ありすちょこれーと
「というわけでこれ、ありす君に渡しておいてくれない?」
「……はぁ」
「それじゃ、お願いね」
当たり前のように私にチョコを押し付けて、多分先輩であろう誰かは足取り軽く何処かに消えてった。
……私、肯定も否定もしてないはずなんだけどな……。
私は手の中にある、綺麗にラッピングされた四角い箱。見下ろしてちょっとため息を吐く。
ていうか、ありす君って……どっちだ?
……面倒だなぁ。
〆
「有子ちゃん、また?」
この頃私にとって唯一の癒しとなり始めてる友子ちゃんが言った。
ふわふわした彼女の印象そのままな、少し色素の薄い、これまたやっぱりふわふわした髪の毛が目の前で揺れてる。
……可愛いなぁ……萌えだよなぁ。
そんなこと思いながら、私は頷く。
また?とは、あにたち にバレンタインのチョコを渡すように他の人からチョコを渡されること。
すなわち『窓口』。
友子ちゃんとはかれこれ中学からの付き合いだから、もう何度も見られてることになる。
ちょっと恥ずかしくもある。つまり、特に何も言えないままに、断ることもできないで押し付けられてる、なんていう情けない場面を何度も見られてるってことだから。
……これだから、バレンタインは好きじゃないんだ。結構ちょっと前までは幼馴染が夜中いきなり呼びつけてきてフォンダンショコラ作れとか言い出したりもして……。
そうでなくてもただでさえ兄と義兄がなんか暴れてたりするし……。義兄は用意しろって五月蝿いし……。
あれ、可笑しいな。いい思い出がない……?
思い出しても憂鬱、今も憂鬱。なんてこった。最悪じゃないか。
「お疲れ、有子ちゃん」
ぽんぽん、と私の頭を撫でてくれる友子ちゃん。ほんと、女の子が皆こんなだったら素敵なのに……。
そう言えば、と思って目を友子ちゃんに向ける。
今日がバレンタインってことは……チョコ、彼氏君に渡せたのかな?
「ねぇ友子ちゃん、チョコ、彼氏くんに渡せた?」
聞いた途端に真っ赤になる彼女。何こいつ可愛い。
そして少し俯いて、彼女は早口に、
「……今日、×××××君(友子ちゃんの彼の名前だ)の家いって、作るんだ」
そう言った。
こんなに可愛い友子ちゃんに、こんなに、愛されて羨ましいやつめ。
〆
ひとり、この前新しくした自転車を軽快に転がしながら帰途につく。
前の籠には学校の鞄。後ろの荷台には雑に括りつけられた大量のチョコ。
全部貰い物。
全部『ありす』君宛て。
全部、どの『ありす』君宛てなのか指定がなかった。
毎年毎年大量のチョコ渡されるもんだからゴミ袋(45ℓ)は必須アイテム。
貰ったチョコは全部その中へ。ポイポイと突っ込んで適当に縛って荷台に無理やりくくりつけて、出来上がり。
毎年貰う量が増えてる気がしてイライラしてる。
何より腹立たしいのは、私宛のものがひとつもなければ届ける私に対しての感謝すらないこと。
……まぁ、私の交友関係が狭いのもあれか、原因か。
友子ちゃんは必ず一番に彼氏君にあげるから友チョコはあったとして後日だし。そもそも本命以外にあの子があげるか、と言われると唸ってしまうし。
本当に、どうしようもないね、バレンタインなんてものは。
〆
帰宅!自転車を止めて括り付けたチョコたちをほどいて、掴む。
いざとなったら、これで殴る。なんかそんなこと考えた。いざとなったらってなんだ、いざとなったらって。
扉を開けると、何かが、可笑しかった。
何故、昨日直した筈なのに廊下の床に穴が空いてるのか。
何故、出て来る時は綺麗だった筈の廊下の壁が焦げているのか。
何故、居間に通じる扉の硝子に罅がはいっているのか。
この時間、兄は仕事に行っている筈だから今家にいるのは絶賛引きこもっている義兄しか家にいないはずなのに。
しかも義兄は基本的に部屋から出てこない筈。……いや、たまに私の部屋にいたりもするか。
靴がないから兄が帰ってきてるってことはないし。……義兄が一人で暴れてたのか……?
