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ニ ノ イ チ  作者: タカノケイ
六月十六日(火)
24/36

六夜

 ニノイチはじっとあかりを見下ろしている。通じているのか、いないのかすらもわからないので、あかりはじっとニノイチを観察する。

 初めて見たときに青白く苔が生えていたようだった足がきれいな肌色になっていることに気がついた。セーラー服も真新しいと言えるほどきれいだ。だが、そこから伸びる二本の腕は、真っ白でところどころ変色し、取ってつけたように青い血管が浮いている。まるで死体のようだ。

 ふ、とニノイチの制服の胸ポケットに入っている生徒手帳が目に入った。驚かさないよう、あかりはゆっくりと立ち上がった。すっと手を伸ばして、一瞬で生徒手帳を抜き取った。ニノイチは何も反応しない。


 二年一組七番 小倉二葉


 生徒手帳に書かれた文字を読んで、あかりは息を飲む。

 

――あなたは二葉さんだったの、ずっと、ここに居たの?


 何故だかじわりと涙が浮かんだ。生徒手帳には、はにかんだような表情の目元の涼しい少女の写真が貼り付けられている。

 あかりはじっと銀色のバケツを見つめ、そうっと手を伸ばしてバケツに触れた。ニノイチ……二葉が嫌がらないことを確認して、そのまま、ゆっくりと持ち上げる。だが、バケツは貼りついた様に外れなかった。

 

 (う で を さ が し た い の ?)


 あかりは再びしゃがみこんで、地面に書いた。ニノイチ……小倉二葉は何の反応も示さない。


 (ゆ い を し ら な い ?)


 そこまで書いたとき、二葉はふっと消えて、数メートル先に移動した。


「ちょ、ちょっと待って!」


 音にならない声を上げて、あかりはニノイチ――二葉を追いかける。何度か移動して、気がつくと寺の本堂の前にいた。二葉は本堂の高い床の下を指差す。子供なら入り込めるだろうが、大人では膝をついてやっと入れるくらいの高さだ。


 ここに、あるのだ。恐らく、彼女の腕か頭……まだ見つかっていないパーツが。あかりはじっと床下の暗がりを見つめた。二葉がふっと身を固くするのを感じてあかりは顔を上げる。


「オン、ア、ビ、ラ、ウン、ケン、ソワカ」


 声が響いた。またあの声だ。音の無い世界に唯一響く声。あかりは体を反転しながら左右を見回す。


「オン、ア、ビ、ラ、ウン、ケン、ソワカ」


 声は遠くなり、近くなりしながら続いている。自分を探しているのだろうか? それとも二葉を? 


――隠れなくちゃ


 あかりが床下に潜り込もうとすると、二葉がそっと制服の裾を引いた。振り返ると、既に遠くに移動している。あかりは慌てて追いかける。二葉が移動した先には物置があって、木の扉が壊れていた。その隙間から中に入り込む二葉を見て、あかりも続けて潜り込んだ。


「オン、ア、ビ、ラ、ウン、ケン、ソワカ」


 声はいよいよ近づいている。音の無い世界なのに、息をするのも躊躇われた。やがて呪文の声は小さくなっていき、聞こえなくなった。二葉に触れていたはずの二の腕から重みが消え、見ると二葉は消えていた。


――カチコチ カチコチ


 無音に慣れた耳に、電波時計の音が大きく響く。


――帰ってこられた


 あかりは自分の部屋のベッドの上にごろりと横になる。ニノイチは、小倉二葉だった。三年前の行方不明者。だから十年前に卒業した久美姉はニノイチを知らなかったのだろう。まだ報道はされていないが、見つかったのは彼女の骨に違いない。

 六年間に母を殺したのはニノイチという怪奇現象ではなかった。当時、二葉は一三歳で生きていたのだから。犯人はレインコートの男なのだろうか。間違いないのは「ニノイチという夢」は存在する、ということだ。一体、誰が見ている夢なのだろう。レインコートの男なのだろうか。亡くなった小倉二葉なのだろうか。

 ぐるぐると思考が渦巻いて、あかりは目を隠すように右腕を顔に乗せる。二葉を信じていいのだろうか、とも思う。共犯の可能性はないのだろうか? 二葉のフリをしているのかもしれない。ニュースの記事で見た、スッキリとした美しい目元と、ふっくらした口元を思い出す。

 昨夜の疲れと無事に戻れた安堵感で、あかりは夢を見ない眠りに吸い込まれていった。



「もう一日休んだら?」


 翌日の朝、和彦は届いたばかりの新聞に目を通しながら、何気ない口調で言った。


「ううん、行く」


 あかりもテレビの天気予報を見ながら、当たり前の事のように答えた。ハナエが和彦とあかりの前にご飯と味噌汁を置いていく。七時半。大和はもう家を出ていた。

 朝起きてすぐに、夢の話を和彦にした。警察に話してみようとあかりは提案したが、これで何か見つかれば逆に犯人扱いされるのではないか、と反対された。六年前、巴を探してくれなかったこと、今度の一連の事件では容疑者扱いまで受け、和彦は全く警察を信じられなくなっているらしかった。突拍子のない夢の話を和彦自身があまり信じていないのかもしれない。母と二葉の骨が埋まっていると思うと早く見つけたかったが「何か方法を考えるから」という和彦を信じるほかなかった。


「……学校まで送るよ」

「ありがとう」


 あかりは和彦の目をしっかりと見て、にっこり微笑む。敵わないな、というように和彦の口元も綻んだ。

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