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神槍のアークメイデン  作者: クロ・イトリ
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第一章 第五話 『エルンティス・フェルザード』

  

 ――貴女は何を望む?


 ワタシはそう、目の前の彼女に問いかけた。


 「ノゾム?……それ、なあに?」


 彼女はそう答えると、そのあどけない顔と大きく無垢な瞳でワタシを覗き込んだ。


 ――『望み』……それは貴女の『願い』であり、同時に貴女の叶えたい『夢』であるもの。


 「かなえたい……ゆめ?もしかして、わたしのゆめをかなえてくれるの!?」


 大喜びではしゃぐ彼女はその柔らかく小さな手でワタシを包み込むと、それまで以上に瞳を輝かせながら再びワタシを覗き込んだ。


 「ねえねえ、どんなおねがいをかなえてくれるの!?なんでもいいの!?」


 ――貴女が望むもの全てを。


 そう、ワタシはワタシを望む者の、全ての望みをカタチとするもの――それがワタシ達の存在であり、果たすべき役目。


 「やったぁ~!!それじゃあねぇ、うぅ~~んとね……あっ!そうだぁ!」


 彼女はしばらく黙り込んだ。そしてまるで実から弾けた種ようにひらめくとワタシに自らの望みを語り始めた。


 「えっとね、わたしのおねがいごとはね……」



                       ※※※※




 ――どれだけの時が過ぎただろうか。まるで浮いているような感覚と共にユイは深い微睡みからから目を覚ました。


 (――う……ん)


 ゆっくりと重い瞼を開いた。そこは見渡す限りに青く澄み渡った夢のような世界だった。


 (ここは……?アタシ、夢を見ているの?)


 全身に降り注ぐ柔らかな光に気付いたユイはふと上を見上げると、虹色に混ざり合う無数の光が彼女を優しく照らしていた。

 

 (何、アレ……?とても……綺麗な――ッ!?)


 自身を包み込む光にユイが笑顔で返した時だった。それまでの女神のような微笑みが一瞬にして苦悶に歪むと、手足を大きくばたつかせ始めた。


 「んんんんぶごごごごおぉぉ~~!!」


 自分が水中に沈んでいることにようやく気付いたユイは、ゴボゴボと口から無数の気泡を吐きながらその細い形の良い四肢で必死に水をかき分けると、眩しく輝く水上を目指して這い上がりだした。


 「ごぼごぼごぼおぉぉぉ~~!?がぼがぼぼぼぉ……く、くぶじいぃ~~!!」


 息も絶え絶えの状況にもがきつつも、何とか水面に顔を出したユイは顎が外れんばかりに口を開けて息を吸い込むと、すっかり空になった肺にありったけの酸素を送り込んだ。


 「すううううぅぅ~~……ぷっはあああああぁ~~っ!!ハアハア……。あ、後少しで危うく土座衛門になるところだったわ……」


 そう自身に悪態をつきつつ、ユイは濡れてベッタリと張り付いた前髪を鬱陶しくかき分けると、未だしみる両目を凝らして辺りを見渡した。



 ――え……?



 その瞳に入って来たものにユイは我が目を疑った。


 言葉をなくし、ただ茫然とするユイの前に広がっていたのは温かな陽光に照らされ、虹色に輝く不思議な葉を付ける木々と周囲の音すらかき消す轟音を響かせながらその間を貫くように走る大きな川だった。そして今まさに彼女は決して止まることの無いその激流の中にあった。


 「ココ……どこなのよ?――な、何で溺れてんのよぉ~~?アタシはぁっ!?」


 自分の身に何が起きているのかも分からないままユイは大きく叫ぶと近くの岸へ向けて手足を力強くバタつかせながら泳ぎ出した。


 「流れが速すぎて全然動けない。それにこの川、一体ドコまで――っぷふぅっ……げほっげほっ!!ああ~んもう!水が直に口とか鼻に入って来るし、体も髪も全部びっしょびっしょ……。一体何がどうなってんのっ!?」


 鉄砲水のような川の流れはまるで波の様に大きくうねり、四方からユイに襲い掛かってただひたすら彼女を押し流していく。荒れ狂う水流に身体の自由を奪われながらも必死に岸を目指すユイを不意に差し込んだ強い光が包みこんだ。


 そして目がくらむような光の空間を通り過ぎた瞬間だった。

 


