02-01.
水曜の夜、私が久我さんの店に入っていつも通りオーダーを済ませると、弘臣さんがカウンター席からこちらを見ていた。
僅かながらも眉間の皺が薄くなったように見える。
元カノのおかげで弘臣さんの感情を判断するポイントが増え、そして弘臣さんの今の感情は――
「弘臣さん、こんばんは」
「ああ」
多分喜んでくれている?
私には、弘臣さんが時々懐きにくい大型犬のように見える。
今は、こっそりと喜んでいるつもりだろうが、ゆらゆらと尻尾が揺れている。
そんなところだろうか。
「この間は助かった」
「そうですか」
「それと……葉月から聞いた。俺の言葉が誤解を招いたようだ。本当にすまない」
「ああ。あのことならもういいです」
「怒っていないか?」
「怒ってませんよ」
「そうか。それなら改めて君には礼をしたいのだが……」
「もういいですよ。お気持ちだけいただいておきます」
本音は、お礼として『私と一緒に出かけてほしい』と思っている、だなんて言えないからやめておいた。
そして私は溜息をついて、ジトーッと弘臣さんに目を向けた。
「お母様、喜んでくださってよかったですねー」
弘臣さんはピクッと片眉を上げる。
これはおそらく動揺しているのだろう。
「どうしてそれを……」
「葉月さんから聞きました。別に隠すことでもないのに」
すると弘臣さんは目を逸らしたままボソッと呟く。
「母親に贈り物なんて……マザコンとでも思われたら困るからな」
なるほど。確かに一瞬そう疑っただけに、全力で否定はできない。
「理由をきちんと話してくれればそんなふうには思わないのに。わけもわからない女性に贈る物を選ばされたこっちの身にもなってよ」
「……すまない」
すると弘臣さんは探るように私をじっと見つめる。
「な、何ですか?」
「いや……気にするのだな、と思って」
「何を?」
「贈る相手を」
そう言われて、私はバッと顔を逸らした。
この人、表情も変えずに時々核心を突いてくる。
一体どんな答えを求めて聞いているのだろう。
「気にするわよ」なんて答えたら、何かが終わってしまうのだろうか。
怖くてそんなことは言えない。
「べ、別に気にしてません。わけのわからない相手に贈るものを選ぶのは大変だったっていう意味だし……」
すると弘臣さんは首を傾げる。
「だから言っただろう。年上で美しく気高い女性だと」
確かにそう言っていたが――
「ねえ、いくら何でも普通、母親に対してそういう表現する?」
「ん?」
「私、自分の母親のことを『美しく気高い女性』だなんて思ったことないけどな」
すると弘臣さんは再び首を傾げる。
「そうか。実際そうだから言ったまでのことだ」
そう言い切る弘臣さんに、呆れるどころか最早感心すらしてしまった。
「お母様、美人なんですね」
「そうだな……安定感のある顔だ」
安定感。それはどういう……。
私が疑問符を浮かべていると、弘臣さんの視線が動く。
「ああ、ちょうどいいのがいる」
そう言ってバーカウンターで接客中の久我さんを指した。
「あれに化粧をして髪を長くした感じだ。性格はもっと落ち着いている」
「えっ!?」
「源臣は見た目が母にそっくりだからな」
するとちょうど久我さんと目が合う。
ニッコリと笑みを見せる久我さんは、それはそれは世にも美しいご尊顔。うっとり見惚れてしまう。
その女性版?
それって……。
だって久我さんが女装したら、美人女優顔負けの美しさだと思う。
そんな人が母親?
「……なるほど」
思わず納得の声が漏れた。
久我一家が並んだら、どんな絢爛豪華な顔ぶれになるのだろう。
一度見てみたいものだ。
「君の母親はどんな人だ?」
「うーん……普通の人。仲は良いと思う。ただ、最近は口を開けば『結婚しなさい』ばかり言われて……同じことばかり言うからちょっと面倒ね」
私の母親は少し離れた田舎に住んでいる。
古風な考えの人で、『結婚して家庭に入って子供を産むのは幸せなことよ』と会う度に口にする。
ここ最近は特に何度も言われて、仕事を精一杯やりたい私とは相容れない。
面倒な会話にうんざりしてあまり実家には帰省していない状態だ。
「そうだったな。君は結婚を望まないと言っていた」
弘臣さんにそう言われて私はカクテルグラスを手にする。
「そうね。結婚なんてしてる場合じゃないわ。職場も移って、ようやく慣れてきた頃だもの。それに、今のポジションに甘んじるつもりもない。……そう言う弘臣さんも、結婚願望ないんでしょ? お互い似たもの同士だものね」
弘臣さんは一点を見つめて黙ったままだった。
6年前、最初に出会った夜、意気投合した私と弘臣さんは、お互いの結婚観についても話をした。
『私は、世界の舞台に立てるバーテンダーになりたいの。だから結婚なんてしてられない。子供を作ってる場合でもない。ずっと仕事がしたいわ』
『似たようなものだな。恋人だの結婚だの面倒なことに構っている時間も余裕もない』
『あら、私たちそういう面では気が合うみたいね』
それから6年が経った今、私はバーテンダーとしての自分に、ある種の限界を感じていた。




