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あなたとならどこまでも

作者: 紅茶子


「新婚旅行と言えば、やっぱりハワイでしょう!」

 にっとした表情を私に向けながら、彼は言い放った。

「お願いだから、前を向いて。こんな所で事故死なんて冗談じゃないから」

 その顔を横目で確認しつつ注意を促す私は、全くかわいくないと我ながら思う。

 燕尾服に身を包んだ彼は、澄み渡った秋空のしたで、黒のプリウスをこれでもかといわんばかりにぶっ飛ばしていた。スピーカーからは小さくサザンが流れている。私は助手席に深く座りなおしてみたが、求めた安心感は全く得られなかった。身体がふわふわする。

「まぶしい太陽!アラモアナ!ワイキキビーチ!そして艶めかしいボデー!」

 結婚式場を出発して三十分、もともと陽気な彼は最高潮のテンションとなっているようだ。前を向いてくれたは良いものの、上昇する気持ちと速度が比例の関係にあるらしく、先程よりも窓の外の流れが早くなった気がする。恐ろしくて速度計を確認する気にもなれなかった。

 きっと今の彼に運転に関して何か言っても無駄だろうと思い、彼の言葉に反応してみることにする。

「ハワイかー……それもいいかも。国内の有名どころは出張で大体行っちゃったしねー……」

「明日香先輩もそう思いますか!いやあ、嬉しいなあ、明日香先輩のきわどいビキニ姿が見られるなんて!」

「……着ようか?」

「いやだなあ、冗談ですよ、冗談……って、えっ、まじですか!」

「ふふ、さて、どーでしょう?」

 他愛のないやりとりと、若干スピードが緩くなったことで少し気が緩んだ。が、同時に彼の嬉しそうなまぶしい笑顔を見て、また、胸が騒ぎ出す。

「ね、ねぇ!あんたが入社してきた時のこと覚えてる?」

「え、な、なんの話ですか?」

 胸のざわめきに気付かないふりをして、二年前のあの日の映像を鮮明に思い出し始めた。


 『今日から営業部の配属となりました、津田健一です。よろしくおねがいします!』

 忘れようにも忘れられないその日は、「T大卒が入社してくるらしい」という噂が前日から流れていたため、他の部からも大勢が「T大卒の『期待の』新人」を見にきていた。

 『へえ、あれが……?フツーじゃん』

 『T大だからって調子のるんじゃねえぞ』

 『俺より先に出世したら……』

 彼は不穏な空気が渦巻くその中で、水飲み鳥よろしく礼をし……デスクで盛大に頭を打った。

 瞬間、彼はただの「新入社員」となったのだった。


「いやぁ、あんなに笑ったのは初めてだった……ふ、ふふ、んふふ」

「えー?そんなことありましたっけー……?知らないなあ……」

「んふっ、ごめん……でもそのおかげで、皆から可愛がられるようになったんだから、良いじゃない」

 どんな嫌味な奴が後輩になるのだろうか、どういじめてやろうかと考えていた奴らも、完全に気がそがれたようだった。かくいう私もそのなかの一人だったのだが。

 突然、彼はハンドルを右手で持ち直したかと思うと、おもむろに私のスカートの一枚を左手でつかんできた。

「ちょ、ちょっと!あぶないよ!お手手はハンドル!」

「明日香先輩が俺をいじめるなら、俺にだって考えがありますよ」

 ぶすったれた表情で、いじけた子供のような声をあげる彼。可愛い。でも今はそれどころじゃない。

「わ、分かった!ごめん!もうこの話はしないから!だから両手で持って!」

 彼は一瞬ジトっとした目でこちらを一瞥し、ゆっくりと手をハンドルへと戻した。


 車内はしばしの間、小さくサザンがかかっているだけになった。

 私は少しあいている窓の隙間から潮の香りがかすかにした気がして、左に目をむけた。

 するとやはり、遠くにキラキラと太陽の光を反射して輝く海が見えた。

(あ、海だ……)

 海を見ると、様々な思い出が頭をよぎる。林間学校、友達とやった花火。夕陽を背に、浜辺で初めてキスしたこと、真っ黒な海を見ながら一人で初めて声をあげて泣いた夜。

 

 私が感慨にふけっていることが分かったのか、分からなかったのか、彼が明るく話しかけてきた。

「明日香先輩、やっぱり、ハワイに行きましょう!」

 どうして、彼はこんなにもハワイにこだわるのか、そんなことは今の私にとってどうでもいいことだった。

 もっと気になることがあったのだ。

「ねえ、もう私達あとに引けない関係なんだし、呼び捨てで呼んでよ。あ、いまさら返品なんて勘弁だからね?」

 と、つい余計なひと言をつけてしまう。やはり、素直に「寂しいから名前で呼んで」と、ストレートに言えない私は可愛げがない。

 しかし彼は、全く気にしない様子で「わかりました」とあっさり了承した。

 突然、彼はハンドルを左にきって、路上に車を止めると、くるりと私の方をむいてにっこり笑った。

「じゃあかわりに、俺のことも名前で呼んでください、明日香さん」

 健一は私の左手になにもついていないことを確認して、ウエディングドレスのままの私を抱き上げて、キスをした。



 どこまでも青い空の下、黒いプリウスが一台、高速道路をひたすらぶっ飛ばしていた。

「今頃式場はどんな感じかなあ。ふふ、大騒ぎだろうね」

「まあ、得意先の専務の息子との結婚式を中断しちゃいましたからねえ……」

 燕尾服の男と純白のウエディングドレスの女が親しげに話している。

「あはは、よく言うよ、ドラマよろしく私をかっさらった犯人が!」

 女は呆れた様子で、しかし少し嬉しそうに言った。

「だって、こうでもしないと。俺には勝ち目なかったんですよ」

 男は悪びれる風もなく、幸せそうににこにこと笑っている。

「健一、私、空港行く前にとりあえず、普通の服に着替えたいわ」

 

 どこまでも青い空の下、黒いプリウスが一台、高速道路をひたすら空港に向かってぶっ飛ばしていた。



たくさんのお話からこのお話を選んで読んでくださったこと、深く感謝します。

ありがとうございます。


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