――秋山獅道の戦端――
翼の生えた女神像を中心に据えた豪奢な噴水。それは、僕が卒業したばかりの大学の敷地内にある。
待ち合わせ場所に立つ霧島は、腕時計を眺めながら僕に言った。
「随分と早く来たんだね」
「……あんたもな」
言いながら、僕は正面に立つ霧島の方へと歩み寄る。
時刻は午後八時半を過ぎた頃。
待ち合わせにはまだかなりの余裕があるはずなんだが……。
僕はそっと、隣を歩くゴットリートに目を遣った。
ゴットリートは何も言わず、霧島を見つめたまま小さく頷く。隣にいる僕にしかわからないほどの、本当に小さな首肯。
やっぱりか、と思う。
霧島は僕の裏切りに気付いている。霧島がこの場所に早く来ているのは、僕が何かしらの罠を仕掛けるのでないかと警戒してのことだろう。
霧島とあと数歩という距離で、僕とゴットリートは立ち止まった。霧島のすぐ後ろには、あの黒ずくめが立っている。
まるで不気味な影そのもの。
恐怖にも似た感覚を抱いている僕を余所に、ゴットリートは何食わぬ顔で堂々と煙草を吸い始めた。
夜空を濁す白煙が、静かに舞う。
「ところで」
唐突に、霧島が言葉を発した。
「あちらの戦いがどうなっているか、君は気にならないかい?」
霧島の言うあちらというのは、きっと神楽盃たちのことだろう。
「さあな。僕の知った事じゃない」
「おや? 興味が無いみたいだねえ。勝った方は、僕たちの敵になるというのに」
僕の裏切りに気付いているくせに、あくまでそういう態度を取るんだな。本当、どういうつもりなんだか。僕を試しているのか?
月に照らされた女神像の横顔が、何故か不吉な暗示に思えてしまう。
噴水広場の周りには、大きな講堂を備えた授業棟の影が並んでいる。学生時代、毎日のように過ごした授業棟だ。
しかし、見慣れた光景のはずなのに、どうして歪に感じられるんだろう。
僕は今、怖いのか?
「まあ、興味が無いくらいの方がいいかもね。無駄な感傷は、決意を揺らがせてしまう」
「……あ? 決意?」
「ああ。僕の日常を奪おうとする人間は、絶対に殺すという決意だ」
ここで、霧島は歪んだ笑みを僕に見せる。
「例えば、君のようにね」
「……は?」
霧島の言葉と同時。
黒ずくめの伸ばした手刀が、僕の目の前にまで迫ってきていた。まるで、目玉を抉り取ろうとしているかのような指先。
それは瞬間の出来事で、僕なんかに反応できるわけがなかった。
「手癖の悪さが過ぎたな、小僧」
空白で濁った僕の頭に、ゴットリートの唸るような声が響く。
「隣に私がいるにも関わらず、獅道の懐に這い入ろうとするとはなあ……そんなに早く死にたいか?」
僕の目の前にある黒ずくめの手刀は、そこからぴくりとも動かない。
僕は眼球の運動のみで、状況の確認を試みる。
「ゴット……リート?」
隣に立つゴットリートの太い腕が、僕を狙った黒ずくめの右手首をしっかりと掴んでいた。
ゴットリートの顔に険しさなどは微塵もない。淡々と左手だけで煙草を吸いながら、黒ずくめの手首をきつく締め上げている。
「獅道よ。あちらさんの意思表示もはっきりとしたところだ。そろそろ始めようではないか……我々の、戦争をな」
不敵な笑みを浮かべたゴットリートは黒ずくめの手をあっさりと離してしまう。
黒ずくめは渋々といった様子で一歩下がり、僕たちと僅かな距離を取る。
「うむ。やはり貴様、イノセント・ゴールドウルフであるな?」
黒ずくめを見ながら、ゴットリートが問いかける。
しかし、対する黒ずくめは答えない。答えようとする意思がまるでない。
沈黙を貫いたまま、外套の陰からこちらをじっと睨みつけている。
「……あんた、あれと知り合いなのか?」
「いやいや。ただ、奴の右手の甲に狼の刺青があってな……。右手の甲に狼の刺青、全身を覆い隠す黒の外套と言えば、思い当たる奴は一人しかおらん」
僕の問いに、ゴットリートは笑いながら言う。
「イノセント・ゴールドウルフ。敵の武器を奪い、戦意を失った丸腰を狩るという残虐な男よ」
「……へえ」
とりあえず、男だったんだな。本当、見た目からは性別すら判断がつかない。
「秋山獅道。これは、君の裏切りが招いた戦いだよ?」
イノセント・ゴールドウルフの後ろから、ふと、霧島が言った。
「……あ?」
「君が同盟を結ぶ気でいたなら、僕はこんな真似をしなかった。何せ僕は、戦いなどしたくはないのだから」
裏切りが招いた戦いであることは確かなんだろうが、結局、僕の演技が下手だったことが原因だよな?
