10-06.
それは私を叱る目。そして佐々木さんへの怒りをはらんだ目なのだろう。
「文乃も落ち着け。それは最終手段だ。……皆川、悪いが少し口を出すぞ」
「ああ、どうぞ」
すると弘臣さんは、佐々木さんを冷淡な目で見下ろす。
「先ほどから黙って聞いていれば、何と了見の狭い話ばかりしているんだ。口を出さずにいられないほど愚かだな。『悪女』やら『向いてない』やら何様のつもりだ。その上、自分で仕出かしたことを、さも尤もらしくこじつけて人のせいにするとは。同じ大人とは思えん」
「はぁ? あんたこそ、何様のつもりだ!」
「俺は医師だ。様は付かん」
「……」
「おい皆川、佐々木という人物は『社交性・人当たりの良さ・幅広い知識量』が文乃の上を行くと言っていたな。コイツは本当に佐々木という人物なのか?」
そう言って、弘臣さんは皆川さんを見ながら、佐々木さんを指差す。
「ああ、間違いなく佐々木だ」
「ならば貴様の目が節穴ということだな。人柄に全く良いところが見当たらない」
「仕方がないだろう。主演男優賞級の猫かぶりだったんだから。俺だって本性なんて初めて見たんだ。知るかよ」
「源臣が言っていただろう。コンペでは『バーテンダーの質も全て含めて審査されている』と。お前には見えないのか?」
「やめて~、俺が源臣より見る目ないって言われてるみたいだからストップ」
皆川さんがガックリと俯くのを呆れたように見て、次に弘臣さんは私に問う。
「本当にいいのか?」
「……え?」
「君の実力は、この男の下なのか? こんな男にポジションを譲っていいのかと聞いている」
「で、でも佐々木さんの方が仕事をスムーズに回せるから……」
「それは佐々木が勝手に言っているだけだろう」
「私は……みんなとぎくしゃくしてて――」
「佐々木があらぬ嘘を広めたせいだ」
「でも、私がみんなの輪を乱して――」
「乱したのは君ではない。佐々木だ」
「だ、だって……弘臣さんにも皆川さんにも迷惑ばかりかけてる自分が嫌に――」
「迷惑じゃないから少しは頼れ!」
静かに話すいつもの弘臣さんの声とは違って、まるで溜め込んだ鬱憤を晴らすかのような声だった。
私は目を見開いて隣に立つ弘臣さんを見上げる。
するといつもよりちょっと乱暴にガシガシと頭を撫でられた。
「あのな……視野が狭くなりすぎだ。理不尽な悪意に飲み込まれるな。きちんと情報を整理しろ。一人で闘おうとするな。恐怖心が邪魔をするなら俺がそばにいるからしっかり前を向け」
弘臣さんの甘い叱咤に、涙が込み上げる。
「でも……もう、充分たくさん頼ってるのに……」
「全然足りない。もっと頼れ。皆川なんて、もっと扱き使ってやればいい」
「そ、そんなこと……」
「本音を言えば俺だけを頼ってほしいが、仕事に関してはそうもいかないからな。皆川を頼れ。あれでも一応役には立つ」
「一応って……」
「苦しい時に誰かを頼ることは、甘えでも迷惑をかけることでもない。必要なことだ。一人でできることなんて限られている。誰かを頼ったほうが、ゆとりができて周りがよく見えるようになる。一人でやる以上の成果を得られることもある。君は今、一人で闘いすぎて、自分も周りもきちんと見えていない。少しゆとりが必要だ」
周りがきちんと見えていないかはわからない。でも自分のことで手一杯なことは確かだ。
すると弘臣さんが穏やかな笑みを浮かべる。
「君は確かに、誰にでも愛想良く振る舞うタイプではない。だが、皆川から聞いている。ここ最近、そういう自分に足りない部分を変えようとしてきたんだろう?」
「それは……そうだけど……」
「前を向いている君なら大丈夫だ。今の君なら上手くやれる」
すると佐々木さんが声を荒げながら口を挟んだ。
「そんな嫌われ者に上手くなんてやれるわけがないだろう! またバーを滅茶苦茶にするつもりか!」
私を睨みつける佐々木さんの目と怒声に肩を竦めると、弘臣さんの大きな手が私の視界を塞いだ。
「見なくていい。こんなことで君が心を痛める必要はどこにもない」
暗闇の中で、弘臣さんの優しい声だけが私に響く。
それは恐怖も不安も包み込んでくれるように温かい。
「弘臣さん……」
「佐々木が言うどの言葉も、君を陥れるためのものだ。君を示す正しい言葉ではないから聞く必要はない。ただの戯言だ」
「で、でも――」
「心外だな。君は俺の言葉より、アイツの言葉を信じるのか?」
「そういうわけでは……」
「いいか、俺の知る『堀田文乃というバーテンダー』は、アイツの言うような人物ではない。誰よりも真摯にカクテルと向き合い、努力を重ねてきた人物だ。あんなやつどころか、誰に引けを取ることもないほどの実力を持っている。羨望されこそすれ、罵倒されるなどあり得ない。そんなことをするやつは真のバーテンダーではない。『堀田文乃は誰にも引けを取らない優秀なバーテンダー』――それを忘れるな」
目の前にかかった黒い霧が、サッと晴れていくかのようだった。
私はきっと、誰かに認めてもらいたかったんだ。
ずっと努力し続けてきたことを、バーテンダーである私自身を、きちんと見てほしかった。
この人は、私が今言ってもらいたかった言葉をくれる。
この人には、どうして私が一番欲しい言葉がわかるのだろう。




