11-01.
それから数日後、仕事復帰した私はバーカウンターに立った。
ずっと走り続けてきた仕事をほんの少し休んだだけで、勘の鈍りが不安になった。それほどまでに私の日常というのはカクテルと共にあったのだとわかる。
でもカクテルを作り始めてみれば体が覚えていて、そんな不安はすぐに消えていった。
ただ、それとは別の不安が纏わり付いた。
未だに手が震えるのだ。
女性ゲストにカクテルをかけられた後から、カクテルをサーブすることへの恐怖心が根強く残っていた。
またゲストを怒らせたら……。
もし間違えたら……。
そう思うと手の震えが止まらなくなる。
今日最初のゲストは、震える私の手を困惑しながら見つめ、「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。
(ゲストに気を遣わせてどうするのよ……)
どうしよう、とバックヤードで自分の手を歯がゆい気持ちで見つめていると――
「堀田、2名様ご来店だ。行け」
顔を覗かせたのは皆川さんだ。
「あ、あの、実は――」
「いいから行け」
皆川さんにポンと背中を押されて、無理矢理押し出されるようにゲストの前に向かった。
「あ……」
私の目に映ったのは、弘臣さんと久我さんの姿だった。
「いらっしゃいませ。どうしたんですか? 兄弟揃ってなんて珍しいですね」
弘臣さんはともかく、久我さんがプライベートでバーを訪れるのは珍しい。おかげでバースタッフたちの表情が幾分硬い。
世界的に有名なバーテンダーである久我さんがバーを訪れることは、バースタッフにとっては緊張感が高まることであり、威圧感を伴うものだ。
それをわかっている久我さんは、仕事以外ではバーを訪れることがあまりない。
「ああ、兄さんがどうしても堀田のことが心配みたいで誘われたんだ」
「余計なことは言わなくていい。お前はやるべきことをやれ」
久我さんは楽しげに笑い、弘臣さんは眉間に皺を寄せる。
似た顔の二人が対照的な表情をしていて、それが何だか微笑ましい。
「何をお作り致しましょうか?」
バーテンダーの世界で、雲の上の存在のような久我さん。
そんな人にカクテルを出すなんて、コンペ以上に緊張する。
なるべく私が得意なステア系カクテルだといいな、なんて考えていると、久我さんが私をじっと見つめて告げる。
「アレキサンダー」
その瞬間、喉がヒュッと締まり、息が詰まって顔がこわばる。
『アレキサンダーをいただける?』
『バカにするのもいい加減にしなさいよ!』
『アレキサンダーはジンベースで出してと言ってるじゃない!』
あの時の女性ゲストの怒声で頭の中がいっぱいになっていく。
まるで脳内がその声に支配されていくかのよう。
息苦しさに、視界が徐々に陰っていく。
すると――
「文乃」
弘臣さんの声だ。
それをきっかけにようやく呼吸ができ、私は胸を押さえて弘臣さんに目を向けた。
「は、はい……」
「どうすればいいんだった?」
そうだ、弘臣さんが教えてくれた。
「背筋を……伸ばす……肩を……開く……深呼吸」
「そうだ」
私は目を瞑ると、背筋を伸ばして肩を開き、深呼吸をした。
「ありがとう、弘臣さん」
「ああ。乗り越えてみせろ」
その言葉にハッとする。
そうだ。乗り越えると決めた。
大きな舞台をもう一度目指すと決めたんだ。
こんなところでくじけている場合ではない。
『堀田文乃は誰にも引けを取らない優秀なバーテンダー』
弘臣さんの言葉を思い出す。
そう言ってくれた弘臣さんを裏切るような真似はしたくない。
「はい」
負けない。
怖さを乗り越えるんだ。
弘臣さんがそばにいるから大丈夫。
できる。