 「そ、そんな……う、ウソ……!?」



 そう、それはまるで夢を見ているようだった。


 森を抜けたその先には、まるで吸い込まれるように澄み渡った濃青の大空と天を突くようにそびえる山脈、その麓には見渡す限りに広がる雄大な色とりどり自然の絨毯。そして末端から光り輝く滴を流す大小様々な大陸が浮かぶ、まさにそこはお伽話やゲームに出て来る世界『そのもの』だった。 


 「――き、キレイ……」


 眼前に突如として現れた、この世のものとは思えぬ美しい光景に圧倒されたユイは、思わずそう呟くと同時に恍惚な笑みを浮かべた。



 ――ママ……ゆいはね――


 

 「――!?……な、何だろ、さっきの感じ。あ、アタシ何か大切なことを忘れて――って、あ゛あ゛あ゛あ゛ああぁぁぁ!!そ、それどころじゃなあぁぁ~いっ!!」


 ようやく我に返ったユイを待ち構えていたのは遥か前方の断崖絶壁を勢いよく流れ落ちる、その名の通りの「終点」だった。


 「じょ、冗談じゃないわよぉぉぉ!!何で、何で滝があるのよ!!展開が速すぎるにも程があるでしょうがあああっ!!」


 最早ユイの一人の力ではどうにもならず、このまま遥か彼方の滝壺に落ちればもちろん命はない。

 


 (アタシ……このまま、落ちて死ぬの……?)



 そう覚悟をした時だった――。



 ――おおぉ~~いっ!!そこの人ぉ~~!!もしかして溺れてるぅ~~!?



 「ひとの……こ、声……どこっ!?どこなの!?」


 突然響き渡った甲高い声に戸惑うユイは仕切りに辺りを見渡して、必死に声の主を探した。すると岸の遥か奥の草むらから人影らしきものがこちらを覗いていた。


 「お、お願い!!助けて……アタシを助けてぇ!!」


 「だいじょーぶだいじょーぶ、言われなくたってわかってるってばぁ~~!!今から助けてあげるからそこから動いちゃだめだよぉ~~!!」


 「動いちゃダメって……アタシは流されてんのよっ!無理言うんじゃないわよっ!!」

 

 「あっはは、じょーだんじょーだん。ちょっと待っててぇ!!」


 憤慨するユイを軽くあしらうと、陽気な人影は風のような足取りでユイの前方まで先回りした。そして彼女のいる河川へ向けて掛け声と共に一本の木の枝を差し出した。


 「とりあえずこれにつかまって!!」


 まるでつい先程へし折って来たかようなそれは、大人の背丈にも達する程に大きく、鹿の角を思わせる枝を生やした太い幹は人ひとりがしがみ付くには申し分のない代物であった。


 (い、一体どこからあんなデカいものを!?――で、でもあれだけ大きなものなら……もしかしたらアタシ、助かるかも!!)


 奇妙な疑問を抱きつつもユイは自らに与えられた、たった一度のチャンスに希望を見出し僅かに残る気力を振り絞って目前にまで迫った木の枝に意識を集中した。だが、それと共に抑えられないくらいの不安と恐怖が入り混じった胸の鼓動が徐々に大きく、そして速くなっていくのを感じた。



 ――そしてついにその時が訪れた。



 「――今だよっ!つかまって!!」

 

 合図の声と共にユイは右手を伸ばした。筋が切れんとばかりにピンと突き出されたその腕に、ただひたすらに生きたいと願う強い意志を一心に託した。


 (――お願い、届いてアタシの右手……届けえええぇぇぇ!!)


 それは単なる偶然か、あるいは運命の女神の気まぐれだったのか。

 

 荒れ狂う水しぶきが視界を遮る中、ユイの右手が硬い感触を覚えると同時にそれまで怯えていた死への恐怖も吹き飛んでいく。


 (やった!!た、助かったぁ~!!)


