09-02.
決して広い部屋ではないが、文乃の甘い香りがして何とも居心地のいい部屋だ。俺はホッと息を吐き出す。
「弘臣さん、お疲れ様でした」
「ああ。体調はどうだ? 今日、家で過ごしていて苦しくなったりしなかったか?」
「うん、平気」
ソファーの隣に並んで座る文乃を、俺は肩を抱いて引き寄せる。
愛おしい気持ちで髪を撫でつつ、体調管理も怠らない。
首に触れる。体温異常なし。
手首に触れる。脈拍は少々早いが、正常範囲内だろう。
「よし」
いい調子だ。ほっと胸をなで下ろす。
「あの」
文乃が俺を見上げる。その顔は上気していて、唇がワナワナと小さく震えている。
「何だ?」
「恋人か担当医か、どちらかにしてもらえませんか? いっぺんにしないで」
いっぺんに、とは……『愛情表現』と『体調管理』を一気にやるな、ということか。
「効率的に、と思ったのだが」
「だからそれが……」
「それが、何だ?」
「なんか……期待した私がバカみたいって思う」
期待。
期待……?
期待とは。
①さらなる専門的な医術への期待
②さらなる上級の愛情表現への期待
③贈り物等、サプライズ展開への期待
④ユーモア溢れる会話への期待
⑤男女の睦み合――
――待て待て待て! ⑤はダメだ! 今夜はただ文乃のそばにいるために来たということを忘れてはならない。
文乃を前にすると、遅れてきた思春期のような青い反応をするから手に負えない。
俺は煩悩を振り払うように咳払いをして文乃に問う。
「期待、とは何だ?」
そう聞くと、文乃の顔は次第に赤みを帯びていく。
「そっ、それは……」
「……」
「……」
そして何も答えないが……照れることとなると、①③④は消え、⑤は俺の煩悩だから消える。
つまりは――
「文乃」
再び文乃の肩を抱き寄せると、文乃は手で顔を覆って俺に体を委ねる。
たぶんこれで間違えていない。
では存分に『②さらなる上級の愛情表現』に徹することとしよう。
「元気そうで安心した」
俺は文乃の額にキスを贈る。
「う、うん……弘臣さんのおかげ。ありがとう」
「ああ。当然のことをしたまでだ」
そう返事をして、今度は瞼にキスを贈り、さらに問う。
「文乃、今日は何をして過ごしていたんだ?」
「か、買い物に出掛けて……食料品を買いに……」
「そうか」
顔を覆う文乃の手を避けて、俺は頬にキスを贈る。
「出歩くのは久しぶりだろう? 無理はしていないか?」
「う、うん……少し……出掛けただけだから」
「そうか」
そう言って唇にキスを贈ると、文乃は顔をくしゃくしゃにして、再び手で覆った。
「ねえ、さっきから句点を打つみたいにキスするのはやめてよ」
句点。
会話の丁度いい区切りでキスを贈ったから、確かに句点代わりのようだ。
「読点代わりでは話しにくいだろうから、自動的に句点部分になるな」
「そっ、そういうことじゃなくて……。ああもう……弘臣さんって行動が読めない」
「君のストレスになるなら、俺はもう少し行動を改めよう」
「ちっ、違う」
手で顔を覆う文乃がチラリと俺を見る。
「そうじゃなくて……ドキドキするから困るっていう意味」
ドキドキ。
ドキドキ……?
顔を赤くする文乃を見ていると、俺まで鼓動が激しくなってきた。
「き、君は、行動の読めない男が好きなのか?」
「いいえ」
即答されるとさすがにショックだ。
俺の心臓が鳴りを潜める。
「そうか……」
ならば俺は嫌われ――
「行動の読めない男、じゃなくて……弘臣さんが……好き」
「……は?」
「好き」
そう言って、モジモジしながら顔を赤らめる文乃。
……待て待て待て! 何だこの、かわいさの集合体のような存在は。
耐えろ、俺の理性。
抗え、俺の本能……。
すると文乃がハッと我に返ったように目に力を込める。
「そうだ! 弘臣さんの口に合うかわからないけど、おなかがすいているなら何か食べる? お酒もあるの」
「そ、そうか……」
「あ、それかお風呂入る?」
「……は?」
「だからお風呂。もちろん、シャワーでもいいけど」
ニッコリと女神のような笑みを向ける文乃。
……待て待て待て! 風呂でもシャワーでも、その後向かう先は……どこなんだ!? いや違う! どこにも向かわない!
「はっ、腹が減っている! 大いに減っている!」
「そんなに? それならちょっと待ってて。すぐに用意するね」
文乃はソファーから立ち上がると、俺の頬にチュッとキスをした。
「句点を打つみたいなキス、お返し」
フフッと照れたように笑ってスタスタとキッチンに向かった文乃を、俺は呆然と見つめる。
句点を、打たれた……。
「――ッ……」
俺は激しい拍動を打ち鳴らす胸をグッと押さえる。
文乃の言動一つで、俺の心臓は発作を起こしたかのようにかき乱される。
「なんて……恐ろしい女なんだ……」
やはりニトロを常備すべきだろうか。




