10-04.
「改めて問うが、本当にバーのスタッフみんなが堀田のことを邪魔に思っているのか?」
皆川さんがそう聞くと、佐々木さんは両手で顔を覆い、じきにクククッと不気味に笑い始めた。
ついに佐々木さんは、皆川さんに対しても取り繕うことをやめたのだ。
「皆川さん、何が言いたいんですか? 疑うのなら、みんなに確認してみればいいじゃないですか。どうせみんなその女が邪魔だって言いますよ」
「奇遇だな。ちょうどそうしたところだったんだよ」
「は? だったらみんなそう言っていたでしょう? その女はシニアにもチーフにも向かないんですよ」
それを聞いて今度は皆川さんがニヤリと笑う。
「まあ、もちろん堀田をよく思っていない者が少しもいないとは言えないが……それは誰でもそのくらいはいるだろうっていう許容範囲内だ」
「は? そんなはずは……」
「ただな、みんな口を揃えて言っていた。『佐々木がかわいそうだ』ってな」
皆川さんの言葉に、佐々木さんは心外だとでも言いたげに顔を歪める。
「僕が……かわいそう?」
「ああ。前のシニアが辞めると決まった時、佐々木のシニア昇格は、仲間内では確実視されていたんだってな。佐々木自身もそう思っていたんだろう。東都ではずっと内部昇進が常だったらしいからな。それでみんなで祝おうなんて話してたのに、蓋を開けてみれば突如、堀田が現れてシニアに就任した。お前を慕っていたスタッフ皆が困惑したし、かける言葉が見つからなかったそうだ」
佐々木さんはグッと握った拳を震わせながら、黙って皆川さんを睨む。
皆川さんは何の怯む様子も見せずに話を続けた。
「そんな時、どこからともなく噂話が流れてきた。『堀田は総支配人のお気に入りだからシニアになった』『堀田が総支配人と二人で腕を組んで歩いているのを見た人がいる』『あれは確実に不倫している』ってな。総支配人に気に入られているから、いきなりシニアに抜擢なんていう異例の就任ができたんじゃないかって、みんな佐々木を庇うようにその時の人事に納得したらしい」
私にとっては寝耳に水な話ばかりだった。
総支配人には確かにシニア就任前の面接で会い、そして就任後すぐに街中で偶然会い、贈り物に迷っている様子だったので相談に乗った。
シニアに抜擢されたのは、国内のバーテンダーコンペで準優勝した経歴を買われてのことだ。
総支配人のお気に入りでもなければ、腕を組んで歩いたことなんて一度もない。
まして不倫なんて……。
私が困惑する中、皆川さんは佐々木さんに話を続ける。
「それからは、佐々木に同情した連中と、堀田の抜擢に嫌悪感や危機感を抱いた連中、それと佐々木が中心になって、バースタッフがおかしな方向に一致団結して……面倒な客とか女好きな客とかは全部堀田に回すようにして、堀田が自分から辞めるように仕向けていた。そうだろう?」
佐々木さんは俯いて歯をギリギリと噛みしめる。沈黙は肯定ということなのだろう。
私は体を震わせる。
職場が変われば客層も変わる。だから接客が難しくて当然。私はシニアとして、自分にできることを精一杯やればいい。
そういうふうにしか考えていなかった。
まさかそんな悪意が自分に向けられていたなんて……。
(みんな……そんなに私に辞めてほしかったんだ……)
そんなこととはつゆ知らず、必死に努力を続けていた自分。なんて虚しい努力だったのだろう。
自らを両腕で抱え込んで震えていると、弘臣さんがジャケットを掛けてくれる。
ぶかぶかのそれは、温かで弘臣さんの甘い香りがする。
ゆっくりと弘臣さんを見上げると、弘臣さんは私を気遣うように見つめていた。
「気をしっかり持て」
「……はい」
ジャケットにすっぽりと包まれたまま、私は震えを押し殺して皆川さんの話を聞くように努める。
