10-02.
隠しもしない敵意が真っ直ぐ向けられると、怯えを示すように私の足が竦む。
「わ、私は、ただバーをもっといいものにしたくて、そのためには佐々木さんにも――」
「お説教ですか? いい年して、年下の女性に説教されるなんて、恥ずかしいな」
「そんなことを言うつもりはなくて……ただ、バーのためにもゲストのためにも、佐々木さんと一緒に協力して仕事ができたらいいなって思ってるだけです」
「……一緒に?」
「はい。佐々木さんが私のことを良く思っていないのはわかっています。でも、仕事中だけはそういう気持ちをどうか納めてはいただけませんか? ゲストに心から楽しんでいただくためにも、仕事中の協力や連携は必要だと思うんです。だから私は佐々木さんと一緒に頑張りたいって思ってて、みんなとももっと打ち解けられるように――」
すると佐々木さんは嘲るような笑いを溢す。
「さすがシニアバーテンダーに抜擢されるだけありますね。うっかりミスをした僕のことまで気にかけてくださるなんて、あなたには頭が下がりますよ」
すると、佐々木さんが再び私にしか聞こえないような小声で呟いた。
「誰も協力するわけがねぇだろ。あんたなんて不要だから、さっさと辞めろよ」
聞こえてきた信じ難い言葉に耳を疑っていると、佐々木さんはまた声を大きくする。
「みんなそう思ってますよ」
「みん……な……?」
「そう。バーのスタッフみんながそう思っています。……ああ、五十嵐はまだわかってないみたいですけど、いずれみんなと同じようにわかります」
そしてまた声を小さくした佐々木さんは、口元だけつり上げて蔑むように笑う。
「所詮あんたなんて見た目と女を武器に仕事してるだけで、『三流のバーテンダー』だってね」
「――ッ……」
その言葉は、すでに弱くなっていた私の心に深く突き刺さった。
『三流のバーテンダーなんていらないのよ。あなたみたいなのは向いてないわ。さっさと辞めなさいよ!』
佐々木さんの言葉とあの女性ゲストに言われた言葉が頭の中でぐちゃぐちゃに混ざってこだまする。
ギュッと胃を絞られるような気持ち悪さと、全身が冷気に包まれたかのような寒さを感じた。
何を言われようと仕事で示せばいい。ずっとそう思ってきた。
最近は少し自分を変えることができて、少しずつ自信を持てるようになってきた。
でも未だ『シニアバーテンダー』としての私なんて、誰も認めてくれてはいないのだ。
それどころか、みんなが私に辞めてほしいと思っている。
誰にも必要とされていない。
目の前が暗くなり、足元がグラグラする感覚が、私の存在をあやふやにするかのようだった。
肩を震わせて黙ったままの私に、佐々木さんは満足そうに笑うと、声を大きくして告げる。
「あなたがいない一週間、バーはとても平和で、仕事の流れもとてもスムーズだったので、ご心配には及びません。まあ、あなたが来る前に戻っただけですから。僕が堀田さんの代わりを務めますので、大丈夫ですよ。どうぞ安心して、ゆーっくり、お休みください」
それはつまり、私が辞めても何の問題もないということなのだろう。
私なんて必要ない。
あのバーに、私の居場所はない……。
まるで考えることを拒否するかのように、頭がどんどんぼんやりとしていく。
痛めつけられた心が、もう限界だと訴えるかのように、体が、頭が、考えることを拒絶する。
すると佐々木さんが私のすぐそばに近づき、悪魔のような不気味な笑みを零して耳元で囁く。
「そういえば、柳本社長とは『夜のお付き合い』をしたんですか?」
「え……?」
「最初に来た時、あなたのことを『美しい』と言って見ていたのでね、僕、あなたのために教えて差し上げたんですよ。『彼女、生活に苦労をしているらしくてね、ゲストと閉店後に個人的な付き合いをして稼いでいるっていう噂があって困ってるんですよ』ってね」
「わ、私、そんな……こと……」
「あれ? 生活に苦労、は僕の勘違いでしたか? それはうっかりしたな。すみません。でもあなたは『夜のお付き合い』は得意でしょう?」
「そ、そんなの……違う……」
「でもどうせ、あんたなんてそういうイメージなんだよ。ちょっとそうやって言えば、ゲストは簡単に真に受けるくらいだからな」
「――ッ……」
するとまた佐々木さんは声を大きくする。
「それにしても、今回のことは本当に災難でしたね。僕がうっかり新規だと伝えたばっかりに、まさかあんなことが起きるなんて……」
そしてまた佐々木さんは声を小さくする。
「あの女性ゲストには感謝だよな。あんたみたいな勝ち気な女が、ゲストからカクテルをかけられてる姿は、なかなかの傑作だった。笑わないようにするのが大変で大変で。いやあ、最っっ高。素晴らしかったよね」
佐々木さんは美しい光景でも思い出しているかのように、うっとりした表情で笑みを浮かべる。
佐々木さんの言葉が、反響音のように頭の中に繰り返し繰り返し響き渡り、私の体を凍えさせていく。
そして、素肌を這うように流れ落ちた冷たい液体の感覚が一気によみがえると、酷く寒気がして、ガタガタと体の震えが止まらなくなった。
「本当にあんたは、スタッフにもゲストにも嫌われるのがお上手だ」
クスクス笑って告げられた佐々木さんの言葉に、私はハッとして自分の服の胸元を掴む。
違う……今はカクテルなんてかけられてない。
それなのに胸やお腹が酷く冷たく感じられ、甘ったるいアレキサンダーの香りが私の鼻を突く。
そして肺が凍ったみたいに息ができず、視界が暗く狭まる。
体中が冷え切って、だんだん手足の感覚がなくなっていった。
地に足はついているのだろうか。今、私は真っ直ぐ立っているのだろうか。
怖い……。
ぐらりと視界が歪んで天地がわからなくなったその時、腕を強く掴まれて体を支えられた。
「文乃、ここまでだ」




