そこに愛は。
『小さな世界一周』は水の上を四人乗りのゴンドラに揺られながら、その名の通り、世界各国の子供たちの人形が歌い踊るの眺めながら巡るという、それだけと言えばそれだけの、夢いっぱいと言えばいっぱいの乗りものだ。
「さくら、ご主人と隣がいいです!」
順番を待っている間、先にゴンドラに乗り込んでいく他の客を見てさくらが叫ぶ。
「ダーメ。僕の隣は決まってんの」
「へへへ。だよね」と恥ずかしそうに笑う卯咲きさんに、僕はうんと頷く。
「だから。卯咲さんとさくらとで前に乗ってくれるかな?」
僕がそう言うと卯咲さんは急に表情をなくし、ぽかんと僕を黙って見つめる。
その脇で小毬も同じ様にしてぽかんと僕を見上げているが、こちらはただの平常運転だ。
「桐島君。私って彼女なんだよね? いいんだよね? 大丈夫だよね?」
「あ、えと、でもほら、小毬とさくらの二人だけで座らせるのは何か危なっかしいし」
「じゃあ、私も何するかわかんないよ!」
そんなアピールされても……。
「じゃあ、僕がさくらと前に乗るから、卯咲さんは後ろで……」
「おかしいでしょ? それおかしいでしょ? 何で桐島君がさくらちゃんと乗るの? ねえ? ねえねえねえ? ねえ!?」
卯咲さんものすごく、ねえねえ。
そして、そんな卯咲さんにさくらが「卯咲さんは」と不思議そうに首を傾げる。
「どうしてさくらとご主人が一緒だとダメなのですか?」
「そ、それは……」
「さくらはご主人が好きだから一緒がいいのです」
「わ、私だって好きだよ!」
照れる。
自分の人生において、女の子にこんなはっきり好意を向けられる日が巡ってくるなんて、しかもどちらもとびきりの美少女だったりするわけで。
人生でこれほどわかり易いモテ期は早々ない。
密かにそんな幸せに浸っている僕の袖を、小毬がちょいちょいと引っぱる。
「なに?」
「おいしい」
「……ああ、うん。ありがとう」
おそらく小毬なりの好意の表現なのだろう。
ムダにだだ漏れるほどにモテ期だ。
「さくら、ご主人と結婚してますし」
「してないよ! お前結婚が何かわかって言ってんのか!?」
いくらなんでも、それは聞き捨てならない。
ましてや卯咲さんの前でそんなことを言われてしまっては非常に困ったことになる。
「わかってます! 好きな二人が一緒のお家に住むってことです。小毬さんも結婚してます」
嬉しそうに答えるさくらに対して、全然わかってない、と僕が突っ込むより先に卯咲さんがふふっとやや挑発気味に笑う。
「さくらちゃん何言ってんの? それって全然結婚じゃないし」
少々大人げない卯咲さんだった。
「そ、それに私、桐島君とキ、キスしたし」
「こんなところで何言ってんの!?」
「あ、さくらもしましたよ!」
「お前も何言ってんの!?」
「……あ」
「小毬、ムリして参加しなくていいよ?」
いや、そんなことより。
「……え、ちょっと、さくらちゃん桐島君と……したの?」
その言葉足らずは少し危うい。
「しました」
「キ、キスだよ?」
「しました。映画館でしました」
平然、当然と答えるさくら。
「き、桐島君?」
「あ、いや、そういうんじゃないんだ」
「したの!?」
「し……たというか、されたというか……」
次の言葉を見つけられない僕に卯咲さんは思わぬ言葉を発した。
「そ、そこに愛はあった!?」
…………?
変化球なんて言い方をよくするけど、もうなんか球種からして違う感じ。
そしてもう一度、
「愛! あった!?」
「ない。ないです。なかったです」
「私とのキスにはあった?」
「へ?」
「愛! あった!?」
ぐいぐい来ます。
「ありました。はい」
「好き?」
「す、好きです」
「誰のことが?」
「う、卯咲さんのことがです」
「じゃあ、叫んで」
「叫……」
「『僕は卯咲黒枝を愛してる』って、ここで叫んで」
「い、いやいやいやいや……」
「嫌なの?」
「いや、嫌じゃないですけど」
こんな子供も大人も盛りだくさんの場でそんなこと……。
「十、九、八……」
「卯咲さん、それ何のカウントダウンだろ?」
「運命」
広い。重い。恐い。
「五、四」
「さん」
「小毬、ちょこちょこ混じってこないで?」
「二」
僕はもうやけくそで高い天井を見上げ、声を張り上げる。
こんなことで卯咲さんとの関係を保てるなら、安い!
「ぼ、ぼぼ僕はぁ! 卯咲黒……」
「桐島君、早く乗って」
へっ、と目を開けるとすでに三人は順番が回って来たゴンドラに乗りこんでいた。
とりあえず、天井に向かって大声で何かを叫ぼうとしていた人である僕を、迷惑そうな目で睨んでいる後ろのお客さんにぺこぺこ謝ると、へこへこと空いている卯咲さんの隣の席に乗りこんだのだった。
長い付き合いだけど、僕は卯咲さんのことを何もわかっていないのかも知れない……本当にわからない。