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ニ ノ イ チ  作者: タカノケイ
六月十四日(日)
17/36

事件

 暗い森の中を少年は少女の手を引いて歩いていた。数日の間、何も食べていない少女の足取りは重い。休ませてやりたいが、少女が居なくなったことに気づかれる前に駅に辿り着きたかった。電車に乗って遠くの街に行くのだ。そこで役場か警察に行って少女を保護してもらう。村の大人達に騙されて少女を村に戻したりしないよう上手く説得しなくてはならない。

 少年は真っ暗な森の中をコンパスを頼りに進む。森の中は歩きづらい。だが、村からバス停までの一本道を歩けば誰かに見つかるかもしれない。

 大人たちが少女がいなくなっていることに気づくのが六時だとして……少年は何度も計算した時間を再び計算する。少年の住む村のバス停に始発が止まるのが六時半。電車の始発が七時半。始発のバスに乗って始発の電車に乗らなくてはいけない。それを逃せば駅を見張られてしまい、電車に乗る機会は永遠に失われる。村に戻るか山中で餓死するしかない。もしバスに村人が乗ってきたら……そう思うと胃が縮むようだった。


――大丈夫だ。儀式中は誰も村の外に出ないことになっているんだから


 少年は自分に言い聞かせるように思った。考え事をしていて足が早くなってしまっていたらしい。少女が少年の手を離し地面に片手をついて座り込んだ。


「大丈夫?」


 助け起こす少年の目を見つめて少女は不思議そうな顔をした。


――そうか、聞こえないんだ


 少年は黙って微笑むと少女も微笑み返した。再び手を繋ぎ、ふたりは歩き始めた。


――必ず、僕が守ってやる


「ひな……」


 懐かしい夢を見て男は目覚めた。以前はしょっちゅう見たのだが、最近はあまり見ることがなくなっていた夢だ。その夢はあまりにも鮮明過ぎて、今、自分がどこにいるのかわからない感覚に陥り、しばらくぼうっと天井を眺める。


「ああ、そうだった」


 大きく息をつくと男は起き上がり、大き目の紙袋に入った迷彩柄のレインコートと牛刀を確認した。



 なんとも目覚めの悪い朝だった。鉛が閊えているように胸が重い。あかりはため息をつきながら朝食を食べた。

 朝のニュースでは結衣の事は何も言っていなかった。地方ニュースならともかく全国区のニュース番組では女子高生が一人いなくなったことくらいどうでもいいのかもしれない。制服のスカーフを鞄に詰めて家を出る。スカーフをしていないと少し涼しいのだ。

 坂道を下って、線路道を学校に向かって歩く。鈴子に会わない事にほっとしている自分に気がついて、情けなくなった。重い足取りで学校への坂を登りだしたとき、赤いランプが目に入った。


――パトカー?


 どきん、と心臓が跳ね上がり、考える前に足が走り出していた。テレビでしか見たことのない黄色いテープとブルーシートが目に入る。


「生徒は正門か東門から入りなさい! 自転車は体育館の横に並べて止めるように」


 メガホンを持った体育教師が怒鳴っている。西門へと向かう細い道は停車したパトカーで何も見えなかった。野次馬のように集まった生徒の中に、あかりは橋本奈々の後姿を見つけた。


「奈々!」

「あーおはよー、あかりん」

「何かあったの!?」


 掴みかかりそうな勢いのあかりに対して、奈々はのんびりと背伸びをして中を覗こうとしている。


「いやあ、わかんないけど……」


 最後まで聞かずにあかりは走り出した。上履きを履くのももどかしく教室に向かう。


――お願い、すず、居て


 がらっと大きな音を立てて教室の扉を開ける。


――居ない……


 表の事件の野次馬に行っているのか、教室の中にはぱらぱらとしか生徒は居なかった。すずはいつだって登校時間が早いし、野次馬に行ったりしない。携帯を取り出して鈴子に電話をかける。十を数えて切ると、鈴子の自宅にかけた。