 命の危機を何とか乗り越え、ユイは心の中でほっと胸を撫で下ろした。



 ――ミシリ



 「――はい?」


 激流の発する騒音に混じって聞こえた微かな音にユイはすっとんきょうな声を上げた。ざわざわと忍び寄る不吉な予感を抑えつつ、恐る恐る自分がしがみ付いている命綱を目で辿った。



 ――ベキベキベキ……メキャ



 「え?……あ……あ」


 ユイの背筋はたちまちゾッと凍り付いた。


 硬く太いはずの枝は真ん中から真一文字に入った亀裂によってバキバキと痛々しい悲鳴を上げながら今にも力なく折れようとしていたのだ。


 「いやああああああぁぁぁ!?な、何なのよぉこの枝はぁ!?ちょっとアンタ、アタシを助けるフリしておいて実は殺す気なのっ!?この偽善殺人虫けらゲス――」


 対岸で脆弱な枝を渡した相手に向かって考えつくありとあらゆる罵詈雑言を吐きつけようとしたユイのアゴが突然ポカンと開いたまま硬直した。


 「……?」


 「えへへ。だいじょーぶ?ねー。まあ、その感じだとまだまだ元気そうだね」


 意外な事実にただ目を丸くするユイの前に、自分よりも一回りも幼い少年が蒼と碧の双眼で彼女をじっと見つめていた。そして大人の身長程の大きさの木の枝をその小さな身体で抱えているにも関わらず、あどけない顔には何故か余裕の笑みがこぼれていた。


 「な、何で子供が……?。と……とにかく、早くアタシを助けてぇ!!折れちゃうよおぉぉ!!」


 「慌てない、慌てない。ねーはせっかちだなぁ~。だ・か・らだいじょーぶだってば」


 「これのドコが大丈夫なのよっ!!アンタはアタシを助けるのか助けないのか、一体どっちなのお~!?」


 皮肉を通り越して最早断末魔にも思えるユイの叫びを前にしても、少年は変わらず飄々とした態度と何事にも動じない冷静さでひたすら赤子の様に泣きわめくユイを落ち着かせようとした。


 「わかった、わかったよ。それじゃあ今から釣り上げるから、ねーもしっかりつかまってるんだよっ!」


 「さっさとしなさいよ――って、ちょ……ちょっと今何て言ったのよ!?」


 少年が告げた言葉に耳を疑った瞬間、ユイの体は高々と宙を舞っていた。訳も分からず、いきなり空中に投げ出された恐怖に言葉にならない絶叫を上げながら、そのまま分厚い苔の生えた地面に正面から熱烈なキスをした。


 「いやぁ、こりゃあ中々の大物が釣れたなあ……って生きてる?」


 「うぶぷぷぷぅ……っ!!は、ハナが……鼻が砕けるるるうううぅ~!!」


 心配そうに見つめる彼の前でまるで活き活きとした魚の如く、ユイはその場で激しくのたうち回っていた。苔の上とはいえ、二度もダイナミックな着地をしたその顔は耐え難い苦痛で流れる涙でグシャグシャに濡れ、形の整った鼻はほんのりとピンクに染まっていた。


 「な……なぁにすんのよぉ!?い、いきなり投げ飛ばした挙句に……地面に叩きつけて『大物が釣れた』ですって……?やっぱり、アンタはアタシを……殺す気だったのね……!?」


 「ひ、ひどいなぁ~。とりあえず落ち着いてってば~。大物とか言ったのは謝るからさぁー」


 「ううう……何でアタシばっかりこんな目に……でも、ありがと……助けてくれて」


 そうボソリと呟くと、ユイは改めて自分の命を救った小さな英雄に目をやった。

 

 白く輝くボサボサの長い髪とボロボロで灰色の袖の無い上着、そしてあちこち土や泥で汚れた腕と靴を履いていないことから貧しい身分である事がうかがえた。


 しかし、如何にも物乞いの様な姿のも関わらず、少年の体からは飢えて痩せ細った感じは一切見受けられなかった。あの大きな木の枝を軽々と持ち上げたその健康的な肉付きの手足がそれを証明していたからだ。何よりユイに見せる天使の微笑みと小鳥がさえずる様な声音は如何にも飢餓に苦しむ貧困とは無縁なものにも思えた。


 「……ん?なんか言った?」


 「な、何でもない――へ……へっくしょんっ!!」


 「そっかー。ねーの服、びしょびしょだもんね。ねえ、もしよかったら一緒にボクの村に来ない?」


 「え……?む、村って……ふ、ふあっくしゃいっ!!」


 「あっはははは~!!さあ、いこーよ。そのままだと幽鬼(レイス)に取り憑かれちゃうよ」

 

 「は?……ぶぁっくしょん!!」


 愛らしく高笑いする少年の奇妙な喩えに頭がこんがらがるユイは未だ赤みの取れていない鼻をすすると、ウサギのように跳ねる足取りで森を歩く彼をヨタヨタと追いかけた。


 

 ――どれくらい森の中を進んだだろうか?



