自己満足
「あかりちゃん、もうやめよう。せっかく夢を見なくなったのに、また巻き込まれちゃうよ?」
五分前に切れた電話で鈴子はそう言った。退院して家に戻ってから何度もかけてやっと繋がったと思ったら、鈴子はニノイチの事に全く無関心になっていた。
――だって、結衣はどうすんの?
思わず責めるような口調になってしまった。結衣がニノイチに襲われたなんて確証もないのに……あかりはベッドに寝転がり見慣れた天井のシミを見つめる。私達にどうにかできる事じゃない、結衣に何かあったと決まったわけじゃない、と鈴子は静かにあかりを諭した。でも、何かあってからでは遅いではないか。やれることはしておかないと後悔する、とあかりは思う。そしてそのままを伝えた。
――それは……あかりちゃんの自己満だよ
キーン、と耳鳴りがして、何も言い返せないでいるうちに、じゃあ、と電話は切れた。
聞いたことのない色を含む鈴子の声を思い出して、あかりはぎゅっと目を瞑った。ちくんと胸に刺さった棘から波が立ち、飲み込まれそうになる。額からつうっと汗が流れた。窓の外からは暴力的ともいえるほどのセミの鳴き声が、締め切った窓を嘲笑うかのように響いている。
「しゃあない、一人でやろう!」
むっくりと起き上がると、リュックを背負った。まずは図書館だ、地元紙ならネットの情報よりは詳しく、正しい情報が得られるかもしれない。それから、三つ上で東成高校出身の知り合いを探す。これはSNSを使えばいいだろう。情報を集めて、より確かそうな話なら直接聞きに行く。早速あかりは携帯電話を取り出して、匿名のアカウントをつくり「被害者の情報モトム」と入力した。
「ちょっと図書館に行って来るー」
台所仕事をしているハナエに声をかけて玄関を出る。図書館は、学校に向かう線路沿いの道を学校とは反対方向に進み、駅の少し手前で右折する。市役所や福祉施設の並ぶ通りで、あかりの家からは学校と同じくらいの距離だ。
「うわ、あっつー」
ぎらぎらと照りつける太陽が、神社の石畳を焦がしている。梅雨は一体何処に行ったのか、空は雲ひとつなく晴れ渡り、正午過ぎの気温は三十五度に達していた。思わず独り言も出る暑さだ。
あかりは家の裏手に回って自転車に跨った。和彦の車がない。日曜はいつも家に居るのに、病院から戻ったあと一体どこに出かけたんだろう、と不思議に思った。今度の事故……いや、事件のことだろうか。
神社の前は石段になっているので、車が入れるように石段の手前から家の裏に繋がる坂道がある。車一台通るのがやっとのその細い道を、いつになくゆっくりと慎重にあかりは下った。
道路わきに並ぶ民家の庭木にとまるセミの鳴き声がまるで音のトンネルのようになっている。あかりは自転車で颯爽と坂道を下り、線路際から鈴子の家にちらりと目をやると、学校とは反対の右に曲がってペダルを踏み込んだ。
「ただいまー」
夕方になってあかりは帰宅した。結局、図書館ではたいした収穫はなかった。新聞に書いてあったことはほとんどネットで調べて知っていた事ばかりだったのだ。SNSへの書き込みから、亡くなった二人の名前は分かったが、面白がるな、などの中傷も増えたし、それ以上たいした情報は得られそうになかったので削除した。
「あかりー、ごはんよー」
ハナエの呼ぶ声に返事をして、階段を降りる。
「わあ! 夏野菜カレーだ!」
食卓を見たあかりは歓声をあげた。好きなものを作ってやろうと言う、祖母の気遣いが嬉しかった。午後六時、父も弟の大和もまだ帰っておらず、二人だけの食事だった。
「どこに言ってたの?」
「……図書館」
もぐもぐと口を動かしながら答える。水滴の沢山ついたコップから水を飲むと、カラカラと氷の涼しげな音がした。
「ちょっと調べたいことが……えっ」
テレビから聞こえてきた名前に、あかりはすばやくリモコンを掴んで音を上げた。
――七日の夕方から帰っておらず、警察では事件に巻き込まれた可能性もあるとして……
「遠野結衣ちゃんってこないだ遊びに来た子でしょう」
ハナエも身を乗り出して画面のテロップを見つめている。
――居なくなった時の服装は、黄色いTシャツに黒のハーフパンツ、灰色の帽子のついた長袖の上着を着ていたとのことで、警察では目撃情報を……
あかりは慌てて鈴子に電話をかけたが出ない。
――昨日は少女の通う高校の近くで同じ高校の女子生徒が何者かに池に突き落とされるという事件も起きており……
夕飯を終えてからも、あかりはぼんやりとダイニングテーブルに座っていた。鈴子は何度かけても電話に出なかった。ネットでは結衣の失踪はニノイチの仕業だと盛り上がっている。
「……ただいま」
間もなく和彦が帰ってきて、珍しく疲れた顔をしてあかりの向かいの椅子に座った。ハナエはいそいそと立ち上がって、カレーを温めるため台所に向かう。
「あかりさん」
「何?」
「これから警察の人と先生が来るから、あったことをきちんと話してください」
「……うん」
あかりはしおらしく頷く。元気のないあかりを和彦は気にしたようだったが、何も言わず「うまいなあ」と言ってカレーを食べた。
警察官が二人と、教頭先生と学年主任がやってきたのは二十時を過ぎた頃だった。あかりはあったことをあったまま話し、警察官は黙って手帳に書きとめた。一通り話を聞き終わると「捜査の邪魔になるからあまり人に話さないように」と何故か教頭先生が言って帰っていった。
風呂に入り、新しい情報はないかと携帯をいじっているとあっという間に二十四時の数分前になった。
「……よし」
あかりは襖と窓を開けたまま、息を詰めて壁の時計を見つめた。
―――やっぱり
今夜も、あかりは何事もなく二十四時を通過した。鈴子に電話はかけなかった。




