佐々木
学校に戻ると、校門前にはまだ数台のパトカーが止まっていた。あかりが車から降りると、数人の記者らしき男が寄ってきたが、何も言わずに足早に校門をくぐった。父の車はまっすぐ警察に行くのだろう。振り返らずに昇降口まで走る。教室では四時間目が始まっていた。
「秋月、池に突き落とされたってマジ?」
昼休みが始まると、あかりの周りに軽い人垣が出来た。
「まあ、そんな感じ」
おお、と、どよめきが起こる。
「うちのクラスから三人も! やっぱりニノ……」
言いかけた男生徒子が、声に出したら自分も呪われる……とでもいうように口をつぐんだ。三人ということは、鈴子が襲われたことも知れ渡っているらしい。クラスメイトが居なくなったり怪我をしたりしたというのに、面白おかしく思っているような顔にあかりは気分が悪くなった。
「なあ、永沢死んだの?」
「見てきたけど、すげえ血だった」
囁き声が耳に入った。あかりはずん、と心がより深いところへ重く冷たく沈むのを感じた。ゆっくりと自分を囲む顔を見回す。
「うん。ニノイチかも。あたしも鈴子も夢を見たんだよね。巻き込まれたいならもっと詳しく話すけど、聞く?」
必要以上のあかりの大声に、あれほど賑やかだった教室が、しん、と静まり返った。
「……最低だな、お前」
いつも、ふざけてばかりの杉田が低い声で言った。あかりの周りの人垣が、かき消されるようにすうっと消えた。かまわない、一人でも大丈夫だ、あかりはぐっとあごを上げて前を睨む。
「……ねえ、あかりん、今の本当なの?」
唯一、その場を動かなかった奈々が眉を寄せて聞いた。あかりは目も合わさず、何も答えずに前を見続ける。
「あたしになんか出来る事ある?」
意外な申し出に驚いて、あかりははっと奈々の顔を見た。奈々はふっと唇の端を上げる。
「巻き込まれたくはないけど、しょうがないよね、友達だし。あかりん、逆の立場だったらあたしのこと見捨てないでしょ」
そういって、奈々は軽やかに笑った。思わず涙が零れそうになって、あかりはぐっと唇を噛んだ。泣くな、泣くな、とちゃかす奈々を睨んで涙目で笑う。
「あのね、すずとも話したんだけど、聞くと巻き込まれるっていうのは多分ウソなんだ。あたしもすずも誰にも聞いてないのに見たし」
「そうなんだ?」
「だから……噂の出た時期とか、どんな風に広がったかを調べられないかな」
奈々はしっかりと飲み込むようにゆっくり何度も頷いて、わかった、と言った。とてつもない力を貰った気がして、あかりは立ち上がる。花壇を見ておこう。まだ警察が居るかもしれないが、何かヒントがあるかもしれない、と思い教室を出る。奈々がついていくと言ったが、さすがに巻き込む気がして断った。
裏から校舎を出て、東口に回ろうと思ったが、どこもテープで塞がれている。生徒たちはもう興味をなくしたのか、何も見えないことを知っているのか誰も居なかった。あかりは校舎裏で、もう少し粘るか教室に戻るか考えあぐねていた。
「おい、おまえ」
諦めて引き返そうとしたとき、突然誰かに呼び止められた。驚いて振り返ると、佐々木が立っていた。いつもイライラしていて、生徒に嫌われている用務員だ。あかりも時々怒鳴られる以外には、話したこともない。
「……なんですか」
そそくさと寄ってくる佐々木を警戒して、あかりは後ずさる。あかりが下がったのを見て佐々木は立ち止まった。そして人目を気にするようにきょろきょろとあたりを見回す。
「俺はやってない」
上目遣いにあかりを見ながら佐々木はようやく聞き取れるほどの声で言った。そしてすぐにまた周りを見回す。あかりが返事に困っていると、聞こえていないとでも思ったのか、また数歩近づいた。明るい午後の光の中、そこだけ影が差したように灰色の佐々木は立っている。
「俺はやってないんだ」
どこもかしこも灰色なのに、そこだけやけに光っている目に見据えられて、あかりは堪らずまた数歩下がった。行く手を遮られてはいるが、それでもまだ走れば逃げきれる自信はある。
「お前、秋月あかりだろう。永沢鈴子の友達だ」
「何で……知ってるの?」
あかりは質問を返した。
「生徒の名前は全員知ってる。永沢鈴子は、昨日も穴掘りに来ていた」
「えっ」
そんなことは聞いていない。あかりは驚いて聞き返す。佐々木は大きく頷いて、またあたりを見回した。
「俺に見つかって逃げた。そのあと奥村が来たから、俺はそれを報告しちまった」
佐々木の声はどんどん低くなる。あかりは吸い寄せられるように一歩、佐々木に近づいた。
「あいつだったんだ。待ち伏せしたんだ」
まさか、先生がそんなことをするわけがない。そう思うのに、ぞわっと全身に鳥肌が立ち、へその辺りに引き攣るような違和感を感じた。
「それって、ちゃんと警察に……」
「言ったさ」
佐々木は自嘲したような笑いを浮かべる。
「むこうは生徒に人気の若い教師、俺は嫌われ者の汚い年寄り。しかも三年前の容疑者で、今回は第一発見者だ」
そのとき、渡り廊下の鉄板を踏む足音が聞こえた。
「いいか、秋月あかり。奥村に気をつけろ」
早口で呟くと、佐々木は滑るようにあかりから離れた。
「こんなとこで何やってる! 俺に迷惑をかけるんじゃねえ! とっとと教室にもどれ!」
突然、気が違ったように喚きだした佐々木に驚いて、あかりは駆け出す。渡り廊下に向かう角を曲がると、奥村がこちらに向かって歩いていた。
「秋月さん?」
少し驚いたような顔で奥村は立ち止まった。そのおとなしそうな佇まいは、自分の生徒どころか、虫だって殺せないように見える。
「はい……」
「……気持ちはわかるけど、秋月さんが行っても仕方ないでしょう」
労わりを含んだ声に、佐々木の言葉を鵜呑みにして、奥村を恐れた自分がおかしくなった。あの老人は前からおかしいと有名なのだ。
「はい、すみません」
「佐々木さんが何か怒鳴ってたようだけど……」
奥村は首を伸ばして、先ほどまであかりが居た校舎裏を覗き込む。
「あ、あたしが怒られてました」
「そう……授業が始まるよ、早く教室に戻りなさい」
「はい」
用具室へと向かう奥村を少し見送って、あかりは渡り廊下を駆け出した。
――いいか、秋月あかり。奥村に気をつけろ
先生が、そんなことをするわけがない。そう頭ではわかっているのに、佐々木の言葉が何度も頭の中で再生され、へその辺りの違和感が消えなかった。




