プロローグ
僕が今まで生きてきた17年間という短い人生の中で、その日は一等最悪の日かもしれないと思った。
まず朝1番から目覚まし時計が鳴らず、僕は遅刻スレスレの時間に目が覚めた。
諸事情あって朝にすこぶる弱い僕が寝呆けた頭で、何故目覚ましが鳴らなかったのかと原因を求め辺りを見回すと、我が家の愛猫である三毛猫シャムが、本来目覚まし時計の在るべき場所で丸くなり眠っている。
勿論、目覚まし時計はシャムよって落とされており、床に落ちた拍子に電池が外れひっそりと時を刻むのをやめていた。
飼い主の怒りと焦りも知らずにぬくぬくと眠り続けるシャムへの悪態をつきながら急いで準備を済まし、朝御飯も食べずに僕は家を飛び出した。
だけど始まりの悪い日というのは何をしても上手くいかないものだ。駅まで向かう為の通学自転車は前輪がパンクしており走って行く事になるし、信号や踏切では必ず引っかかる。
そうこうしている間にも時間は無常に進んでいき、ついには予鈴が鳴る時間を過ぎた。駅のホームの時計で確認したその瞬間、僕は無駄な抵抗を諦める事にした。
どのみち遅刻は免れなかったのだ、結果遅れるならこのまま一時限目もサボってしまえと思った僕は、駅の中にある本屋へ寄り少年誌を一通り読み漁ってから駅内のパン屋へと足を運ぶ。
自動ドアが開き店内へと進むと焼きたてのパンのいい匂いが鼻腔をくすぐる。今朝はご飯を食べてないので余計に空腹感が増す匂いだ。沢山あるパンの商品棚から僕は地元民に絶品だと噂されるカレーパンを二つ手に取り、会計を済ませホームへと向かう。
ホームで電車を待つ間、早速、噂のカレーパンに舌鼓をうとうとした僕が袋から一つカレーパンを取りだして、かぶりつこうとしたその時だ。
ゾクっと背筋を嫌な悪寒が走り抜けるのを感じた。
すぐさまカレーパンを袋に戻し、背後を振り返る。ドクンと心臓が跳ねて、今度は先程の悪寒とは違う衝撃が僕の心と背筋を駆け抜けていく。
僕の視線の先には少女が居た。肩までの長さで切り揃えられふわっとウェーブのかかった金髪、白い肌に勝気そうだけど、どこか品のある整った顔、そして何よりも、美しい碧眼が特徴的な少女だ。
背は僕と同じくらいだろうか?外人さんなのかな?とかボーっと考えていると彼女が此方へ進んで来るのが見える。
一瞬、僕に用でもあるのか?と期待がよぎるがすぐさま否定に入る。こんな美少女が僕みたいな平凡な人間『モドキ』に用事がある訳ない。
こんな子と一緒に登下校出来たら幸せだろうなーと僕が妄想の世界に浸っていると、誰かの声が聴こえてきた。
「ねぇ、君!ねぇってば!」
あぁ、鈴を鳴らすような声が聴こえる。きっと彼女はこんな可愛い声をしているに違いないと僕は思う。
「ちょっと……アンタ、聴いてるの!」
「えっ!?」
突然の大声に妄想の世界から一気に現実へと引き戻された僕は、酷く驚いた。
何故なら先程まで脳内でイチャイチャしていた少女が、僕の眼の前にいる。
「え、あ、えー?あれ?」
「気がついた?私を無視?それとも立ったまま眠れるの?日本人って本当に器用な民族ね」
少々の怒りと呆れが混じった顔で少女が僕を見つめている。
「な、何か僕に用でも?」
緊張の余り上擦った声がでた。
「用ってほどでも無いけど……まぁ、確認って所かしらね?」
「えっと、僕達は初めましてだよね?」
「そうよ。アンタみたいな平和ボケした顔の奴と知り合いの訳ないじゃない。それに私は昨日、日本に来たばかりなんだから」
初対面の人間に無礼な物言いだなとも思う反面、僕は少し、ほんの少しMなので顔がニヤけてしまう。
「ちょっと何笑ってるのよ、気持ち悪いわね!」
