昼休み
廊下側の一番前の席は、一人でお弁当を食べるのには最適だな、とあかりは思った。奈々を危険に晒すわけにはいかないからこれでいい、と自分を納得させてため息をつきながらお弁当をつつく。
「秋月さん、ちょっと」
そろそろと目の前の扉が開いて、奥村があかりを手招きをした。
「あ、お弁当はそのままでもいいです」
「はい」
あかりは奥村の後を追って教室を出る。誰も居ない事を確認して尚、奥村は小さな声で呟いた。
「永沢鈴子さんの意識が戻ったそうです」
「本当ですか!」
思わず大きな声になって、あかりは両手で自分の口を塞ぐ。
「これから病院に行くんだけど、秋月さんも一緒に来ますか」
「え……」
「特別に、内緒でですよ?」
奥村のご褒美でも与えるような口ぶりに、思わず返答につまった。今すぐにでも飛んで行きたいのは間違いない。だが……奥村の車に乗っていいものだろうか。「奥村に気をつけろ」そういった佐々木の顔が思い浮かんだ。
「いえ、私がいっても何もできないから勉強してます。すずのためにノートをキレイに取っておかないと」
気がつくと、あかりは早口で言い訳がましく断っていた。
「そう……ですか。意外にさっぱりしているんですね」
奥村は嫌味にも取れるような口ぶりで言った。眼鏡の奥の色素の薄い瞳に、心の底まで覗き込まれているようで、あかりの背中に冷たいものが流れる。廊下に出てきた生徒がそんな二人を不思議そうに見た。
「それも、もっともですね。じゃあ先生だけ行ってきます」
「……はい、お願いします」
奥村が去るとすぐに、あかりは鈴子の母、真知子に電話をかけた。
「もしもし? あかりちゃん?」
「はい、あの、れーちゃんママ、今どこに居ますか?」
慌てすぎて懐かしい呼び方で真知子を呼んでしまい、気がついた真知子にふふふ、と笑われる。
「病院よ」
「あの、今担任の先生が行ったんで、病室にいてもらっていいですか?」
「ええ、もちろんいいけど……」
「絶対にれーちゃんを一人にしないでくれますか?」
「どうして?」
あかりは何も言えなくなって黙り込む。
「鈴子、事件のことは何も覚えてないんだけど……電話かわるからちょっと待っててね」
「えっ」
保留音が流れる。事件の事は覚えていないということは、そのことは話すな、という意味だろう、とあかりは理解した。ラウンジから病室に移動するくらいの間があって、保留音が解除された。
「……もしもし、あかりちゃん?」
「すず……すず? すず! すず! すず!」
あかりにとっては聞き間違うことのない鈴子の声だった。その声は掠れて小さく、胸がいっぱいになって、名前を呼ぶことしか出来なかった。ふふ、と鈴子の柔らかい笑い声が聞こえ、あかりの涙が頬を伝った。泣いてばかりなのにどれだけ出るんだ、と自分でもおかしくなって笑う。
「すずー、すずー、うー」
「はい、はい、はい、はーい」
あかりの呼びかけのひとつひとつに返事をして、鈴子はまたふふふ、と笑った。事件を覚えていないというのはどこまでだろう。ニノイチのことも忘れてしまったなら、そのほうがいいとあかりは思う。
「だ……だい……大丈夫? すず、大丈夫?」
「うん、ちょっと痛いけど」
「痛いの!?」
「ちょっとだよお」
相変わらず、鈴子はくすくす笑う。こっちの気も知らないで、とあかりが拗ねると余計に笑った。
「あのね、あかりちゃんのママに会ったよ」
「……え」
「こっちに来ちゃダメよって言われた」
「……そ……」
もう言葉にならなかった。昼休みの廊下で、あかりは声をあげて泣く。
―――お母さん、ありがとう。すずを助けてくれてありがとう
教室から出てきた奈々がそんなあかりに気がついて、驚いた顔で駆け寄ってくる。そして、わけもわからないだろうに、ぎゅっとあかりを抱きしめた。
「すず、意識が戻った。あたし、病院にいってくる」
しゃくりあげながら、ようやくそれだけ伝える。奈々は頷くと、スカートのポケットを探る。
「はい」
奈々は小さなキーホルダーのついた自転車の鍵を差し出した。
「わかるよね? 一番赤いやつだよ。西校門の自転車置き場はまだ使えないから。部室の脇の仮置き場だからね」
「奈々……ありがと、大好き」
あかりは奈々をぎゅっと抱きしめると、鍵を受け取って走った。奈々の真っ赤な自転車は一目でそれとわかった。今年は本当に空梅雨で、六月だというのに太陽は真夏のように輝いている。あかりは線路道への下り坂をブレーキをかけずに一気に駆け下りていった。