 まるで人間が蟻の様に小さく見える程の無数の巨岩が行く手を遮る河原を越え、隆起の激しく入り組んだ道なき道をひたすら進んだユイの両足は歩き続けたことによる激痛でおぼつかなくなっていた。走り疲れた馬の如くゼエゼエと息を吸っては吐きながらも僅かな気力だけで疲弊しきった自分の身体を鞭打っていた。とは言え既にそれも限界に近づいている。


 「ひい……ひい……はーはーはー……もう、だめぇ~~」


 「どーしたのねー?もしかしてもうヘトヘトなの?」

 

 「うう……。いつまで歩かなきゃならないの……?あ゛あ゛~~足の関節が内側からぱたぱた畳まれていくうぅぅ~~」


 苦しさの余りに自分でも理解不能な台詞を吐きだすと、ユイは体の底から大きく深呼吸した。そして目の前の大きな岩の上にちょこんと佇む銀髪の少年の後ろ姿を見上げる。疲労のせいだろうか、まるで人形のように細く華奢な体つきと腰まで伸びた長い髪は、普通の男の子とは明らかに違った雰囲気を放っているようにも見えた。


 「ね……ねえ。え~~と……」


 「ボク?ボクはターニャって言うんだ」


 「た、たーにゃ……?ねえ、ターニャはこんなに歩いても平気なの?」


 「ぼく?へーきだけど。それにまだ歩いて少ししか経ってないよ……。ねえ、ねーの顔色、何だか悪いよ、やっぱり幽鬼(レイス)に憑りつかれてるね。ソールの眼が閉じる前にさっさとプルカ村に戻るからがんばってね!!」


 「――れいす?……そーるのめ?……ぷるかむら……!?」


 ターニャが励ますつもりで言い放った、どこの国かすらもわからない名前の村と聞いたことの無い不可思議な単語にユイは自分が知らない異世界に迷い込んでしまったことを改めて思い知らされた。


 心臓の鼓動が今までになくドクドクと激しく脈打った。そしてそれまで押し殺してきた不安や恐怖といった黒い感情が津波のように一気に押し寄せると、身も心不安定なユイはたちまち恐怖と混乱の渦に飲み込まれた。全身からはどっと冷たい脂汗が噴き出すと赤子の肌の様に柔らかな唇はぴくぴくと細かく震え、綺麗花びらを思わせる舌も上手く回らなくなっていた。

 

 「――あ……あたし、ゆめをみ……てるんだよね。これは、ゆめ……なんだよ。ぜったいにわ・る・い・ゆ・め・な・ん・だ……」

 

 「あわわっ!!これって相当危ないかもっ!?と、とにかく……ねー、ボクの後に付いて来てっ!!もう少しで麓に出られるからそれまでがんばって!!」


 目の前で慌てふためくターニャの姿が歪むと同時に、ユイは目頭に何か熱いものを感じた。


 満杯になった器からあふれ出すようにぽろぽろと流れ出たそれはユイの頬を伝いながら、すっかり乾ききった制服の襟元をしっとりと湿らせた。


 「――かえ……い……よ」


 「ねー……?」


 「うあああぁぁぁぁん!!かえりたいよおおぉぉぉ!!」


 背後で泣き叫ぶ声にターニャは怖々と振り返った。そこには親とはぐれた小さな子供のように座り込み、ただ泣きじゃくるユイの姿があった。幼いターニャにはその涙の意味を理解することが出来なかったが、唯一つ出来ることは泣き崩れている彼女をひたすら勇気付けることだけで精一杯だった。

 

 「元気出して、ねーは一人じゃない。ちゃんとボクがいるよ……だから、泣かないで。――あ、ホラ見てよ、あそこ。あれがボクの村だよ」


 「うぅ……ぐすん……」


 隣で寄り添うターニャが指さした方向を、ユイは涙で赤く腫らした目を凝らした。今、自分たちがいる山から見えたものは、ぼんやりとした幾つもの明かりだった。紛れもなく、人の営みがある確かな証だった。

 

 「さすがに暗くなってきたね……ソールが眼を閉じようとしてるんだ。ね――」


 「ユイ」


 「……え?」


 「ねーじゃない……。神代ユイ。アタシの……名前」


 「かみしろ?何だか変な名前」

 

