五夜
奈々との電話の後、早い夕飯を食べていると、九時のニュースが始まった。大和は先に夕食を終えてお風呂に入っている。和彦とハナエはあかりが落ち着いて降りてくるのを待っていてくれたらしい。
「県立高校で、使われていない花壇から女性のものと思われる白骨化した骨の一部が発見されました――」
一つ目のニュースを読み上げるアナウンサーの声に、あかり、和彦、ハナエの目が画面に吸い寄せられる。ハナエがリモコンを手にしてボリュームを上げた。
「少なくとも二組以上の胸部の骨とみられており――」
和彦は立ち上がって、携帯電話を掴んで廊下に出た。被害者なのに、なんの連絡も報告もない、と話していたばかりだった。
「先日、近くの神社の溜め池で見つかった大腿骨などとの関連を調べるとともに、逮捕されている男の事情聴取を進め――」
足だけならば、という細い細い希望が、ぷつんと音を立てて切れた気がした。速水は誰かが池に捨てた巴の足を拾った、殺害には関与していないと話しているらしい。池にあった、誰かと母の骨。学校から出てきた二人分の骨……。
「現場で何者かに襲われて入院している同校に通う女子生徒がなんらかの事情を知っているとみられ、警察では女子生徒の回復を待ち――」
和彦が戻ってきて椅子に座る。あかりとハナエの視線に気がついて、弱々しく笑った。お父さんってこんなにしわがあったっけ? あかりは気持ちが沈んでいくのを感じた。
「完全に白骨化しているので、DNA鑑定に時間がかかるそうです」
「そう。じゃあ、食べましょう」
ハナエはぷつん、とテレビを消し、和彦がはっとした顔であかりを見た。
「そうだね、食べよう! 冷めちゃうよ!」
心配そうな視線が父から注がれているのを感じてあかりは明るい声を出した。おどけて、揚げナスを高く持ち上げ、ぱくん、と一口で頬張る。
「あ……あっつ!」
慌てて水を飲むあかりを見てハナエが笑い出した。ひとしきり笑って「ああ涙が出る」といって割烹着の袖で目の端をぬぐった。ははは、と笑った和彦の顔から先ほど見た影は消えていた。
◆
今回は全国ニュースでも、白骨発見のニュースが流れていた。インターネットでも犯人探しが始まっている。
六年前に失踪した女性
三年前から行方不明の女子生徒
失踪した女性の足を冷凍していた男
その男に襲われた女子生徒
新たな白骨の発見
新たな白骨発見場所で襲われた女子生徒
生徒の間で流れる妙な噂
面白おかしく解説され、とうとうニノイチの夢の話題まで取り扱うメディアが現れ始めた。声を変えてあっても同級生であれば誰だかわかる。級友がインタビュアーに無責任に答える姿に、怒りを通り越して呆れ果ててあかりは画面を消した。
23:50
部屋のドアと窓を開け放ったまま、大和の部屋から持ち出した木刀を抱えてあかりは座っていた。木刀を夢に持ち込めると思ったわけではないが、竹刀よりは使えそうな気がするし、気休め程度にはなる。自分ではなく、奈々が引き込まれたら、という不安も重なり、吐きそうになるのをぐっと堪えた。カチリ、と電波時計の分針が動き、二十四時になった。
「わっ」
思わず声を出すが、音にはならない。
「今夜は入れたな……」
ニノイチの思惑はわからない。一人づつ片づける気になったのだろうか。だったら先にあたしにしなさいよ、弱いほうから狙ってんじゃないよ……あかりは心の中で言って、慎重にあたりを見渡す。あかりは制服を着て、片手に木刀を携え病院の前に立っていた。相変わらず、色が不明瞭な音の無い世界だ。
「病院……まさか、すずに何かする気じゃ!」
駆け出して入り口を目指すが、どこも硬く閉ざされていて開きそうにない。病院の裏手に回ると「夜間救急口」という看板を見つけ、看板の指す矢印の方向に走った。開け放されたドアから院内に滑り込み、階段を駆け上がって三階に辿り着く。三○一号室……鈴子の病室の前にニノイチが立っていた。
「おまええええええ!」
音にならない声であかりは叫んだ。木刀を構えて走るあかりには、まるで関心がないように、ニノイチは鈴子の病室にすうっと入っていく。
――待って! お願い! やめて!!
病室に飛び込むとあかりに向かい合う格好でニノイチが立っていた。ベッドの上に鈴子は居ない。
「おまえ、すずに何した!」
あかりは木刀を振り上げ、思い切り振り下ろした。ガツン! という衝撃があって、ニノイチが床に倒れた。自分で倒したものの、あかりは激しく動揺した。すり抜けるとか、瞬間移動するとか、当たらないだろうと心のどこかで思っていたのだ。だから、手加減せずに全力で打ち抜いてしまった。
――人を
あかりはどうしていいかわからずに、しばらくニノイチを見つめ続けた。そうだ、鈴子を探さなくては、と思い出す。踵を返して病室を出ようとしたその時、横たわったニノイチが、あかりの足首を掴んで引き倒した。突然のことにあかりはべったりと地面に突っ伏す。衝撃に動けずに居ると、ニノイチはずるずるとあかりの背中に這い乗り、羽交い絞めにした。
「やっ」
怖気が這い上がり、喉が詰まって声も出ない。ニノイチはそのまま奇妙な動きでベッドの下にあかりを引っ張り込む。あかりは何かを掴んで抵抗しようとしたが、指はリノリウムの床を滑るばかりだった。
「いやああああ!」
声は音にならない。だが、ニノイチは冷たい腕であかりの口を塞いだ。生臭いような青臭いような匂いがする。全身に粟が立ち、全力で振り解こうとするが、ぴくりとも動かなかった。
――怖い! 助けて、お父さん、お母さん!!
その時、音の無い世界で奇妙な音が聞こえた。
「オン、ア、ビ、ラ、ウン、ケン、ソワカ」
それは音のような声だった。
「オン、ア、ビ、ラ、ウン、ケン、ソワカ」
「オン、ア、ビ、ラ、ウン、ケン、ソワカ」
一定のリズムで繰り返されている。
あかりが背中を押さえられたまま顔を上げると、有名なメーカーのサンダルが見えた。スーパーなどで廉価で売っている模造品ではなく、トカゲのマークがついている正規品だ。色は黒……だろう。そこから白く細い足首が伸びて、迷彩柄のコートの裾が見えた。上質なレインコートのようだった。
「オン、ア、ビ、ラ、ウン、ケン、ソワカ」
「オン、ア、ビ、ラ、ウン、ケン、ソワカ」
ベッドがガタガタと揺れる。モノクロに近い世界の中、ぽつり、ぽつりと、真っ赤な血が床に模様を描き始めた。
――すず! すず!!
あかりはじたばたともがくが、ニノイチは異常な力で背中を押さえている。
「オン、ア、ビ、ラ、ウン、ケン、ソワカ。オン、ア、ビ、ラ、ウン、ケン、ソワカ……」
音は段々小さくなり、足も消えた。ふっと戒めがなくなり、気がつくとニノイチも消えていた。あかりは慌てて這い出してベッドを確認する。
「何もないじゃん……」
ベッドには誰も居ないし、血の一滴もついていない。気がつくと床もきれいなままだった。あかりは力を失ってぺたりと座り込む。
――捕まった。もう、出られないのかもしれない
泣く気力も起きなかった。ぼんやりと座り込み、どれくらい時間が経ったのか、気がつくとあかりは木刀を抱いて現実の自分の部屋に戻っていた。




