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好きな言葉「私は私であるかぎりで、簒奪者であり、殺人者である」

作者: ぽぴ
掲載日:2026/02/07



私は好きな言葉がある。


 それは、哲学者エマニュエル・レヴィナスの「私は私であるかぎりで、簒奪さんだつ者であり、殺人者である」という言葉だ。


へへへ、カッコいいでしょ?


中二病っぽくて、なんかカッコいいでしょ?


――なーんて話ではなく、これは自分へ「戒め」の言葉だ。



 私たちは人と接するとき、相手から発された断片的な情報からイメージを作り出す。断片的な情報とは、見た目や声、歩き方、生活態度、そして、言葉のことだ。それらを拾い集め、頭の中で「あの人はこういう人だ」というイメージを作り出す。


 脳が情報を処理する以上、イメージを持つこと自体は仕方がない。けれど、そのイメージを「真実」と思ってはいけない。


「もしかしたら、私の知らない一面があるかもしれない」という余白は、無理矢理にでも残しておかなければならない。


 でなければ、あなたが誰かを「〇〇な人間だ」と断定した瞬間、あなたは相手のことを殺している。


あなたは、そんな殺人者になってはいけない。



 ナチスによる迫害を受け、人が「人間」ではなく「物」や「文字」として扱われる迫害を経験したレヴィナスは、他者の声に耳を傾け続ける重要性を説いた。


その思想の中心にあるのが、冒頭の「私は私であるかぎりで、簒奪者であり、殺人者である」という言葉だ。


【なぜ「断定」が「殺人」になるのか】


 それは、『未知の存在』であったはずの相手を、自分の知りうる知識の範囲で、「〇〇(天才、馬鹿、等)」と解釈し、そのラベルを貼り付けることで、『〇〇という存在』にすり替えてしまうからだ。


 あなたが「あの人はこうだから」と決めつけたとき、目の前にいる生身の相手は消え、あなたの頭の中にのみ存在する「都合のいい存在」に置き換わる。 


 それは、相手がこれから見せるかもしれない変化や、言葉にできない複雑な感情――つまり、相手の「生」そのものを否定する行為に等しい。


 自分の理解できる範囲に相手を閉じ込め、相手から「生きている存在」という事実を奪い取ること。


これは、存在の簒奪であり、精神的な殺人だ。


「私は私であるかぎりで、簒奪者であり、殺人者である」


 この言葉は、他者を定義し、分かったつもりになってしまう私たちを戒める言葉だ。エマニュエル・レヴィナスがユダヤ人であり、ナチスを経験していることを考えると、この言葉はある種の祈りとも解釈できる。


 私はこの言葉が好きだ。


 少なくとも、「みんな違って、みんないい」という耳触りの良い言葉を信じるより、よっぽど誠実な言葉だと思うからだ。


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