 「アンタこそ……よっぽど変わってるわよ、このバ――くっしゅんっ!!」


 「えへへ、やっと元気になってくれた。でも幽鬼(レイス)はまだ憑いてるようだけどまあその感じなら明日ぐらいには出ていくかもね。さあ行こうユイおねーちゃん」


 「なるほど、アンタの言うその『ねー』っていうのはおねーちゃんって意味だったのね……フフッ」


 「あっ!!ユイねーがやっと笑ったあ~!!」


 「アンタから元気を分けてもらったからよ!ホラホラ、さっさと村まで案内しなさいよって!野宿なんてゴメンなんだからっ!!」


 ターニャはそれまで以上に満面の笑顔を見せた。そして笑顔で自分を急かすユイの周りを子犬のようにぴょんぴょんとせわしなく飛び跳ねると、夜の帳が下りる中、彼女をプルカ村へと誘った。そのあどけない姿に元気付けられたユイの心は少しづつ以前の平静を取り戻しつつあった。

 

 今のユイには、こんなにも嬉しそうな笑顔の子供の住む村なら、きっと温かい歓迎と美味しい食事が与えられる――そんな都合の良い期待にただひたすら胸を膨らませていた。

 




 「ようこそ、ここがボクの住んでる村、プルカだよ!」

 

 「――あ……え?こ、ココが……?」

 

 麓の光を頼りに、急こう配で長い山道をターニャと共に何とか抜けた末、やっと麓の村の入口に辿り着いたユイは呆気にとられていた。


 「ねえ、ココが本当にアナタの村なの……?」


 「もちろんっ!ここがボクの村だよ。――ユイねー、どうかしたの?」


 「何……でもない。」


 (――何?一体何なのよ……?この村は……?)


 今まで抱いて来た過度な期待を心待ちにしていたユイの目に映った現実は、あちこち至る所に建ち並ぶ、今にも崩れそうな乾いた土壁のあばら家とまるで死んだかように閑散とした村を取り巻くヒンヤリ冷たい空気。そして取り分け痩せ細って窪んだ眼をした村人たちのまるで得体の知れない何かを見るような奇異の視線が矢のようにユイに突き刺さる中、ターニャの明るく弾んだ歓迎の声だけが辺りに虚しくこだましていた。

 

 「さーさー、ユイねーこっちこっち。ボクの家はもうちょっとこの先。おかーが待ってるんだ」


 「おかー?もしかして、ターニャのお母さんのこと?――ってちょっとターニャ!?」


 ターニャはうんと言いながら頭を大きく縦に振ると、ユイの腕をガッチリ掴んでそのまま引きずるように村の奥へと走り出した。そして鬱々とした奇怪な視線の村内を進むと、奥の外れにある一軒の小屋が見えて来た。


 「ここだよ、ユイねー。ここがボクの家、今おかーがいるんだ。ちょっとまってて。おかあぁぁー!!今帰ったよお~!!」


 はしゃぐターニャは先ほどから隣で石像の様に立ち尽くしているユイにそう告げると、白銀の長い髪をたなびかせ、無邪気な笑顔で母親の待っているであろう小屋の中に入って行った。



 「――う……ウソ……何?何なのよ……コレ?」




それまで微動だにしていなかったユイの口がようやく第一声を放った。


ターニャが自分の家と称するそこは他のどの家よりも小さく、家というよりも馬小屋や倉庫といった類の外観だった。何よりその半分は既に上から押し潰されたように酷く倒壊しており、人が住むには明らかに無理があった。


 「お~~い、ユイねー!!今、おかーにユイねーのこと話してきたよ~~!!早く入って来てぇ~~!!」


 放心しているユイの心境を全く知らないターニャが、あばら小屋に辛うじてくっついている穴だらけの木の扉からひょっこりとその愛らしい顔を覗かせながら、彼女に家に入って来るように促した。


 「え?……あ、あの……うぅ」


 (――こんなトコで一晩を明かすの……?マジで……?)


