プロローグ
PROLOGUE
「うう……ここは、一体?」
ぼんやりとした意識の中、オレは硬く閉じていた瞼をゆっくりと開いた。
目覚めると、そこは天地の概念すら無い、まるで時が止まったような闇の世界だった。
とは言え、真っ暗空間にも関わらず自分の身体がくっきりと浮かび上がっている。
ぐったりと重い頭を上げると辺りを吹き渡る風は切り刻まれる程に冷たく、ピリピリと来る肌の痛みが牙を剥いて襲い掛かって来た。
叩きつけられたような痛みを堪えながら、うつ伏せに倒れている自身の身体をその場から立ち上がらせるとこれまでの経緯を思い返した。
「そうだ、あの時オレ達は開いた扉に飛び込んで……おいっアーヴァイン、大丈夫か?」
自分がここまで落下してきた事を何とか思い出すと、それまで一緒だった相棒の無事を確かめようとしたが、返ってくるはずの声は届いては来なかった。
「アーヴァイン、どこだ……。いるなら返事をしろ、アーヴァイン!」
オレはしきりに周囲を見回しながら奴の名を叫んだ。しかしその姿は見当たらず、何も無い空間に自分の声がこだまするばかりである。
「どこにいっちまったんだ、アーヴァインの奴……」
不安気にそう呟いた時だった。
「な、何だ……?この臭いは」
不意に漂ってきた不快なものが鼻を突いた。吐き気すら覚えるそれに、思わずオレは眉をしかめる。
腐ったような異臭が冷気に乗って前方の遥か彼方から流れ込んでいる。
(何かがこの奥にいる……!)
今までの旅で培われた知識と経験から、そう察知したオレはいつでも戦えるよう精神を集中させる。すると呼応するかのように右手から幾つもの光の筋が放たれた。
それは自分の周りを渦巻くように飛び交いながら互いに集束し合い、やがて目の前に一本の光輝く槍を作り出した。
闇を払うかの如く煌々と輝く槍をその手に取ると、オレは再び集中して自らの五感を研ぎ澄ませた。そして槍を前方に身構えつつ、その奥に潜む存在を一心に見据える。
それと同時に周りを包む腐臭は先程よりも一層強くなっていくのを感じた。
気のせいだろうか……。少しずつ勢いを増していく臭気に混ざって、声のようなものが鼓膜に響いて来た。
(これは一体、何の声だ?)
オレは迫り来る脅威を前に高まる緊張を抑えつつ、静かに耳を傾けた。声が直に聞こえたその途端、臭いを発している存在が何なのかをも理解できた。
「お、おい。ウソ……だろ」
腐臭と声の正体に気付いた瞬間、全身からドッと冷や汗が噴き出した。心臓の鼓動が速くなり、タガが外れたように焦りと恐怖がオレの「人」としての理性を一気に削ぎ落としていく。
「それら」は間違いなく、人間のものだった。聞こえてくる声も一人だけではない。憎しみの籠った男の呻き声に狂ったような女の歌声、更に母親の名を呼ぶ幼い子供の泣き声に加えゲラゲラと響き渡る老人の笑い声。
この深淵を支配する人ならざる者達の怨嗟の声と死肉の臭いは徐々に大きくなりながら、負の感情に抗うオレの魂を握り潰そうとする。
わかっていた……。
ここが、「命ある者が訪れてはならない場所」であるということも。
この場所が、旅の終着点であることも。
そして、オレはここまで辿り着いた。
己の使命を果たし、皆の待つ「あの場所」に帰る為に。
そして何よりオレ自身の物語を終わらせる為に!
そう自分に諭しながら平静を取り戻そうとするオレを阻むかの如く、闇にざわめく無数の声は一つの巨大な叫びとなった。絶叫とも呼べるそれは虚無の空間に流れる冷気を大きくゴウゴウと荒れ狂わせると、今までオレに纏わり付いていた死臭を禍々しい瘴気に変えた。
「うっ!?くっ……」
聴くもの全てに絶望と恐怖を植え付ける叫びと吹き荒れる突風に圧倒され、オレは思わずたじろいだ。
咄嗟に槍を杖替わりにして踏ん張ったこともあってか、辛うじて倒れずには済んだものの、その際に大きく呼吸したことにより大量の瘴気を取り込んでしまった。
吸気に隠れて瞬く間に体内に侵入したそれは、まるで溶けた鉛が入っているかの様な錯覚と猛烈な痛みを肺にもたらす。
「マ、マズイ……ごほ、ごほ!」
オレは入り込んだ異物を吐き出そうと必死に咳き込んだ。その度に自分の口元から、鉄の味のしたものが滴り落ちているのが分かる。
(なぜだ?もう覚悟を決めたのに。「試練」に打ち勝ち、この槍の力を手に入れた。もう恐れるものは何も無いはず……)
(なのに……なのにどうしてオレはこんなにも弱い!)
