10-05.
私は震える声を絞り出した。
「本当に……誤解です……」
「だから、誤解されるようなことをするほうが悪いって言ってるだろう! 僕は確かに見た! それは事実だ」
そう言って、佐々木さんは自分のスマホをポケットから取り出し、私たちに画面を向ける。
「見ろよ、これが証拠だ! 確かに総支配人と仲良さそうに二人で歩いているじゃないか!」
そこには、私が総支配人に笑みを向けながら歩いている画像が映されていた。
「そ、それは――」
「この際、真実なんてどうでもいいんだ。これをSNSに流せば、世の中が勝手に想像して断罪してくれる。それがちょっとでも総支配人の奥さんの目に止まったら……家庭に僅かな亀裂でも入れば儲けものだ。そうなれば、あなたにはお似合いの悪女認定だからな」
フフフッと佐々木さんは不気味に笑う。
「違う……。佐々木さんは誤解してます。……ふ、二人でなんて……歩いてません」
「はぁ? 何を今更言い逃れかよ! もういい、さっさと流してやる」
「えっ、そんな……やめてください!」
「ほーら、やましいことがあるからそうやって慌てるんじゃないか」
佐々木さんの見開かれて血走った目が怖い……。
すると――
「佐々木、もしかしてお前、気付いてないのか?」
皆川さんが佐々木さんの勢いを削ぐように静かに口を開く。
「……は……?」
「総支配人から話は聞いている。高校生の息子さんが一緒だったそうだぞ。だよな、堀田?」
私はおずおずと頷いてから答える。
「私が街中で会ったのは、総支配人と息子さんが一緒にいる時です。だからその画像にも……総支配人の奥、少し後ろに、息子さんが写ってます」
佐々木さんは慌てたように画面を拡大する。
彼の目に見えているはずだ。スマホを見る、制服姿の男子の姿が。
「あ……」
佐々木さんは呆然と目を見開き、スマホを持つ手を震わせる。
私は佐々木さんに告げる。
「佐々木さんに誤解を与えてしまったことは申し訳なかったですが……こんなことに高校生の息子さんを巻き込むのはちょっと……。まして事実ではないことなのに、SNSに流されればどういうふうに伝わっていくかわかりません。奥様にもご迷惑になりますし……だから、やめてください」
すると皆川さんが続けて佐々木さんに告げる。
「就任後すぐで総支配人の頼みを断るのは、さすがの俺でも無理だな」
「――ッ……」
「なあ佐々木、高校生の息子さんを隣に引き連れて、総支配人が堀田と腕組んでホテル街を歩いていた、ってのはさすがに無理があるだろう。お前が余計なことを付け足したことが裏目に出たな。話を盛ったことを証明しているようなものだ」
皆川さんの言葉を聞いた途端、佐々木さんは怒りに震えて私たちを順番に睨む。
「何なんだよ、これ。寄ってたかって僕を袋叩きにするために呼んだわけか? 3対1なんて卑怯じゃないか!」
すると弘臣さんが溜息をついて佐々木さんを見据える。
「袋叩きとは何だ? 俺は話を全部聞いていたと言っただけに過ぎない。口を出すなと言われているからな。担当患者の体調管理をしているだけだ。被害妄想も甚だしい」
そして皆川さんはいつになく厳しい表情を佐々木さんに向けた。
「俺は最初中立だったよ。堀田も佐々木も、どちらもバーの大事なスタッフだからな。今でもそうでありたいと思っている。だが、堀田にもバースタッフにも佐々木にもこうやって話を聞いて、突き詰めれば突き詰めるほど佐々木に対する不信感しか湧かないんだよ。堀田に対して少しでも謝罪の意思が見えればよかったが、その様子もない。俺は残念でならないんだ」
黙り込む佐々木さんに、皆川さんは語気を強めて話を続ける。
「何が3対1で卑怯だよ。佐々木は堀田のこと、嘘まで広めて仕事でキツいことばかり押し付けて、一体何人で寄って集って追い込んでたんだよ。こんなのまだマシだろうが」
呆れと失望を含んだ皆川さんの言葉に、佐々木さんはギリギリと歯を食いしばると、私に視線を向けて恨みがましい目で睨む。
「誰のせいだと思ってるんだ! あんたが来る前は、ずっとバーは平和だった。雰囲気も良かった。あんたがシニアになんてならなければ、こんなことにはならなかったんだ! バーを壊した悪女のお前なんかに、シニアなんて務まるわけがない! いい加減、向いてないって気付けよ! 身の程を知れ!」
佐々木さんの我を失ったような怒号に、私は震え慄く。
“向いてない” ――その言葉は、ずっと私の胸に泥のようにべっとりと纏わり付いたままだ。
私の就任がバーの平和と均衡を乱してしまったことは確かなことだ。
だから佐々木さんに返す言葉が見つからなかった。
現にバーのスタッフと私は酷くギクシャクし、私が休んでいる間は平和で仕事がスムーズだったというのなら尚更だ。
平和だったかつてのバーの様子は知る由もない。
でもきっと私がシニアにならなければ、バーのスタッフも佐々木さんもみんな変わらず仲良くやっていたに違いない。
そう思うと自嘲の笑みが零れる。
佐々木さんのやっていたことは許せない。でも佐々木さんの言葉は結果的に間違えていない。
私には自分一人で解決する力もなく、そもそもそんな自分がシニアやチーフには向かないのは当然だ。
率先する力もない。好かれる人柄でもない。
そんな私がシニアなんて……。
「ご……ごめん……なさい」
呆然とそう告げると、佐々木さんは引きつった顔に満足そうな笑みを乗せる。
「そうだよ。全部あんたが悪い。わかったら責任とって黙って辞めろよ。バーのためとかゲストのためって言うなら、あんたが辞めるのが一番なんだ。やっと不要だって気づいたか」
そんな鼻で笑う佐々木さんの言葉に、暗い記憶がよみがえる。
『あなたみたいなのは向いてないわ。さっさと辞めなさいよ!』
そうだ……私はバーに不要なんだ。早く気づけばよかったのに……。
目の前に黒い霧がかかるように視界が暗くなっていく。
私は息苦しさを感じる喉から小さな声を上げた。
「私……ここを辞め――」
震える声で呟いていると、グイッと顎を持ち上げられ、視線が強制的に上へ向く。
「いい加減にしろ」
見上げた弘臣さんは目つきが鋭く、確実に苛立った表情をしていた。