 言葉に詰まったユイは眼前の光景に戸惑っていた。廃屋同然の小屋でまともな食事と寝る場所が提供されるわけがない――そんな不快な気分に似たようなものが心の奥底から湧き上がって来る。

 

 しかし、自分の命の恩人であるターニャの想いを蔑ろにするのは余りにも忍びなく、ましてやあの深い森の中で一夜を過ごすなどもってのほかだった。結果的にユイに選択の余地などなかった。


 (仕方……無いよね……野宿なんてアタシには出来ないし……)


 ユイは意を決して大声で急かすターニャの待つ小屋へと歩を進めた。



 古びて朽ちた扉の先にまず飛び込んで来たものは、ツンと鼻を突くような生活臭と小屋中に割れて散乱した様々な形の用途不明の壺。狭く小さな空間の真ん中に陣取る風化の激しい円形の白い石のテーブルとその上にポツンと置かれた不思議な形の小さなランタンがおぼろげな光を放っていた。そして更に天井を見上げれば、崩れ落ちた屋根に開いた大きな穴から漆黒の空がこちらを見下ろしていた。


 「さあ座って座って。今おかーがね、ボクとユイねーの為にメシを作ってるんだ。あ~~早く出来ないかなあ~~?」


まるで鳥の雛のように騒がしくテーブルをぽこぽこ叩きながら食事を待つターニャを横目にユイは彼の隣に置かれている丸石に腰を下ろした。それと同時に部屋中を覆っている異臭に混じってハーブにも似た温かな甘い香りが漂って来た。少し吸い込むだけでも自然と食欲が湧いてくる――そんな不思議な匂いだった。

 

 「おかー!!メシ、出来たの!?はやくはやくうぅ~~。おかーのメシ食いたいよお~~!!」


 「そう慌てなくともお食事は逃げませんよ」


 はやるターニャを宥める穏やかな声と共に部屋の奥から一人の若い女性が現れた。栗色の長髪にターニャと同じく無数の布切れを縫い合わした衣服を纏い、その両手にはあの甘い香りの放つ、彼がメシと言うものが入った器が抱えられていた。


 「ようこそいらっしゃいました……。私はこの子……ターニャの母のメアラです。事情はこの子から一通り聞きました。家の中はその……ご覧の通りの有様ではございますが……。さあ、どうぞご遠慮なくお召し上がり下さいませ」


 「うわぁ~~おかー、今日は何だかいっぱい作ってるぅ~~!?」


 「今日はクォルテア山の方まで参られたのでしょう?ですからいっぱい作っておきましたよ」


 「えっ?おかー、何でわかったの?」


 クスッと優しく微笑んだメアラは料理を徐にテーブルに置くと、ターニャの頭にゆっくりと手を伸ばした。仄暗い中でランタンの光で一層白く映る彼の髪から、キラキラと輝く花びらのようなものが一枚現れた。


 「光輝の花、ココリカ……これはあの山の頂きにしか咲かないのですから」


 「えへへ、やっぱりおかーはすごいなぁ~~。ボク、お花なんかぜんっぜんわかんないからさぁ」


 「お花のことでしたら、そのうち教えてあげましょう。ささ、二人とも、料理が冷めないうちにお召し上がりなさい」


 「そうだった!!ほらほらユイねー、食べて食べて。せっかくおかーがメシをいっぱい作ってくれたんだからさっ!!」


 「――あ……うん」


 未だ頭の中の整理が出来ていないユイをそっちのけに、メアラと楽しく会話を弾ませるターニャはいつの間にか三枚の小皿と欠けたスプーンを取り出してユイと自分と今しがたテーブルに着いたメアラの前に置くと、大きなスプーンでそれぞれの皿に料理をせっせと盛り始めた。舌なめずりするその口からは滝のように涎がポタポタとテーブルを濡らしている。


 (――こういうところはやっぱり子供なのね……って言うか、きったな……)


 そんなターニャの行儀の悪さにうんざりしながらもユイは目の前に出されている料理を改めて覗いた。皿の中には大小色とりどりの豆のようなものがこれでもかと言わんばかりに盛られていた。


 「コレ……ホントに食べれるの?」


 「毒など入っておりませんよ。さあ、ご遠慮なくどうぞ。ここまでの長い道のりはさぞ疲れましたでしょうに。それに、貴女のお腹もすっかり空いているでしょう?」


 先程から鳴り続ける腹の虫が頭の中で喰え喰えと急かす中、ユイはそれでも得体の知れない食べ物に躊躇していた。しかし隣では、ターニャがリスのように口いっぱい豆を頬張っており、彼の皿に乗っていたはずの豆は既に無くなっていた。


