憎悪
――赦さない
腹の底から沸きあがってくる憎悪にあかりは飲み込まれていた。目の前に白い光が飛ぶような圧倒的な怒りだった。それは、自分に対する怒りでもあった。鈴子の言葉を信じて、鈴子を信じなかった結果がこれなのだ。何と言われようとも離れてはいけなかったのだ。
家族以外は面会謝絶のところを、頼み込んで入れてもらった病室の中で、鈴子は青白い顔をして沢山の管に繋がれていた。発見が早かったため、どうにか一命は取り止めたが、一度に大量の血を失って起こしたショックの後遺症が残るかもしれない、と真知子は言った。
点滴の管が刺さった腕には包帯が巻かれ、血が滲んでいる。頬にもガーゼが貼られている。手の甲にも額にも擦り傷があった。真知子は、パイプ椅子に腰掛けて、乱れてもいない鈴子の髪をゆっくりと何度も撫で付けている。切り傷と刺し傷が八箇所もあったんですって……感情のない声で真知子が呟いた。目からは涙腺が壊れたように涙が溢れ続けている。
「どうしてこんなことに……」
両手で顔を覆って真知子は呟いた。深い深いため息が零れる。
「あの子ね、鏡を置いていたらしいのよ」
「鏡?」
あかりは、パイプ椅子に座る真知子に合わせて腰をかがめた。
「こう、作業をしながらでも後ろを確認できるような角度に立てて……防犯ベルも持っていて、そのおかげで助かったんだけど……」
すず! あかりの心が悲鳴を上げる。どんなにか心細かったろう。どんなにか怖かったろう。
「危険だって、まるでわかってたみたいなの。なのにどうして花壇なんかを掘り返す必要があるの?」
真知子はゆっくりとあかりの目を覗き込みながら、あかりの両手を握った。深い洞のような目だった。
「ねえ、あかりちゃん、何か知らない?」
思ったよりずっと強い力で握られて、あかりは慌てて首を振る。
「だって、あかりちゃんに続いて鈴子まで、おかしいと思わない?」
「あたしのは、今朝、犯人が捕まったみたいで……」
自分が襲われた状況と、さっき和彦に聞いたばかりの速水の事を話す。あかりの話を聞くうちに、徐々に真知子の目がいつものやさしい光を取り戻していった。
「速水さんが……まさか。ああ、あかりちゃん、可哀相に。怖かったでしょう」
いつのまにか、ぎゅっと押しつぶされそうに握られていた両手は、優しく包み込まれていた。そっと頭を撫でられ、肩を擦られた。どうしようもなくなって、あかりは声をあげて泣き出した。真知子はそっと立ち上がって、自分より背の高いあかりをしっかりと抱きしめる。
「ごめんね。あかりちゃんはしっかりしてるから……私まで甘えちゃったわね。鈴子はこう見えて強い子だから、絶対に大丈夫よ」
――私がおばさんを励まさなくてはならないのに、鈴子を守れなかったのに
情けなくて、申し訳なくて、それを伝える事のできないもどかしさにあかりの涙は溢れて止まらなかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
謝り続けるあかりの背中を、どうして、あかりちゃんは何も悪くないわ、と言いながら真知子はゆっくりと撫でてくれた。あかりがようやく少し落ち着いた頃に、鈴子の父が現れ、あかりは病室を出た。長椅子に座っていた和彦と目が合う。
「あかりは……これからどうする?」
「学校に戻る」
「そうか」
ぽん、とあかりの肩を叩くと和彦は歩き出した。
――お父さん、ありがとう
背中に向かって、あかりは心の中で呟く。悪いことや嫌なこととは、戦うか、逃げるか、我慢するか、しかない。あたしは逃げたくない、こんなこと我慢はできない。どうすると聞かれたら……戦うしかない。家にこもっていれば安全だとしても、そんなのは嫌だ。
「嫌いって言われたの? じゃあ、笑いかけて、話しかけて、好きにさせられたらあかりの勝ちね。相手をやっつけてもっと嫌われたら、それはあかりの負け」
母の笑顔とともに、そんな言葉が思い出された。
――お母さん、ごめん。あたし……やっつけたい。