「ごめんごめん。それで確認って?」
「そうね。アンタ、ちょっと顔貸しなさい」
「えっ!あの僕、お金はもってないよ?あるのと言えばカレーパンぐらいだし……」
「いいから貸すっ!」
「うわっ!?」
グイッと制服のネクタイを掴み引き寄せられた僕の顔が少女の顔の前数センチで止まった。
少女の綺麗な碧眼が真っ直ぐに射抜くように僕の双眸を捉える。
「・・・ん。もういいわ」
「えっ?もう終わり?」
時間にして30秒ぐらい見つめ合っていたと思う。少女はネクタイから手を離すと一本後ろへ下がり、乱れた僕の制服とネクタイを正し始める。
「あ、いや自分でするよ!」
ふと我に返ると見ず知らずの美少女に公衆の面前で服を正してもらうのが凄く恥ずかしく思えてきて、大慌てで服装を正す。
「ごめんね、勘違いだったわ。私の探してる人物かと思ったんだけど違ったみたい」
申し訳無さそうにぺこりと頭を下げた。
「いや、いいよ。僕もゾクゾク出来ていい思いが出来たし!」
「は?アンタ何言ってるの?」
汚物を見るかのような眼で僕を見つつ後ずさる少女。
「い、いや何でもないよ!忘れて!」
「ところで、アンタのその制服って楼閣高校の指定のものよね?」
僕の着ている紅色のブレザーを指差して彼女は言った。
「そうだよ。よく分かったね……と言いたいとこだけど分かるよね。こんな派手な色の制服ってなかなかお目にかかれないし」
そう、僕の通う楼閣高校の制服は男子女子共にブレザーなのだがデザインと色合いがなんともアレなのだ。つまりはただしイケメン(美少女)に限るな感じ。
「私もそのうち着る事になるのよね……客観的に見ても目立ち過ぎよその制服」
少々嫌そうな顔をしている少女。似合うと思うけどな、少なくとも僕よりは。
「あれ?そのうち着るって事はうちの生徒なの?でも僕、君みたいな可愛い子見た事ないな」
「なっ・・・!」
「あれ?どうしたの?」
僕の見た事ない発言から彼女は急に俯き言葉にならない声を絞り出していた。よく見ると両耳が紅くなっている。何か可笑しな事を口にしただろうか?
「どうしたの?具合でも悪いの?」
「ち、違うわよ!バカ!天然なの?計算なの?」
「えぇ!?何がさ!?」
「ハァ……もういいわ。会った事ある訳ないでしょ?さっき言ったよね?昨日、日本に来たばっかりだって。今日から転校なのよ」
「そうなんだ、何年生なの?」
「2年生よ、アンタは?」
「僕も2年生!もしかしたら同じクラスになるかもね?」
こんな美少女と同い歳、学校も一緒、まで来ると展開的にクラスも一緒だといいなと期待をして口にする。が当の彼女は。
「冗談。アンタみたいな変態M野郎と一緒とか。まだハエとの方がマシよ」
ツンとした態度、どうやら彼女は生粋のSらしい。言葉というか動きというか端々に現れている。あと僕のレーダーが反応している。というか僕は現状ハエ以下なのか。
「まぁ、こうして知り合えたのも何かの縁だし、仲良くしよう。僕の名前は古童 貴虎」
僕は右手を彼女に差し出す。彼女は差し出された手に応えるかどうか一瞬、悩んだようだが次の瞬間には彼女の小さく柔らかい左手の感触が伝わってきた。
「そうね、友達というより愛玩動物くらいでなら仲良くしてあげてもいいわ。私の名前はルリカ・エル・フルールよ」
彼女、ルリカは尊大だけど、でも太陽のようなとびきりの笑顔で答えてくれた。
この時に僕は既に彼女に恋にしてしまったのかもしれない。でもこの出逢いは二人にとっては最悪への分岐点の一つだったとも、今となっては思える。
ーーーこれは僕、古童貴虎と彼女、ルリカ・エル・フルールの少しばかり奇妙な青春のお話だ。