父
体が回復してしまえば、一人の病室ほど退屈なものはない。昼食を食べきって看護師からの許可が出ると、あかりは病棟をうろうろと歩き回った。それにも飽きてテレビのカードを買って部屋に戻ると、ハナエがあかりのリュックを持って病室から出てくるところだった。部屋に居ないあかりを探しに行こうとしていたらしい。あかりを見つけて安心したように微笑んだ。
「心配すれば、全然平気そうじゃないの全く」
「へへ、ありがと」
素っ気無い口調だが愛情のこもった祖母の声を聞いて、あかりは照れながらお礼を言った。リュックを受け取る。
「鈴子ちゃんに電話してくるから部屋でちょっと待ってて」
「はいはい」
あかりは急いでラウンジに向かった。リュックから携帯を取り出して鈴子に電話をする。だが、何度呼び出しても鈴子が電話に出ることはなかった。
「出ないなあ……」
どうしても気になって、あかりは迷った末に鈴子の自宅の番号に電話をかけた。カチャリ、と電話が通じる。
「あ、永沢さんのお宅でしょうか。秋月ですけど、鈴子さんは……」
「あかりちゃん!? 大丈夫なの!?」
電話口から響いてきた鈴子の母の心配そうな声に、あかりは申し訳なさでいっぱいになった。
「はい、大丈夫です。全然。ご心配をおかけしてすみません」
「本当に良かったわ。鈴子は今眠ってるみたいなんだけど……」
「あ、じゃあいいです。またかけます」
「そう? 起きたら電話があったこと伝えるわね」
「お願いします」
鈴子のことが気になっていたあかりは、ようやく一安心して部屋に戻った。ベッドの上には、ハナエの手提げ袋から実にいろいろなものが飛び出していた。
「おばあちゃん、トランプは……」
「あら、いらない?」
歯ブラシやタオルは必要だが、一日の入院で爪切りは必要ないし、トランプは一人でどうしろというのだろう? ハナエは必死であかりが欲しがるようなものを考えてくれたに違いない。あかりは嬉しさでくすくす笑いが止まらなくなった。
「変な子ねえ。そういえば巴も小さいときにね……」
懐かしそうに目を細めて、ハナエはあかりの母、巴の小さい頃の話を始めた。何度も聞いたことがある話しだったが、あかりはうんうん、と相槌を打ちながらそれを聞いた。
「秋月あかりさん、検査にいきましょう」
話の途中で看護師が呼びに来て、あかりは名残惜しいと思いつつハナエを残して一階へと移動した。これをして意味があるのだろうか? と思うような幾つかの検査を受けて部屋に戻ると、ハナエはまだ椅子にちょこんと座って待っていた。どこかに置けばいいのに手提げ袋は膝の上に載せたままである。
「帰っててよかったのに」
「だって、居なくなってたら寂しいでしょう。さて、大和のご飯を作らないとだから帰るわね」
ハナエはあかりの頭をそっと撫でて帰っていった。撫でられたのは何年ぶりだろう。あかりはまだぬくもりが残っているような気がして、頭にそっと触ってみた。
「秋月さーん、夕飯でーす」
ガラガラという配膳車の音とともに早すぎる夕食が運び込まれた。昼はおかゆだったが、普通のご飯になっている。看護師はハナエの持ってきたカップに番茶を注ぐ。乱暴に見えて零さないのを、あかりは感心して眺めた。看護師は視線に気がついてにっこりと笑う。
「あかりちゃん、食べたらシャワーを浴びる?」
「いいんですか? お願いします!」
気にしないようにしていたが、なんだか体から生臭い匂いがしている気がしたので、あかりは即答した。
「じゃあ、準備が出来たら呼びにくるわね」
看護師が出て行って、誰もいない静かな部屋でひとり黙々と夕飯を食べていると、ホームシックのようにふいに寂しさがこみ上げた。気を取り直すようにはっと短く息を吐くと、あかりはテレビにプリペイドカードを差し込んでスイッチを入れた。
「ニュースばっかだなー」
独り言を言いながらリモコンをテレビに向けてチャンネルを変える。
「え……」
見覚えのある映像にリモコンを押すあかりの左手が、はたと止まった。そこには見慣れすぎている風景が映し出されていた。ご飯を運んだ箸を口に咥えたまま、呆然と画面に魅入る。
「秋月神社の池で発見された人間の大腿骨と見られる骨は……」
アナウンサーの声に我に返る。テレビのテロップで、池から人骨発見という文字が流れている。あかりは携帯電話を握り締め、よろよろとベッドを降りてラウンジへと向かい家に電話をする。
「話し中……」
諦めて切って、和彦の携帯にもかけるが電源が入っていない。
――人骨……だれ……の?
震える手で携帯電話を握り締め、病室に戻ろうとラウンジを出るとエレベーターを降りた和彦とばったり出くわした。
「お父さん!」
「お義母さんに聞いてたけど、すっかり良くなったね」
そんな場合か! と怒鳴りたくなる気持ちを抑えて、あかりは和彦の腕を取って病室に向う。
「あかりさん、ニュースを見た?」
部屋に入ると、和彦は開口一番でそういった。あかりは、真剣な顔で頷く。
「……巴さんじゃないよ」
和彦の言葉に、あかりは全身の力が抜けて、椅子ににへたりと座り込んだ。
「身長が巴さんより大分小さいらしい……おそらく女性だって。まだ詳しくはわからないけど、あとは警察に任せておけばいいことだから」
質問しようとするあかりを遮るように口早に和彦は言った。何も聞くなということだろう。あかりは、仕方なく頷く。
「どこも問題がないから明日には退院して良いそうだけど……お父さんもお祖母ちゃんも心臓が止まるかと思ったよ。軽率な事はしないで、何でも話してくれないと」
「……ごめんなさい」
こんどは素直に頷く。誰かに突き落とされたかもしれない、そのことを言わなくては……と、あかりが顔をあげたその時、
「しつれいします……」
病室の扉が少しだけ開いて、遠慮がちな声が響いた。隙間から入っていいものか戸惑っているワンピース姿の鈴子が見えた。
「すず!」
「鈴子ちゃん。来てくれたんだね、ありがとう」
和彦は鈴子に入室を促した。鈴子は遠慮がちに病室に入ってくる。
「あの、これ母からです」
鈴子は紙包みを和彦に手渡した。
「こんなに……どうもありがとう。鈴子ちゃん帰りの足は?」
「あ、はい。母が九時に迎えに来るんで」
「そう」
鈴子に頷くと和彦はあかりに向き直り、鈴子から受け取った紙袋を手渡した。あかりの大好きな和菓子店の紙袋だった。
「あかりさん、お父さんもう少しやることがあるんだ。鈴子ちゃんも居るし、明日迎えに来るまでひとりで大丈夫かな?」
「全っ然、大丈夫」
「本当に、危ないことはしないように」
娘が一瞬だけの反省で、すっかりいつもの調子に戻ったことがおかしかったのだろう。和彦は苦笑して念を押すと静かに部屋を出て行った。