 「そ、そうね……じゃあ、頂きます」


 食欲に負けたユイはスプーンを手に取ると豆の山を豪快にすくうと、そのまま真っ直ぐ口に入れた。もぐもぐと荒く咀嚼すると、まだ温かみの残る豆を一気に飲み込んだ。


 「どおー?ユイねー。おかあーの作ったメシ、とってもおいしーでしょ?」


 「…………」


 「あの……あまり無理に詰め込んでは……」


 メアラは心配そうな表情で、スプーンを持ったまま無言で震えているユイの顔を覗き込んだ。


 「――ま……」


 「ん、なんか言ったユイねー?」


 「ま、まあ~~!!な、何て……お、美味しいのかしらあ~~!?」


 そう満面の笑みで舌鼓を打ったユイはどこかぎこちなく、無理やり釣り上げたような口元もピクピクとひくついていた。



 (――不味い……!!超ークッソ不味い……!!)



 甘く、食欲をそそる匂いを放っていたはず豆はとても硬く、噛み砕くものなら口の中がどろりとした生温かく、言葉では説明の出来ない程の濃厚な味の汁で満たされる。我慢して飲み込めば喉から食道までが、そのおぞましい液体でヌルヌルに満たされた。


 「おかあー、ユイねーもおいしーって言ってるよ。やっぱりおかーのメシは大陸一だよ!!」


 今すぐにでも吐き出したかったが、隣で美味そうにガツガツと豆を口に運ぶターニャの元気な姿とそれを嬉しそうにメアラを前に、ユイはどうしてもそれが出来なかった。


 (こんなの、人間の食うものじゃないわ……!!一体この親子、どういう味覚してんのよ!?)


 どす黒い本音を漏らせないもどかしさと豆の濃厚汁に苦しみながらもユイがやっと気味の悪い豆を平らげた途端だった。


 「――あ……れ?」


 今まで散々身体を酷使し続けた挙句に満腹になったせいだろうか、いきなり急激な睡魔がユイに襲いかかった。心地よい感覚と共に頭がボーっとし、徐々にぼやける視界と共に少しづつ瞼が重くなっていく。


 「……イねー、……眠……の?ユイ……ねー」

 

 途切れ途切れに聞こえるターニャの声を最後にユイの意識は急速に遠退いていった。



                       ※※※※

 


 「また、あなたたちですか……」


 天に瞬く月明かりだけが闇夜を照らす下、メアラは扉の前に佇む二人の影を睨みつけた。一人は細身の長身、もう一人は対照的に背が低く、とりわけ横に大きかった。


 「いい加減、考えを改めて頂けませんでしょうかねぇ?」


 「なあ~ニックぅ、本当にやっちまうんかあ~?もしこの仕事がスティーの姐さんに知れたら、おれたちメルゴー盗賊団の名が廃れちまうよぉ~~」


 「ヴ、ヴォルール、いきなり余計なこと言いやがって!!てめえは黙ってろっ!!」


 ニックと呼ばれた長身の若い男が怒鳴り声を発すると、ヴォルールと呼んだ太った男の頭に鉄拳を振り降ろした。しかし殴られたはずの彼は全く痛がる素振りを見せなかった。


 「あなた達が『メルカトール』(商人)では無いことなど、以然から分かっていました。『ラトロー』(盗賊)などに渡すものなど、この村には一切ありません。どうかお取り引きを」


 「いやはや全く……さすがは――」


 「いやはや全くニック兄貴は相変わらず芝居が下手だよなあ~~」


 「テメエが姐さんの名を喋っちまったおかげだよっ!!大っ体テメエはいつもいつもオレの邪魔ばっかしやがってっ!!」


 またしてもニックの細腕の拳がヴォルールの脳天に叩きつけられたがその度にニックの手が赤く、そして大きく腫れているようにも見えた。

 

 「痛つ……ったく、テメエは頭は硬すぎるしうっかり正体もバラしちまうし……死ねっ!!――とは言えこのまま引き下がる訳にもいかねえのがオレら、『ラトロー』の性分なもんでね、今更隠したって無駄なんだよ。お嬢さんよぉ」


 「私が、何を隠してると……?」


 「決まってるさ……アンタが匿ってる白い髪のガキだよ。――おっと、そいつがただのガキじゃねぇことはもう分かってるんだよ。他のラトロー連中も皆知ってんだよ、そいつの正体を――ヒィッ!?」