「最初はみんな心のどこかに『何かおかしい気がする』っていう感覚があったんだ。だけど集団心理ってやつだろうな。そんないじめみたいなことをしているのに、それが当たり前になって、やがて誰も何とも思わなくなっていった。だが、元チーフの喜多見さんが、スタッフたちに広がる違和感を何となく感じ取っていた。ただ喜多見さんも何が起きているのかをはっきりわかっていたわけではなくて、堀田自身の抱えていた問題と、ほかのスタッフとのいざこざがごちゃ混ぜになった状態だった。それに喜多見さんには退職が迫っていたからな。それで俺が喜多見さんに依頼されて引き継ぐことになったってわけだ」
すると腕組みをする弘臣さんが呆れ顔で皆川さんに告げる。
「まるで調査員のようだな」
「だろう? 見込まれて依頼されたんだから、役割を果たさないとな。――で、ここ最近は堀田自身の問題は解決しつつあったから、おかげで随分問題がクリアになったよ。佐々木のことも少し見えてきたところだったんだが……俺が手を入れようと思った矢先、堀田にトラブルが起きてしまったんだ」
佐々木さんは俯いたまま、ただ黙って皆川さんの話を聞いていた。
「総支配人との不倫の噂に関しては、少し前に五十嵐が事実を話したんだって? だからみんな半信半疑ながらも堀田を見る目が少し変わったようだ」
皆川さんのその言葉に私はハッとする。
そういえば以前、五十嵐君がみんなの前に出て行って、誤解を解こうとしてくれた。
後で礼を言わなければ。
そう思っていると、隣に立つ弘臣さんが眉間に皺を寄せて私に問う。
「五十嵐だと? それにさきほどから何なんだ、その……総支配人と不倫? どういうことだ?」
訝しげに私を見つめる弘臣さんに、私は必死に首を横に振った。
お願いだから疑わないでほしい……。
「違うの。街中で総支配人にばったり会って、その時に奥様への贈り物を相談されて……それで一緒にお店まで行っただけ」
「だったら、どこからそんな話が湧いたんだ? しかも『腕を組んで歩いているのを見た』というのは……おい、何なんだ?」
弘臣さんが皆川さんを鋭い目で睨む。
「おい、俺に怒るなよ。……で、たぶんな、佐々木が話を作って流したんだろうよ。一部のスタッフには『ホテル街を歩いていた』とか付け足したらしいぜ」
「ホテル街だと……?」
弘臣さんの鋭い瞳は、今度は佐々木さんに向く。
射殺さんばかりの冷ややかな視線に、さすがの佐々木さんも僅かに身を引いていた。
「たぶんな、堀田に対してみんなが強い嫌悪感を抱くようにっていう狙いがあったんだと思う。だが――」
そう言葉を切って皆川さんは佐々木さんに目を向け、続けて告げる。
「佐々木は、自分がシニアに選ばれなかった尤もらしい理由付けがしたくて、嘘の話をみんなに流したんじゃないか? そうやって自分を守りたかった。違うか、佐々木?」
佐々木さんは拳を振るわせて俯いて黙り込む。
すると皆川さんが私に告げる。
「また堀田が潔すぎるくらいに弁解の一つもしない性格なもんだから、噂は広げやすかったんだろう。堀田も少しは説明くらいしろよな。まったく……」
確かに私は噂に対して弁解などせず、仕事で示してけばいいと思っていた。そうすればいつかみんなわかってくれる。いつか認めてくれる……。
私も実力で認められたくて、意地になっていた部分もあったのだと思う。
でもそれが裏目に出て、逆に利用され、今回の事態を招いたということなのだろう。
(私……バカだな……)
行動だけではなく、言葉で伝える大事さもあるのに……。
すると佐々木さんがフッと笑って肩を揺らす。
「でも、僕は本当に見たんだ! あんたが支配人と二人で歩いてたのは事実だろ? そんな誤解されるようなことをするほうが悪い!」
怒気を帯びた佐々木さんの目が怖い。
でも今度はきちんと弁解するんだ。
自分の言葉できちんと。




