善後策
「すみません」
ドアの向こうで聞きなれた声がした。鈴子が慌てて前髪を整えるのを見て苦笑しながら、あかりはコピー用紙や、饅頭の包み紙を片付けた。だが、ドアは一向に開かなかった。ああ、そうか……あかりはふっとため息をつく。
「どうぞ」
「おじゃまします」
ドアが開く。立っていたのは奥村だった。声で奥村だと分かっていたものの、あかりは一瞬戸惑った。学校での地味なスーツ姿ではなく、ラフなポロシャツにハーフパンツを履いている。髪も少し上げているし、メガネもかけていなかった。
まるで同級生の男の子と変わらない。色白で華奢なだけ、運動部の体格のいい男子よりも幼く見えるくらいかもしれない、とあかりは思った。ちらりとみた鈴子の頬がピンク色に染まっていった。
「ごめんね、こんな格好で。出先で聞いたものだから」
奥村が、コンビニのビニール袋を差し出すと同時に鈴子が立ち上がった。
「これ……」
「先生ここ……」
同時に話しだして、同時に黙る。鈴子の皮膚の薄い白い肌が、痛々しいほどに真っ赤になっている。
「椅子はいいですよ、直ぐ帰りますから。あかりさん、大丈夫ですか」
「もう全っ然、大丈夫です」
あかりが笑顔で答えると、奥村もほっとしたように微笑んだ。
「元気そうでよかった。無理はせずに、何かあったらいつでも相談してください。これ少しですが……」
「すみません。こんなにありがとうございます。しかも……」
あかりはプリンやシュークリームの入ったビニール袋を受け取りながら、携帯を持ち上げて写真を撮った。
「貴重な私服写真まで撮らせて頂いて」
「秋月さん……」
呆れる奥村にあかりは続けてシャッターを切る。
「こら。病院内で携帯は切りなさい」
本気ではない顔で睨み付けた奥村に向けて、もう一度シャッターを切る。
「はい、すぐ切ります。ベストショットも撮れましたし」
あかりはすました顔で言うと、おとなしく携帯を置いた。たまらず、と言ったように奥村が吹き出す。チャンスとばかりに、あかりは素早く携帯を掴むとシャッターを切った。
「まったく。元気そうでよかったけど。月曜に学校で待ってるよ。永沢さん、あとよろしく」
「……はい!」
最後には少しくだけた調子で言うと、ひらひらと手を振って奥村は部屋を出て行った。
「……あ、あ、あ、あ、あかりちゃん!」
「はいはい。もう送信済み」
鈴子は慌てて、携帯を取り出して電源を入れた。
「ありがとー! あかりちゃん」
「いえいえ」
鈴子は潤んだ目で画面を見つめながらお礼を言う。なかなか顔をあげないので、あかりは痺れを切らせてわざとらしい咳払いをした。
「話を戻しましょう鈴子さん」
「あ、ごめん。これ冥土の土産ってやつかなと思って」
「言うねー! ってか、大丈夫だよ、すず。現に私は生きてるじゃん。あと四時間以内に病院内で死ぬ事はないと思うし。それに結衣が巻き込まれてるって決まったわけじゃない」
もちろんだよ、とばかりに鈴子は力強く頷く。
「だから鈴子も大丈夫。でも怖かったら十五日はずっと一緒に居よう。明日には退院だし。あたし、ここを退院したら大和と沢山遊んであげるんだ」
「あかりちゃん……それ、死亡フラグ」
二人はまた、弾けるように笑いあう。廊下を歩く人影が見えて、慌てて口を押さえた。
「あたし最初の夜は家で寝てたのに、神社にいたでしょう? 今夜もあかりちゃんと一緒の場所で会えるかな」
鈴子は不安そうに呟いた。
「寝た場所はあんまり関係ないみたいだからね」
あかりは明るい顔で返す。
「逆に夢から覚めた時も、ベッドの下にはいなかったよね」
鈴子の言葉にあかりははっとして頷いた。