 「いいでしょう。……但しその代りに相応の代価を頂きましょうか?」


 「ガキを渡す代わりに持ち物寄越せだってよ~!……どした?ニック兄貴ぃ?」


 ヴォルールが先程から隣で固まった様に立ち尽くすニックに目をやると、それまで強気な姿勢だったはずの彼は蛇に睨まれた蛙のようにガタガタとその身を震わせていた。


 「――わ、分かったよ……。あ、アンタの言う通り、お、オレ達の持ち物を全て渡すよ……それで……いいだろ?」


 ひたすら怯えるニックはそう言うと、ヴォルールの襟を鷲掴んで強引に手前へと引っ張り出すと、彼の背中に背負った大きなズタ袋をぶんどった。そして一向に震えが止まらない両手で必死に袋の中を開くと目の前に立っているメアラに視線を合わさないよう、彼女の前にそっと置いて一気に後ずさった。


 「おいおいニック兄貴ぃ……どういうことだよお~?あれはおれたちの全財産……って兄貴?何だか顔真っ青だぞ?」


 「ウルセェ……!!い、いいからお前は……だ、黙ってろ……何も言うな、絶対に……!」

 

 「……成る程。不味そうな食糧に陳腐な盗品……。まあいいでしょう。――では、少々お待ちを……」


 袋の中を品定めしながら淡々とした口調のメアラは二人にそう告げ、小屋の中へと引き返して行った。暫く経って彼らの前に姿を現した彼女の細い両腕には頑丈な布に包まれた長く、大きなものが抱き抱えられていた。


 「これで十分でしょう。さあ、用が済みましたのなら早々にここから立ち去りなさい。盗っ人共」


 「あ……ああ。そ、そうさせてもらうよ。――おいっ!ヴォルール!!何ボサっとしてんだ、とっととソイツを受け取れよっ!荷車にガキを乗せたら直ぐにこの村から出るんだ。――アイツの眼……あの女はヤバい……とにかくヤバすぎるんだよぉっ!!」


 「ヤバい~?んん~よくわかんねえけどよお~、確かにあの女あ~、さっきから懐に何かヤバそうな得物をギラギラと光らせ――あ、あわわわ……ワッカリヤシタアアアァァ!!兄貴イイイっ!!」


 ようやく自分達の置かれている状況に気が付いたヴォルールは、メアラから手渡された温かく、柔らかい感触の『それ』を素早く小脇に抱えた。そして身に迫る恐怖に肥え太った全身をプルプルと小刻みに震わせながら、後方に止めてある屋根付きの荷車にねじ込むように乗せると、高速で足踏みをするニックの合図と共に荷車ごと派手に土煙を巻き上げつつ、村の出口を目指して一目散に飛び出していった。

 


 「行ったか……」


 村を去っていく愚かで哀れな盗人共を突き刺すような眼差しで見届けたメアラは喧噪の去った、緩やかな静寂の中で一人大きく息を付いた。そして殺気の満ちた双眼で辺りの気配を探りながら小屋の中へ戻るや否や、直ぐにその門戸を硬く閉ざした。


 (――今はあの御方の為、ここで無用な血を流す訳にはいかない……)


 既に明かりの消え失せた小屋の中、飢える様な衝動に駆られつつあった自らの心にそう強く言い聞かせた彼女はそれまで硬く握りしめていた鋭く光る黒曜の歪な双剣を腰の鞘に収めると、ある場所へ向かって歩き始めた。


 (――そう、「今だけ」は……)


 足音一つ立てず、闇の中を滑るように歩くその姿は何処かおぞましくもあったが、それ以上に気高く、そして美しく際立ってもいた。まるで闇そのものが彼女自身の一部でもあり、同時に決して逃れることの叶わない宿命のようでもあった。 


 やがてつぎはぎだらけの布のカーテンを潜り抜けたメアラは人一人分のスペースしかない小さな部屋へと辿り着いた。そしてその中央に置かれた粗末な寝床で穏やかな寝息を立てるターニャの前で片膝を付くと、おもむろに頭を垂れた。


 「――追っ手から逃れる為とは言え、これまで男子と偽ってお育てした上、何の関係も無いユイとやらをあの者達に売った非礼……どうか……どうかお許しを……」


 メアラの嗚咽のような贖罪の言葉に応じるかの如く、ぼんやりと差し込まれた一筋の月明かりが、眠るターニャとその寝床を柔らかく包み込んだ。今の彼女の瞳には、天より注ぐ光によって照らし出されたその姿が、神秘に満ちた玉座で眠る崇高にして高貴なる存在として映っていた。

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