世界一周の旅。
「ぜつぼう……」
ゴンドラが動き出して間もなくして、僕の前の席に座っている小毬がこちらを振り向き、そうつぶやいた。
「え?」
「ぜつぼう」
僕はもう一度訊き返そうとしたところで、咄嗟に小毬の頭を押さえた。
「小毬、帽子は?」
さくらにも小毬にも耳出し防止のため帽子をかぶらせている。
狙わずしてダジャレになってしまったことはさておき、僕の手のひらの下でぴこぴこ動く耳をくすぐったく感じながら、返事のない小毬の表情を覗き込む。
「もしかして怖いのか?」
「よにも」
…………。
ああ。『世にも』か。
単語として使われるとわかりづらいな。
どうも人形たちが無表情で動く様子がおっかないようである。
「小毬、もうちょっと我慢しよう。な?」
「がもん」
「我慢だ」
「まあ、わからなくもないよね。見ようによっては不気味だもんね」と隣から卯咲さん。
その台詞は、「で、」とつながる。
「で、桐島君は怖がってる小毬ちゃんを慰めてあげようと頭を撫でてあげてる最中。でいいのかな?」
何か……チクチクする。
「あ、うん。そうそう」
「へえ、いいなあ……」
「ええ……」
「いいなあ」
まっすぐこちらを見つめながら繰り返す卯咲さん。
僕は小毬の耳を左手だけで隠しながら、もう片方を卯咲さんの頭にそろそろと手を伸ばす。
そこに、
「ご主人……」
今までアトラクションに夢中だったさくらが、いつの間にかこちらを振り向いていて、切なげな声を漏らす。
これは……。
「さくらも」
やっぱり。
「ダメ」
「さくらもです」
そう言って帽子を取ったさくらの頭を見て、咄嗟に僕の手はそちらに伸びる。
「バッカっ!」
そう言ってさくらの頭を抱え込んだ手は、卯咲さんの髪の毛に触れようとしていた右手であって、結果、僕の横っ面にキンキンに冷えた視線が突き刺さる。
「桐島君」
「はい」
「私に足りないものってなに?」
最高にめんどくさい展開になった。
「あ、いえ。ありません。百点です」
「一万点満点中の百点?」
「百点満点中の一万点です」
「私って中途半端?」
「まったくそんなことはありません」
「やっぱりちょっと重いんだ?」
「いえ」
「こういうのを見て見ないふりするくらいの寛容さが私には足りてないんだよね。そういうところがきっとダメなんだ。ああーダメだな私。ダメダメだな私。ダメダメ彼女だ。ダメダメダメ女だ。桐島君は全然悪くないのに、責めてしまいそうになる私に責任の大半があるんだね。ううん。大半じゃないよね。全部。全部私が悪い。全部私の責任。ああ、私って傲慢だな。桐島君が面倒なのにわざわざこうやってデートに付き合ってくれてるというのに、ほかの女の子の頭を撫でたくらいで嫉妬してるなんて、人間が小さい。視野が狭い。心が貧しい。ああ、私も桐島君くらいのゆとりある人間でありたいよ。彼女も他の女の子も区別しない博愛主義者でありたいよ。私はくさかんむりを付けて薄愛主義者って名乗るよ」
「あの…………」
そこからは逆にぷっつりと喋らなくなった卯咲さん。
しかし相変わらず両手の下の耳はどちらもなくなってはくれず、本当に世界一周しているんじゃないかと思うくらい長い時間が流れた。