わけがわからない。
リビングの方に取り敢えず人の気配を感じたので扉を開けてみる。
扉を開けた
そこは………………
どうしようもなく、カオスだった。
大変喜ばしいことに器物の損壊は殆ど、ない。
けど、汚い。
汚れている。部屋が、全体的に。
生クリームとか、溶けたチョコとか、卵とか、べっとりと。
べっとりと。
そしてその真ん中で佇立する……なんだこれ。
それは到底言葉にできそうもなかった。
それは奇怪で、見たこともなかった。
それは目を疑うようなものだった。
それ、はチョコレートの上から生クリームを大量に塗りつけたかのような、等身大の……『ひとがた』だった。
………………………………。
声も出なかった。
でろっでろのそれは……義兄の姿をしていた。
わ け が わ か ら な い ‼︎
え、なにこれ。誰かにチョコになるような魔法でもかけられたわけ?そんなのあるの?
ていうか、本当に義兄そっくりだな!服のシワとかそういうのは全部ぺったりぼこぼこしてるけど顔の感じとかリアルだし!美少女だし!フィギュアみたいで売れそうだし!鼻のところにちゃんと穴空いてるし!カタカタ動いて生きてるみたいだし!日本人形みたいだし!
……カタカタ?カタカタしてるの?
自分で思ってふと、おかしく思う。何でチョコ義兄カタカタしてるの?
ていうか鼻の穴、リアルだと思ったけど……何で開けたんだ?
ていうか……なんか……鼻息、荒くないか?
なんだか、嫌な予感がした。そして経験上こういう予感は外れないことがわかっている。
ジリジリと後ずさる。
そうだよ、可笑しいと思ったよ。だっていつもなら帰ってすぐに何らかのアクションを私に対して起こす筈の義兄が今日、しかもバレンタイン、そんな日に限って何もして来ないなんて……普通に考えれば可笑しいじゃん!
何かしかけてると考えるべきだったんだ!
思わず手に持っていたチョコを握り直す。
最も収まりのいい位置に持ち直して、構え、背中を向けずに、後退。
そうこうしているうちにもカタカタとチョコ義兄の刻みはだんだん大きくなっていく。
最早ここまでくれば目の錯覚とか見間違いとかじゃああるまい。間違いなく、動いてる。
めっさカタカタしてる。ていうか動く?たびに表面のチョコとか生クリームとかが飛び散って更に部屋が汚れていくんだが。
掃除は、これが終わった後に犯人にやらせる。決定。
そして、そのチョコ義兄からはだんだんと生クリームが落ちて……チョコに罅が入り……。
こちらに向かって突進してきた。
え、いきなり?
手を伸ばしてチョコと生クリームの塊がこちらに迫ってくるとか何これシュール。
そして汚い。
それが私に触れる前に、私は条件反射のように手に持ってた武器で殴ってしまう。
ひとつひとつは軽くて小さなチョコでも、集まれば重たいしでかい。殺傷能力はあまりないけれど不意打ちとしては……まぁなかなか?
