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ニ ノ イ チ  作者: タカノケイ
六月十七日(水)
26/36

昼休み

 廊下側の一番前の席は、一人でお弁当を食べるのには最適だな、とあかりは思った。奈々を危険に晒すわけにはいかないからこれでいい、と自分を納得させてため息をつきながらお弁当をつつく。


「秋月さん、ちょっと」


 そろそろと目の前の扉が開いて、奥村があかりを手招きをした。


「あ、お弁当はそのままでもいいです」

「はい」


 あかりは奥村の後を追って教室を出る。誰も居ない事を確認して尚、奥村は小さな声で呟いた。


「永沢鈴子さんの意識が戻ったそうです」

「本当ですか!」


 思わず大きな声になって、あかりは両手で自分の口を塞ぐ。


「これから病院に行くんだけど、秋月さんも一緒に来ますか」

「え……」

「特別に、内緒でですよ?」


 奥村のご褒美でも与えるような口ぶりに、思わず返答につまった。今すぐにでも飛んで行きたいのは間違いない。だが……奥村の車に乗っていいものだろうか。「奥村に気をつけろ」そういった佐々木の顔が思い浮かんだ。


「いえ、私がいっても何もできないから勉強してます。すずのためにノートをキレイに取っておかないと」


 気がつくと、あかりは早口で言い訳がましく断っていた。


「そう……ですか。意外にさっぱりしているんですね」


 奥村は嫌味にも取れるような口ぶりで言った。眼鏡の奥の色素の薄い瞳に、心の底まで覗き込まれているようで、あかりの背中に冷たいものが流れる。廊下に出てきた生徒がそんな二人を不思議そうに見た。


「それも、もっともですね。じゃあ先生だけ行ってきます」

「……はい、お願いします」


 奥村が去るとすぐに、あかりは鈴子の母、真知子に電話をかけた。


「もしもし? あかりちゃん?」

「はい、あの、れーちゃんママ、今どこに居ますか?」


 慌てすぎて懐かしい呼び方で真知子を呼んでしまい、気がついた真知子にふふふ、と笑われる。


「病院よ」

「あの、今担任の先生が行ったんで、病室にいてもらっていいですか?」

「ええ、もちろんいいけど……」

「絶対にれーちゃんを一人にしないでくれますか?」

「どうして?」


 あかりは何も言えなくなって黙り込む。


「鈴子、事件のことは何も覚えてないんだけど……電話かわるからちょっと待っててね」

「えっ」


 保留音が流れる。事件の事は覚えていないということは、そのことは話すな、という意味だろう、とあかりは理解した。ラウンジから病室に移動するくらいの間があって、保留音が解除された。


「……もしもし、あかりちゃん?」

「すず……すず? すず! すず! すず!」


 あかりにとっては聞き間違うことのない鈴子の声だった。その声は掠れて小さく、胸がいっぱいになって、名前を呼ぶことしか出来なかった。ふふ、と鈴子の柔らかい笑い声が聞こえ、あかりの涙が頬を伝った。泣いてばかりなのにどれだけ出るんだ、と自分でもおかしくなって笑う。


「すずー、すずー、うー」

「はい、はい、はい、はーい」


 あかりの呼びかけのひとつひとつに返事をして、鈴子はまたふふふ、と笑った。事件を覚えていないというのはどこまでだろう。ニノイチのことも忘れてしまったなら、そのほうがいいとあかりは思う。


「だ……だい……大丈夫? すず、大丈夫?」

「うん、ちょっと痛いけど」

「痛いの!?」

「ちょっとだよお」


 相変わらず、鈴子はくすくす笑う。こっちの気も知らないで、とあかりが拗ねると余計に笑った。


「あのね、あかりちゃんのママに会ったよ」

「……え」

「こっちに来ちゃダメよって言われた」

「……そ……」


 もう言葉にならなかった。昼休みの廊下で、あかりは声をあげて泣く。


―――お母さん、ありがとう。すずを助けてくれてありがとう


 教室から出てきた奈々がそんなあかりに気がついて、驚いた顔で駆け寄ってくる。そして、わけもわからないだろうに、ぎゅっとあかりを抱きしめた。


「すず、意識が戻った。あたし、病院にいってくる」


 しゃくりあげながら、ようやくそれだけ伝える。奈々は頷くと、スカートのポケットを探る。


「はい」


 奈々は小さなキーホルダーのついた自転車の鍵を差し出した。


「わかるよね? 一番赤いやつだよ。西校門の自転車置き場はまだ使えないから。部室の脇の仮置き場だからね」

「奈々……ありがと、大好き」


 あかりは奈々をぎゅっと抱きしめると、鍵を受け取って走った。奈々の真っ赤な自転車は一目でそれとわかった。今年は本当に空梅雨で、六月だというのに太陽は真夏のように輝いている。あかりは線路道への下り坂をブレーキをかけずに一気に駆け下りていった。

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