10-08.
弘臣さんが皆川さんに録音データを渡している間、私は佐々木さんを静かに見つめていた。
私の心に湧き上がったのは、恨みでも怒りでもない。その小さくなった姿への哀れみだった。
「気に病んでいるのか?」
弘臣さんは佐々木さんに一瞥もせずに私の元へ真っ直ぐ近づき、髪を撫でてくれる。
労るような優しいその手に、私は何も答えず微笑みだけを返した。
「君に今一番必要なのは休息だ。後は皆川に任せればいい」
「うん……」
私は視線を皆川さんに移し、頭を深く下げる。
「皆川さん、ありがとうございました」
「いいや。至らないところがあって堀田を苦しませた。すまなかったな」
「いいえ。あの……どうかバーにとって、一番いい形に収めてください」
そう返すと、皆川さんはフッと笑った。
「バーにとって、ね。堀田、お前はいいシニアバーテンダーだよ」
「えっ……」
「自信を持てってこと。後は任せろ。しっかり休めよ」
皆川さんなら、きっと上手く収めてくれる。
頼れるチーフだから。
「はい。よろしくお願いします」
私と弘臣さんは佐々木さんに背を向け、ミーティングルームを後にする。
「本当に君はどこまでもお人好しだな」
「だって……ごめんなさい」
「いいや、それも君らしさだ。敵をも許す強さ。やはり君は格好いいな」
弘臣さんは私に微笑みを向け、肩を抱きながら頭をポンポンと撫でてくれる。
それは心からホッとする優しさだ。
「ありがとう」
「さあ、疲れただろう? 行こう」
「うん」
「そうだ文乃、ずいぶん無理をしたはずだ。足元がふらついているなら、俺が抱きかかえようか?」
「大丈夫。歩けます」
「そ、そうか」
シュンと眉尻を下げる弘臣さんがかわいい。
「もう……何なのよ、その『抱きかかえたいアピール』は」
「アピールではない。特権の行使だ」
「特権? 何それ?」
「だから言っただろう。『君に甘えてもらえるのは、俺だけの特権だと思っている』と」
「へっ?」
「つ、つまり……」
「……つまり?」
「君に甘えてもらいたい……俺の我が儘だ」
何それ? そんなかわいい我が儘ってある?
そんなかわいいものならば――
「……それなら外に出たら、甘えさせて?」
私は存分に聞き入れてあげたい。
「そうか! ならば、ここを出たら抱き上げ――」
「それはない」
食い気味にスパッと答えると、再びシュンと眉尻を下げる弘臣さん。
ちょうど職員出入口に到着してドアを開けると、午後の明るい日差しが眩しいほどに私たちを照らした。
「ねえ弘臣さん、支えてほしいから、くっついて歩いていい?」
「もちろんだ」
弘臣さんは、パッと花開くように顔を綻ばせる。待ってましたと言わんばかりだ。
こんなに嬉しそうにするなら、甘えるのもいいかも。
「じゃあ、お願い」
私の肩に添えられた大きな手に導かれて、私は甘えるように身を任せる。
「ああ、任せろ」
迎えられた腕の中は、冷えて縮こまった体を解くほどに温かだ。
「弘臣さん、うちについたら一回だけでいいからギュッてして?」
「……」
「嫌なの?」
「違う。仕事に行けなくなりそうだと思っただけだ」
「え?」
「何でもない。ほら、さっさと行くぞ」
「はーい」
抱きしめてもらったら、もっと温かなのだろう。
それはきっと、凍えた体すらも芯から溶かすような温かさ。
だから私はこの人と一緒なら、震えるほどの寒さを乗り越えて、どこへでも歩いて行ける。
ずっと、歩いて行ける。
明日からエンディングへと向かいます