少しでも同盟を信じさせることが出来ていれば、虚を突いた奇襲ができたはず。その初撃で片が付いたはず。
「まあ黙れよ。あんたみたいなのが一番危険なんだ。未来の悲劇を繰り返さないためには、どの道、生かしておけねえよ」
「お互い様だと思うけれどね……。さあ、イノセント」
霧島がイノセント・ゴールドウルフの名を呼んだ瞬間、イノセント・ゴールドウルフの足元から、緑色の蛍光線が広がり始めた。
まるで光の木の根が急速に伸びていくかのような光景。
直角に枝分かれをしながら進む細線は、自身が這った場所からはすぐに姿を消していく。
「歪曲空間を展開したか」
ゴットリートの呟きで、ああ、なるほど、と思う。あの蛍光線が這ったところから歪曲空間になるわけか。
しかし、だということは。
この瞬間から、ここは戦場になったのである。
そう考えた途端、何とか平静を保っていた心の水源に少しずつ波紋が広がっていくのを感じた。
……殺し合いが、始まる。
「そもそも君は殺し合いのつもりで来たのだろう? なら、手短にいこう。僕は早く帰りたいのでね」
霧島はそう言った直後、僕の視界から姿を消した。
一瞬で。完全に。
「え?」
「後ろだ、獅道よ」
冷静さを保ったゴットリートの声。その声に反応して振り返ると、霧島はすでに僕たちの背後へと回り込んでいた。
まさか……瞬間移動!?
霧島は瞬時に右手からナイフのようなものを出現させ、僕に向かって投げつける。
「……ほう」
声を漏らしたゴットリートが、両手の先に拳銃を展開させる。昨晩、ゴットリートが僕に見せてくれた武器の展開と全く同じ光景である。
しかし、今、僕が見たものは、その速さがまるで違う。
まさに一瞬。
霧島の武器展開の、百分の一にも満たない時間。その間に、ゴットリートは拳銃を二つも展開させた。
右手の銃はイノセント・ゴールドウルフに。左手の銃は霧島が投擲したナイフに。
それぞれに向かって同時に突きつけられる。
そして、左手の銃からの発砲音がした直後。
霧島が放ったナイフは放物線を描き、そのまま地面へと弾かれた。
「武器の展開まで難なくこなすとは、なかなかやるではないか」
まるでこの状況を楽しんでいるかのような、そんな恍惚とした表情を作り、ゴットリートは言った。
対して霧島は、地に落ちたナイフを見つめたまま口を開かない。
するとゴットリートは、今度はイノセント・ゴールドウルフの方に目を向ける。
「はて、貴様の教え方が良かったのか?」
イノセント・ゴールドウルフも、何も言おうとはしない。やはり、ただ静かにこちらを窺うだけ。
しかし、気になるな。
イノセント・ゴールドウルフが立っている位置は、奴が銃を突きつけられていたからなのか、先ほどから少しも動いていなかった。
今の場面なら、攻撃を仕掛けてくるのが普通じゃないのか……?
もちろん仕掛けてこない方がいいんだが、何を考えているかわからないというのがやはり不気味だ。何より、どんな能力を持っているのかもまだわからない。
「なあ、ゴットリート。霧島の能力は、瞬間移動みたいなものか?」
わかっていることから整理すべきだと考え、僕はゴットリートに尋ねた。
「うむ。自身の座標情報を操作し、目的の座標へと移動することができる。物体も同じように移動させられるからな、気をつけろよ? ただ、イノセント・ゴールドウルフの方は私も知らん」
……ああ?
「ちょい待ち。今の口振りからすると、あんた霧島の能力だけでも知ってたんだよな? だよな? だったらだぞ、あのな、そういうのを何で先に言わないんだ? 僕が前もって聞いた時に答えてくれればよかっただろう」
「これも戦いの醍醐味である」
「……馬鹿野郎」
しかし、霧島が僕たちの背後に飛んだ瞬間、僕たちは霧島とイノセント・ゴールドウルフの間に挟まれる形となってしまったが、ゴットリートは見事に敵の攻撃を封じてみせた。
こいつ、護衛としてはかなりの腕なのだろうか。性格的な面で信用できないところは多々あるが。
「やれやれ……。そうやって隙の多い素振りをしてみせてはいるものの、さすがに簡単ではないね、君たち」
霧島は自身の近くに落ちていたナイフを拾い上げ、嘆息混じりの声を出す。
やっと口を開いたかと思ったが、どうやら隙を窺っていただけらしい。油断ならねえな、本当。
「イノセント、君はボディーガードの方をよろしく頼むよ。戦闘のプロらしき相手だからね、僕には無理だ。素人同士ということで、こちらは秋山獅道を片付ける」
肩越しにイノセント・ゴールドウルフの方を見遣ると、霧島の声に対し、奴がわずかに頷いているのが見えた。
「……ゴットリート、どうやらそういうことらしいから、僕は霧島の方をやる。あんたはあの黒いのを頼んだ」
「はっは……うむ。しかし、私はお前のボディーガードであるからな。こっちはこっちで戦いながら、きちんとお前の命は守ってやる。死の恐怖を無にし、迷いなく奴を討て」
言って、ゴットリートは口元を緩める。
「ああ、任せとけ」
何だよ、頼りになるじゃねえか。
僕はゴットリートと背中を合わせ、霧島に向き直った。自然、ゴットリートはイノセント・ゴールドウルフと向き合う形になる。
「霧島、僕はあんたを殺す。恨むなよ?」
僕は言葉と同時、地面に右手を着け、兵器情報を展開させた。
ゴットリートですら恐ろしいと言った僕の力、見せてやろうじゃねえか。