「まさに、出たとこ勝負ってやつか。万が一離れてた場合の待ち合わせ場所を決めておこう。踏切でどうかな?」
鈴子はあかりの提案に頷く。
「うん、わかった。あとね、ドアとかは動かないのに、携帯は見れたり、靴は脱げたりするでしょう?」
鈴子の疑問に、あかりは手を口に当てて考え込む。その通りだ。まるで凍ったように、写真のように動かないモノと触って動かせるモノ……。
「動かないのはニノイチの世界のモノで、私達が持ち込んだモノは動かせる?」
「そ……ういうことになるのかな」
「つか、ニノイチの世界って私達の夢なんだよね? あたしの部屋の間取りをニノイチが知ってるのはおかしいでしょ?」
うーん、とあかりが考え込んでいると、看護師があかりを呼びに来た。
「あかりちゃん、シャワー室開いたわよ」
「あ……」
「いいよ、行って来て。わたしラウンジで待ってるね」
鈴子が立ち上がり、あかりは手早く入浴の支度を済ませる。なんとも落ち着かない浴室だったが、汚れと一緒に不安も流れていくようだった。お風呂から出ると、病院はもう寝支度が始まったような静けさだった。あかりは病院の白いリノリウムの床をなるべく音を立てないように歩く。各部屋からテレビの音や話し声が漏れているものの、窓の外に夜の闇が広がっている薄暗い病院の廊下はあまり気持ちの良いものではなかった。
「ニノイチで流れてる噂を集めてみたんだ」
ラウンジのテーブルに着くと、鈴子が沢山のスクリーンショットが保存されているフォルダを開いた携帯をあかりに手渡した。チャットや掲示板の画像が、良くこんなに集められたというくらい保存されていた。
「音の無い凍った町を逃げる、セーラー服の少女、油性ペンで2-1と書かれたバケツ……何、これ」
「ね? 私達が見たままでしょう?」
「うん……でもさ、知ったら巻き込まれるんじゃないの? こんなに詳しく知っててなんで無事なの? ……ちょっと……混乱する」
あかりは両手で顔を覆った。
「二十五時まで逃げ切らないと死ぬ。誰かに話すと鬼ごっこに巻き込む……」
読み上げる鈴子の声に、あかりは全身に粟が立つのを感じた。今までは、怖い夢を見るだけのことだと思っていたのかもしれない。怖い噂に触発されて夢を見るだけだと。本当に夢で死ぬはずがない、と。
だが、噂と実際に見た夢の内容が合致しすぎている。これはニノイチという悪夢が恐怖心からの想像ではなく実在する証拠ではないか。
三年前の三人も夢の中でニノイチに捕まって亡くなったのだろうか。人を殺す悪夢が本当に存在するというのだろうか。
「誰がこれを最初に書き込んだのかな」
あかりの言葉に、鈴子がはっと顔を上げる。
「もちろん、三人のうちの誰かが生前に書き込んだ可能性が高いけど、だったらそれを見た人たち、なんで巻き込まれないの? 巻き込まれないのに真実を知ってる人が居るの? 生で聞かないと巻き込まれないの?」
あかりは額に手をあて、思いついたままに疑問を並べた。うーん、と鈴子は眉を寄せる。
「でも、あたし、誰にも夢の話なんて聞いてない。あのチャットで初めて知ったんだよ? あかりちゃんもあたしが話してないのに見たでしょう?」
「うん」
「巻き込む、っていうのは嘘なのかも」
あかりは大きく頷いた。そうだ、その可能性もある。とにかく明日は出来る限り事件と噂について調べよう、その前に今夜を切り抜けなくては。今夜という単語にじわり、と恐怖が心に忍び込む。チーン、とエレベーターが止まる音にあかりはびくっと身を震わせた。
「あら、鈴子、ここにいたの」
鈴子の母親が開いたエレベーターから降りてきて、二人を見つけて声をかけた。




