があるし、うちら若いから! もし嫁にいけなかったら、あたしが貰ってやる!」
あかりは布団ごと鈴子をそっと抱きしめる。鈴子は傷をとても気にするだろう。怪我をしたのが、傷が残るのが自分だったらよかった、とあかりは思った。
「まあまあ、本当に仲良しね」
戻ってきた真知子が二人を見てからかうように言った。
「……お母さん、娘さんを私にください」
あかりは鈴子に抱きついたまま、低く真剣な声で言う。一緒に入ってきた看護師が吹き出して、病室は笑いに包まれた。真知子は笑いながら、なんども目尻を擦る。
「仲がいいのはいいけど、あまり疲れさせないようにね」
一笑いしたあと、看護師に注意され「また明日来るから」と言ってあかりは病室を出た。ホールまで降りて携帯の電源を入れると奈々のメッセージが、たくさんはいっていた。
《7》 言いわすれてた! 小倉二葉って不思議ちゃんだったんだってさ
《7》 自分の頭の中に人を閉じ込められるとか言ってて
《7》 で、実際入ったことあるっていう人もいるらしいんだけど話は聞けなかった。
《7》 キモイよねw
《7》 じゃ、自転車、明日でいいから
あかりは少し考えた後、メッセージを打つ。
《あかりん》 いろいろさんきゅー! 自転車、そうさせてもらうね
自分の頭の中に人……まるでニノイチの夢じゃないか。なぜ三年前、誰もニノイチが二葉だと思わなかったのだろう。病院を出ると雲行きが怪しくなっていた。数日ぶりに雨が降るのかもしれない。今日はもう学校に戻るのはやめよう、あかりは急いで自転車に乗って、まっすぐ家に帰った。
◆
夕飯を食べていると、寺の下の地面から人間の右腕、二本分の白骨が見つかった、というニュースが流れた。
「神社の池と、近所に住む四十代の男性の家から発見された大腿骨、高校の花壇から見つかった二人分の胸部の白骨との関連性を……」
夕方に降り始めた雨は激しさを増していて、あかりは慌ててテレビのボリュームを上げた。和彦が何か聞きたそうな顔であかりを見ている。ハナエと大和は黙って食事を続けている。
「友達が……電話して……」
あかりは箸を咥えたままごにょごにょと言い訳をした。大和も居たせいか、和彦はそれ以上追及しなかった。外では雨が更に激しさを増していた。雷も酷くなったので、テレビを消して、全員で居間に固まる。
「台風みたいだねえ……」
「もしかして明日、学校やすみになるかな!」
窓の外を見て呟くハナエの言葉を聴いて、うれしそうな声で大和が叫んだ。台風なら休めると思ったのだろう。
「じきに止みます。宿題はしておきなさい」
ハナエにたしなめられ、大和は口を尖らせてノートに向き直った。その時、和彦の携帯が鳴った。深刻そうに話して電話を切る。
「蛇森地区に避難指示が出ました。これから役場に行ってきます」
「こんな中を?」
「すみません」
蛇森地区は、昔から崖崩れと水害の多い地区だ。学校や神社から見れば西。女子生徒がなくなっていた用水路より、更に山側に進んだところだ。
「いいえ、ご苦労様です。気をつけてくださいね」
ハナエが和彦に合羽を手渡す。
「じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃい」
和彦が玄関を開けると、台風のような風と雨が境内を打っていた。びょうびょうと雨風に打たれながら出て行く和彦を見送ると、三人は黙りこくったまま居間に戻った。あかりと大和の不安げな顔に気づいたのか、ハナエはぽん、と手を打って「とっておきのをだしちゃおう」と奥の間からお菓子の包みを持って居間に戻ってきた。
「成山のみそ饅頭!」
ふたりは和菓子の包みに飛びつく。
「お茶のおかわりがいるひとは?」
「はーい!」
あかりと大和の返事が重なり、三つの湯飲みに暖かいお茶がたっぷりと注がれた。