胸を引き裂きたくなる思いの中、あの葛藤が頭をよぎった。時折浮かんで来る自分自身への疑念……。
(オレに、この力を持つ資格が本当にあるのか?)
そう自問した瞬間だった。
「待たせたな、この大馬鹿野郎!」
「!?」
突然背後から響く、地を駆ける足音と共に懐かしい罵声がそれまで疑心暗鬼に囚われていたオレの心を呼び戻した。
「その声は、アーヴァイン……お前なのか?」
「やっと追いついたぜ……って、何だ何だ?ずいぶんと辛気臭え面しやがって。まだ迷っていやがるのか」
そう言ながら、アーヴァインは目の前に立つや否やオレの顔を覗き込むと早速こちらの考えていることをいとも簡単に当てて見せた。
出会ってから共に苦難を乗り越え、時に支え合い、時にぶつかり合って殴り合った中だ。頭の中の一つや二つ、見透かされるのは当然だろう。
事実として、奴にばれなかった嘘は一つとして無い。
「お前、あの時アイツに誓っただろ? 絶対に生きて元の世界に帰って…… 約束を果たすってな! 」
「ああ、わかっている。そのためにオレは……オレはここで負けるわけにはいかないんだ!」
激を入れられたオレはいつまでも震えている己の身体に喝を入れると、ゆっくりと呼吸を整えた。槍がもたらす恩恵か、胸の痛みも幾分か楽になっていく。
そしてアーヴァインの姿も闇の中にはっきりと浮かび上がっていた。
奴もまた、瘴気を受けながらも赤いオーラを纏う魔剣を鞘から引き抜くと、曇りの無い瞳で蠢く数多の異形を睨んだ。オレと同じくその身に背負った「定め」を終わらせるために……。
その姿を見て、自分がここまで来られた真の意味をやっと理解できた。
「今のオレがここにいるのはオレ自身の力なんかじゃない。オレを信じて、導いて、そしてこの小さな背中を押してくれた皆のおかげでオレはここまで辿り着くことが出来たんだ」
「言っとくが、その中にもちゃ~んとこの俺も入ってるんだろうな?」
この緊迫した状況にも関わらず、アーヴァインが得意げな顔で口を挟んできた。
「当たり前だろう? むしろお前と出会わなかったら今のオレはここにはいなかった」
「ハア……まったく、お前って野郎は……相っ変わらず硬すぎる奴だぜ。もうちょっとましな冗談でも言ってみやがれよ、この岩石勇者!」
「がっ岩石勇者ぁ?」
そうやって互いに軽口を叩いておどけ合う。
これは心身の緊張をほぐし、そして絶対に勝利する。今まで強敵との戦いの際には必ず行なってきた二人のまじないだ。
そして……これが最後のまじないだ。
「だけどよ、俺も……お前と出会えて本当に良かった」
最後にアーヴァインの口からこぼれたその言葉にはオレに対する純粋な感謝の気持ちと親友としての絆の強さが感じられた。
まじないが終わると共に更に猛り狂う闇の叫びと濃厚な瘴気はこれまで以上に勢いを増した。それと同時にオレ達の前にドロドロとした黒い液体が湧いてでた。それはまるで意志を持っているかの如く宙に浮きあがると、瞬く間に膨れ上がった。
やがて、身の丈を超えるまでに膨張した黒い塊はドクドクと脈打ちながらその形を変えていく。四肢が現れ、続いて首と尾のようなものが生え、二本の角が天を突く。……獣の姿だ。
「間違いない、根源はコイツだ……。来るぞ!」
それまで冗談を言いながらにやけていたアーヴァインの表情が険しくなる。
「ああ、絶対に……勝つ」
オレたちはうなずき合うと、互いの武器である赤い魔剣と輝く槍を構えた。恐らくこれが……最後の戦いだ。
オレは一人じゃない。
「彼女」から受け継いだ「技」と交わした「あの約束」。そして心が折れそうになったオレに言ったあの時の言葉。
--大丈夫、キミになら絶対に出来る--
そして幾多の試練の末に手に入れた、この「槍の力」。
「必ず勝ってみせるさ……。いつか生まれてくるあいつのためにっ!!」
オレ達二人はあらん限りの咆哮を上げ、巨大な獣に立ち向かった。
例えこの戦いの果てに何が待っていようとも。例え、それが己自身の終焉であろうとも……。
それでもオレは貫いて見せる。
オレ達の明日をそして「彼女」の存在する未来を……。
絶対に貫き通すんだ……。この槍のように!
初めまして私、クロ・イトリと申します。
この度は「神槍のアークメイデン」のプロローグをお読みして頂きまして誠にありがとうございます。
初投稿でもありまして文章も拙いものですが、連載小説としてこれから頑張って書いて行きます。
次回第一章につきましてはできるだけ早い時期に投稿する予定です。
何卒よろしくお願い致します。