「へぶっ」
もろに攻撃をくらったチョコ義兄が沈む。
……そういえば預かったチョコの中に、それはそれは立派なホールケーキがあった気がするなぁ……あ、箱潰れてる。
現実逃避も程々に。チョコ義兄に目を向ける。
さっき、声、聞こえたんだよねぇ。どう足掻いても……結果は変わりそうもない。
さっき聞こえたのは、まごうことなき、聞き慣れた(聞き飽きたとも言う)義兄の声。変声期をどっかに置いてきたように思える声。
……いや、いつか馬鹿なことするとは思ってたんだけどさぁ……。
取り敢えず、
「有守にぃ」
弾かれたように、足元に沈んだチョコ義兄が顔をあげる。
……だんだんチョコが剥がれて、悲惨なことになってきてて……ぶっちゃけ怖い。
「それはチョコにされた、とかじゃあなくって、洗えば落ちるんだよね?」
努めて、優しい声を絞り出す。
肯定。
ならば、と私は引きつらないように努力して……言い放つ。
「今すぐ、洗い流してこい」
「待って!」
私に向かっては滅多に声を荒げない義兄が慌てたように言った。
「言い訳は後で聞く。今すぐ、それを、洗い流して、こい。農家の方と、鶏様と、製菓会社の方々に全力で謝りながらな。食べ物無駄にしてすみませんと……
「今じゃなきゃ駄目なんだって!」
ゆっくりと、丁寧に一言ずつ区切ってわかりやすく伝えてたつもりだった。
なのに義兄は私の言葉を遮った。
じろり、と睨みつける。
義兄は気にした風もなく言い放った。
「Eat me !」
「爆ぜろ」
〆
さて、私の前には正座をした義兄がいる。
チョコをきちんと洗い流して髪もふわふわでお肌もツヤツヤ、大きな目がキラキラと輝いて、本来の美少女を取り戻した義兄は目を見張るほどに可愛らしい。
対して私は唯一綺麗だったテーブルの上に足を組んで座っている。
床に座った義兄がキラキラとこちらを見上げている。上目遣いがとても可愛い……じゃなくて!
「言い訳を聞いて差し上げる。だからさっさと、簡潔に、巫山戯ないで、説明なさい」
「キレた有子って上から目線で丁寧語で見下してきて素敵、ゾクゾクする」
「黙れ」
変態が。
義兄が上目遣いで可愛らしく私を見上げてきた。
私は蔑むような目で義兄を見下した。
義兄は悪びれもせずなんとも嬉しそうに口を開いた。
「今日ってバレンタインじゃん?」
合いの手を求めるような目だ。
私は見えないふりをした。
「ふと思ったんだ。ほら、俺って美少女じゃん?」
自分で言うなよ。お前男だろ。
「だから、今年は俺がチョコ作って渡そうと思ったんだ。で、お菓子作りはメレンゲ!って聞いたから取り敢えず卵用意して、で……」
「……で?」
「シャカシャカやるの面倒だから……パンとかって焼くと膨らむから、電子レンジで、バーンと」
……頭が痛い。
卵、電子レンジに入れたら爆発するって……常識だよね?それともこれ、常識じゃないの?友子ちゃんから教えてもらったんだけどなぁ。
「そしたらね、なんか……
「あーうん、爆発したんでしょ。馬鹿なの、電子レンジに卵入れたら爆発するでしょ、当たり前でしょ」
そう言ったら義兄がキラキラして目でこちらを見ている。
何こいつ。
「言わなくてもわかるなんて……これって……運命⁉︎」
「違うから」
違うから。
「で、困ったからどうしようかって。そこで思いついたんだ!せっかくだから俺を食べてもらおうと思って。それならチョコとか生クリームとか塗ったら美味しそうかなぁって」
ぶっ飛びすぎだろ。馬鹿なの。なに考えてるの。食べるってなんだよ。カニバかよ。
「あ、因みに食べるのはカニバ的な意味じゃなくて性的ない……
「五月蝿い黙れ変態果てろ」
何故、こんな変態なんだろう……美少女なのに。
「ほら!綺麗になったし!気を取り直して今からどっ……!」
取り敢えずきらきらしくて可愛らしい顔は避けて飛び降りながらの蹴りを食らわせてみる。
重力ぷらす勢いぷらす体重のトリプルコンボは結構強力だと思いたい。
義兄なら死なないからいいけれど。だって魔王だし。
義兄は意識を失った!どこか嬉しそうな顔してるのが……どうにも癪に障る。
くるりと一回転。部屋を見回す。
……うん、めっさ汚いな。義兄に片付けさせようかと思ってたが……寝ちゃった(寝かせたとも言う)からなあ。
……あぁ、面倒くさい。
〆
取り敢えず目が覚めた義兄にまた変なことされても困るので適当に縛って、転がしておいた。
外はもう暗くなりかけててそろそろ兄が帰ってきそう。
部屋の中はやっと、綺麗になった。電子レンジは何故か大破してる。……何をしたんだ義兄……。買い替えかな。
思い出したらイライラしてきた。あのレンジ気に入ってたのに。
ちょっと意趣返しでもしてみるか。
うん、そうしよう。
……取り敢えず、生クリームはもうないけどチョコは沢山ある。主に預かったのが。
溶かして再び義兄に塗りたくってみる。大丈夫だ。空気穴あるから。
そして、兄の部屋に放置。
そうだ!首からはプラカードを下げておこう。
『Eat me ❤︎』
兄は義兄大好きだから……どうなるかな!
