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ニ ノ イ チ  作者: タカノケイ
六月十三日(土)
10/36

入院

 病院のベッドであかりはうっすらと目を開いた。まだ覚めたくない夢の途中で目覚めたような残念な思いがしたが、何の夢を見ていたのかは思い出せなかった。ぱちぱちと瞬きを繰り返しながら、目に入る範囲をそれとなく眺める。


「あかりさん」


 あかりの父、和彦があかりを覗き込んだ。


「おとうさん」


 普通に声を出したつもりなのに、掠れて聞き取れない音になる。どうして……と思った瞬間、恐ろしい記憶が蘇って、あかりは目を見開いた。パニックが喉元からせりあがってきた。


「起きたね、よかった。……おはよう」


 内心は焦っているのかもしれないが、和彦はなんとなく場違いな挨拶をしてナースコールを押した。そんな父の姿を見てあかりは平静を取り戻す。何か……いや、誰か? だろうか。池に突き落とされて、頭を押さえられ殺されかけた……。


「大和君が見つけてくれなかったら大変だったよ。どうして池になんか……」

「あた……」


 しゃがれ声で話しだした途端、看護師が勢い良く入ってきた。あれこれと質問をしながら手際よく脈拍や熱を測っていく。一通り終わった頃に、今度は医師が姿を見せた。随分若いな、とあかりは思った。


「秋月あかりちゃん?」

「はい」

「ちょっとごめんね」


 若い医師はあかりの目を懐中電灯で照らす。


「あかりちゃんはいくつ?」

「……十七です」

「学校はどこだったっけ?」

「東成です」

「東成かあ。あそこ坂道が大変なんだよね。あかりちゃんは何組?」

「あの。わたしちゃんとしてますから」


 懐中電灯を横に振ったり、下まぶたを押さえたりしている医師の視線を捉えて、あかりはしっかりと話した。同じような質問を看護師にもされたばかりだ。一瞬ぽかんとした医師は「ははっ」と声を出して笑う。


「じゃあ、どこか痛いところはある?」


 医師が聴診器を当てながら聞く。


「大丈夫です」

「んー、水もあまり飲んでいなかったし、体調も悪くないようですが、念のため今日は一晩入院しましょう。午後から少し検査もします。で、何事もなければ明日、退院です。何かあったら看護師に伝えてください」


 あかりと和彦二人を見ながら一気に言うと、医師はお辞儀をしてくるりと背を向けた。


「あ、ありがとうございます」


 慌てた和彦の感謝の言葉が終わらぬうちに、病室のドアは閉まった。和彦はふう、と息をつくと椅子に腰掛けて、乱れても居ない布団を直した。


「ねえ、あか……」


 和彦が何かを言いかけた途端、携帯が鳴った。病院では電源を切らなくちゃダメなのに、とあかりが睨むと、和彦は気まずそうに電源を切って、「ちょっと」と病室を出て行った。

 そういえば、鈴子は……きっと鈴子もぐったりとした自分を見たはずだ。怯えているだろうから早く連絡しないと、あかりは慌てて周りを見渡す。だが、携帯電話どころか何もなかった。公衆電話で掛けようにも小銭もなければ、番号も覚えていない。お父さんが戻ったら携帯を借りよう。すずの自宅の番号が登録してあるはずだから、と諦める。


「あかりさん、お父さん帰らないといけないみたいだ」


 病室に戻ってきた和彦は、淡々とそう言った。お父さんは、気持ちが読みづらくて困る、とあかりは思う。だが、この状態の自分を置いていくということは恐らく何か困ったことがあったのだ。


「何かあったの?」

「うーん、よくわからないから、わかったら連絡するよ」

「どうやって?」


 あ、という顔をして和彦は財布を取り出す。千円札数枚と小銭を取り出すと、ベッドサイドにある背の高いキャビネットの引き出しに入れた。


「何かあったら連絡して。何か飲み物を買ってくるかい?」

「自分で行けそうだからいい」


 あかりは首を振って答えた。実際、体は少しだるかったが、歩けないということもなさそうだった。


「すぐにおばあちゃんに来てもらうからね」

「あ、携帯とリュック持ってきて。携帯は多分ベッドの上にある。リュックはいつも学校に持っていくやつ。あと、鈴子になんでもないって連絡して。心配してるだろうから早めに」


 和彦は頷いて、ナースコールのボタンをあかりの取りやすい場所に置く。何度も振り返り、迷うようにして病室を出て行った。

 あの、のんびりさが婿養子でも上手くいく秘訣だろう、とあかりは思った。だが、婿であるにもかかわらず、母が居なくなっても、いつも通りに宮司の仕事を続けている父の強さにあかりは気がついている。残り半分ほどになった点滴の袋を見あげると壁にかけられた時計が目に入った。九時前……起きてから三時間しか経っていなかった。

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