――どうして誰も出ないの


 五分前の予鈴が鳴って、生徒達が教室に集まってきた。あかりはどうしたらいいのかわからないまま席に座った。


「おはようございます」


 緊張をしているのか、どこか無表情な奥村が入ってきて教壇の前に立った。


「みなさん、ニュースで見たと思いますが……」


 奥村は結衣の失踪と、あかりの事件について語った。


「報道関係の方に質問されたりするかもしれませんが、二人の友人として恥ずかしくない対応をしてください。では、時間がなくなったので出欠は……」

「先生!」


 あかりは高く片手を上げた。


「はい、秋月さん」

「永沢さんがまだ来ていません」


 奥村は、じっとあかりの目を見つめる。


「永沢さんは……ちょっと遅くなるそうです。終わります」


 起立! と号令がかかる。目を逸らした奥村の横顔を、あかりは食い入るように見つめた。着席、で席に着かず、教室を出て行く奥村を追いかける。


「先生!」

「……はい」


 背を向けたままどこかぞんざいに聞こえる返事を返してよこした奥村だったが、振り返った顔は微笑んでいた。


「す……鈴子さんは何で遅くなるって言ってましたか」


 奥村は少し考えるように目を逸らして、出席簿を口に当てた。


「誰にも言ってはいけませんよ? 校内で何者かに襲われて病院に運ばれました。あかりさんが入院していた病院です」


 他の生徒に聞こえないよう小声で囁く。


「……わたし……早退します」


 あかりはくるりと向きを変えると昇降口へと走った。名前を呼ぶ奥村の声が聞こえたような気がしたが、上履きのまま、外に駆け出す。今日も、梅雨は明けたのかと思うくらい暑かった。流れる汗も、焦げるような肌も気にせず家まで一気に走る。玄関に入ると、和彦が驚いた顔で出てきた。


「あかりさん……学校は?」

「……おと……なん……で……しごと……は?」


 息が切れて言葉にならず、はあはあと肩で息をするあかりに、ハナエがコップに水を汲んできて手渡した。一気に飲み干して、また肩で息をつく。


「戻ってきたんです。あかりさんを突き落とした犯人が捕まったので」

「え?」


 和彦はあかりの気持ちを汲み取って答えたあと、続きを言いにくそうに一瞬目を剃らす。だが、気を取り直したように視線を戻した。


「いずれ、わかってしまうことだから……速水さんらしいんだよ」

「速水さん? なんで?」


 それはこれから警察で調べるから、と和彦はあかりの肩に手を置いた。何で速水が……と思う気持ちの反面、速水ならば……という思いがあかりの中にはあった。自分をみつめる粘りつくような視線、こないだ鈴子が泊まりに来たときも……あかりははっと和彦を見上げる。


「お父さん! 病院に送って! すずが!」

「鈴子ちゃん?」

「襲われて怪我したって。お願い、早く!」


 あかりの目に涙の粒が盛り上がる。それ以上は何も聞かず「待っていなさい」というと和彦は部屋に戻って車の鍵を持って戻った。


「いこう」


 あかりは声にならない声で頷く。昨日自転車で下った坂道を和彦の軽自動車で下る。あかりは助手席で知らぬ間に顔の前で両手を合わせていた。


――神様、どうか、神様


 昨日はなんとも感じなかった家と病院との距離がいやに長い。病院の駐車場につくと、あかりは車が止まるより早く飛び降りて走った。


「永沢、永沢鈴子さんは? 入院してるはずなんです」

「あかりちゃん?」


 受付で説明していると、あかりの担当だった看護師が通りかかった。あかりは縋りつくように見つめる。


「……鈴子ちゃんなら、三〇一号室よ」

「ありがとうございます!」


 胸が張り裂けそうだった。三〇一から三○五号室までは個室で、あかりは三○四号室だった。三○一号室は、ナースステーションに一番近い―――。エレベーターはこんなに遅かっただろうか。


「おばさん!」


 エレベーターを降りると、ナースステーションの前の廊下を歩く鈴子の母、真知子に気づいて叫ぶ。振り向いた真知子の目は真っ赤だった。


「すず……鈴子ちゃんは?」

「……大丈夫。ちょっとね、眠ってるけど、きっと直ぐ起きるわ」


 笑った真知子の両目から涙が零れ落ちた。堪らずあかりの目にも涙が溢れる。


「あかりちゃん……なんで……ねえ、なんで鈴子がこんな目に合ったの」


 余程、張り詰めていたのだろう。真知子はその場に泣き崩れた。看護師が飛んできて、病棟の廊下に並ぶ長いすに座らせた。


「鈴子ちゃん、今、すごく頑張ってるんですよ。お母さんが応援してあげないと」


 看護師にも何も答えず、玲子の母は泣き続ける。目の前にある三○一号室のドアノブには「面会謝絶」の文字が揺れていた。

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