さぁ、兄がもう直ぐ帰ってくるよ!
楽しみだね。
〆
「おかえり」
にこにこと、いつもなら浮かべない笑みを珍しく私は顔一面に浮かべて兄を迎えた。
兄は一瞬驚いたように無表情になって、そしていつも通り、曖昧でにこやかな笑みを浮かべた。
その笑みに少し残念そうなものが混じっている。
「珍しいですね、有子が僕を出迎えてくれるなんて。どうかしましたか?」
「珍しくてごめんね。今日ってバレンタインじゃん?だからチョコ用意したんだ、って話」
兄は少し困ったように首を傾げる。わかる、わかるよ君。兄は友子ちゃんと同類だもんね。義兄以外のは受け取りたくないんでしょ?
だから毎年チョコ持って帰ってこないんだよね。
でも、今年のはちょっと、違う。
「でも僕は……」
「まぁまぁ、最後まで聞いてよ」
少し不思議そうに兄はこちらを見る。
気持ちはわかる。私が兄にこうもしつこく食い下がったのはいつぶりだろうか。ってくらいだから。
私は努めて自然な笑顔を浮かべる。
「今日はご飯とか用意できてないんだ、ごめんね。だから、部屋にチョコ、用意したからさ?ちょっとそれで耐えてよ。明日はちゃんとご飯用意するからさ」
そして早口にそれだけ言い切って兄の部屋を指さす。なんか変な日本語になった気がするが気にしない。
ここで、本当なら背中の一つでも押してやりたいものだが、それはしない。兄は人に触られるのがあんまり好きじゃないから。
兄は、何処か不思議そうな顔をしたまま部屋に向かう。
兄が私に背を向けて歩いてく。その後ろ姿を見て私は無性に笑いたくなってしまった。
急に、兄が振り返った。
びくりとする。
「変なことわしてませんよね?」
勘が鋭いなぁ。
でも、頷いたりなんか、しない。
私は無言で首を横に振った。
口を開けば笑い出してしまいそうだったから。
兄は私に背を向ける。
見なくていいけど見てくれよ、この今にも笑い出しそうで、でもそれを必死で堪えようとしてピクピク引きつったこの口元を。
〆
私は自分の部屋に戻った。
にわかに下の階、兄の部屋が騒がしくなる。
もう夜だから五月蝿くしないで欲しいな、なんて無責任に思って見たりもする。
……そういえば預かったチョコ、まだまだ沢山あるな。渡そうにも、渡したところで受け取らないだろうし。どうしようか。
形が綺麗で美味しそうなものを選んで残してある。形が崩れてしまったものとかは全部溶かして義兄に塗りつけてみたし。
立派なケーキは見るも無残に崩れてたので、頑張って義兄にに塗りつけてみた。ちょっとは多分口に入ったんじゃないかな。
そうだ、明日は学校休みだから有末のところに行こう。
余ったこのチョコ携えて。
あいつも『ありす』君だし。いいよね。人の指定はなかった。
そんなことを考えて思わず、と言った風に笑い声が漏れた。
やっぱり、面倒でも大変でもうざくても。こういうちょっと可笑しいのが普通で当たり前で。
それがずっと、続けばいいな。
結局いつだって、私はそう思うんだ。