小倉二葉
「あかりちゃん、大丈夫?」
「うん、全然平気。……ね、これ、食べていい?」
あかりは紙袋を指差すと、返事も聞かずに袋の中身をベッドの上にひっくり返した。
「わおー、みそまんとあげまん! これは悩むね! すずは……」
「あかりちゃん!」
滅多に聞くことのない鈴子の大声に、あかりははっとして両手に持ち上げていた和菓子を下ろした。
「誤魔化さないで。何があったの?」
「何って……」
「あかりちゃん運動神経いいもん。池なんかで溺れるわけない」
あかりは和菓子を袋に戻しながら俯いた。
「なんか、突き落とされて、頭を押さえられたみたいなんだけど、夢中で……」
声に出すと、自分にどれほどの危険があったのか実感した。父にちゃんと話すべきだった。危険な人物が家の近くに居るかもしれないのに「言うタイミングがなかった」などという問題ではない。とあかりは唇を噛んだ。
「ニノイチに?」
鈴子が俯いて言った。相談した自分のせいかもしれない、と思っているのだろう。あかりは慌てて顔を上げる。
「いやいや、あんな細い子には負けないよねー、あたし。あれは男の人だったと思う」
あかりは、自分にも言い聞かせるように言った。
あは、と声を立てて鈴子は笑ったが、それはどこか嘘っぽい。自分を池に落として押さえ込んだ「モノ」……殺そうとした「モノ」。あかりは今になって初めて、溺れた事ではなく殺されかけた事実を恐ろしいと感じた。
あかりは鳥肌が立った腕を鈴子に見えないように布団の下に隠した。人だったのか、人ならざるものだったのか。人間の感触だったと思うがパニックで記憶が曖昧だ。普通に考えて、朝のあの時間に境内にいて、更に自分を殺そうとする「人間」がいるだろうか。
「うん、大和君も逃げる人影を見たって言って……」
「大和が?」
「朝連に行くのに起きて、水音が聞こえたから窓の外を見たって」
あかりは驚くと同時に激しく後悔した。大和まで巻き込んでしまうところだった。でもあんな事になるなんて想像もしなかったのだ。何も危険などなかった、と思いかけて父の字で書かれた「入らないでください」の文字が目に浮かんだ。
「食べよ! 腹が減ってはなんとやらだよ! すず!」
あかりは体に粘りつくように湧き上がった不安を振り切るように言うと、一度は片付けた和菓子を乱暴に取り出して、ぱくん、と食いついた。
「ほら、早くすずも食べ……」
食べながら喋って喉に詰まらせる。真っ赤になったあかりに、すずが慌ててお茶を差し出した。あかりはしばらくげほげほと咽こみ、お茶を飲んで、はあと深いため息をついた。
「あー、池より苦しかった。危なかった」
「もう、あかりちゃんは……」
最後まで言えずに鈴子が笑いだし、あかりもなんだかおかしくなって二人で笑い転げる。笑いの発作がようやく収まってから、鈴子が神妙な顔でバッグから数枚のコピー用紙を引っ張り出した。インターネットの画面が印刷されている。
「あとね、ニュースで言ってた骨の事なんだけど……」
「うん、見た」
話して良いものか伺うような鈴子にあかりは大丈夫、と頷く。
「もしかして、三年前の見つかってない人なんじゃないかなって思って」
「これ?」
「うん……小倉二葉さん、十六歳。実名で記事になってる。遺体はまだ発見されてないの。別の二人は遺体で発見されて……ほらここと、この記事。名前は出てないけど……」
鈴子は記事を指差しながら説明する。
「……二葉さんが行方不明になったのは六月七日の夕方、女子高生Aさんが田んぼの水路で遺体で発見されたのが六月十三日。三年前の今日なの」
コピー用紙から目をあげずに鈴子が言う。何事もないという口調だったが、指先が小さく震えていた。あかりは指を折りながら日付を確認する。
「……結衣と連絡が取れなくなったのは日曜の夕方だから……六月七日。あたしが池で溺れたのが、今日……六月十三日」
こくん、と鈴子は小さく頷いた。
「女子高生Bさんの遺体が学校で発見されたのは六月十五日」
まるでそれが自分の命日であるかのように、鈴子は怯えた声で付け足した。あかりは、呆然とコピー用紙を眺めていた。偶然の一致にしては出来すぎてはいないだろうか? 忘れもしない、母の巴が居なくなったのも、六月七日だった。六年前の……
――コンコン
ドアをノックする音が、狭い病室に満ちていた重い沈黙を破った。




