01-04.
「君は酒以外も飲むんだな」
そう言われてガックリ。
私のイメージって一体……。
「当たり前です。そこだけ聞くと『飲んだくれ』みたいだからやめて」
「いや……カクテル以外のものを飲んでいる君を見たことがなかったから珍しいんだ」
確かに、バー以外でこうして会うのは初めてだ。
弘臣さんが疲れた様子で眉間を押さえ、コーヒーを口に運ぶ。
疲れているはずなのにだらしなさはなく、シャキッと背筋が伸びている様は育ちの良さを感じさせる。
この人は、ただ座っているだけでも美しい。
私は頬杖を突いてぼんやりと見つめる。
不思議。弘臣さんが向かい側に座っている。
「なんだか、デートみたいですね」
私がそう呟くと、弘臣さんは口に含みかけたコーヒーカップをサッと戻す。そして口元を手で覆いながら密かな咳払いを零した。
「弘臣さん、大丈夫ですか?」
「君が、おかしなことを言うからだ」
そう言う弘臣さんの耳の先が、ちょっと赤くなって見える。
咳き込んだせいだろうか。
「そんなにおかしなことを言ってますか?」
「それは……そうだろう」
私とデートをすることは、そんなにおかしなことなんだ……。
チクリと胸が痛む。
何だかいたたまれなくなってきた。
「あの、クラッチバッグ、どれにするか決まりましたか?」
「そうだな……ダークブラウンの幾何学模様のものと、あと……どう言ったらいいんだ。あの、ブラックに少しだけ派手な赤が入っていたものがあっただろう?」
「ビビットカラーの差し色の、ですね」
「ああ。そのどちらかがいいのではないかと思っているのだが……決めかねている」
「そうですか」
ダークブラウンとブラックの二つならどっちかな……。
そう考えていると、弘臣さんが私を見つめる。
「君ならどちらがいいと思う?」
「えっ? 私ですか?」
「ああ」
なるほど。私がいいと思うものを、別の女性に贈るということか。
なかなか現実は残酷だ。
そう思うと少しだけ面倒くさい自分が顔を出した。
「私は……ブラックのほうが好みです」
そう答えると弘臣さんが首を傾げる。
「そうか。うーん……そうなのか……」
あ……あれぇ? 聞いておいて迷うの?
ふぅん。へー。
贈り主はダークブラウンのほうが似合う人なわけね。
決まってるのなら私になんて聞かずにそちらを買えばいいのに、どうしてわざわざ私に聞くかな……。
私の心はだんだん拗ねた気持ちへと曲がっていく。
「それなら私の意見なんか聞かずに最初から自分で決めればいいじゃない。結論が決まってることをわざわざ聞かないで!」
恐らく昨日から続くショックと憂鬱の限界だったのだと思う。
我慢ができずにイライラをぶつけてしまった。
そんな私を、弘臣さんは目を丸くして見つめていた。
あー、やってしまった。
嫉妬して卑屈になっている私を、弘臣さんに見せたくはなかったのに……。
涙が込み上げてきて、私は逃げるように席を立った。
「ごめんなさい。帰ります」
「ちょっと待て」
ドキッとした。通り過ぎざまに弘臣さんに腕を掴まれたのだ。
ひんやりとした弘臣さんの手が触れて、私の鼓動はどんどん高まっていく。
「は、離して……」
弘臣さんは掴んだ私の腕を見つめてから、続けて私の目に視線を移す。
するとギュッと弘臣さんの手に力が込もった。
涙目になる私を見て、弘臣さんの表情に憂いが浮かぶ。
いつも落ち着いている弘臣さんが珍しく動揺を示したのだ。
「何か誤解を与えたようだ」
「誤解?」
「ああ。結論は決まっていない」
「だって弘臣さん、さっき私が『ブラックのほうが好み』って言ったら納得できないような顔をしてたじゃない。贈り主の方はダークブラウンのほうが似合う人なんでしょ?」
すると弘臣さんは「あー、そうか……」と呟きながら俯いた。
「納得できないような顔、か……。すまない。贈る相手のことは関係ないんだ」
「え?」
「俺は、君がもう一方を選ぶのではないかと踏んでいたんだ。だが君の答えが逆で……違ったのか、と。何というのか……悔しい、というものだろうか」
「……は?」
「だが、そんなふうに思うのも失礼な話だ。俺は君のことを大して知りもしないのに、勝手にわかったような気になっているということだからな。……そうか、君はこちらが好みなのか。君の反応を探るのも、なかなか難しいものだ。君はまだまだ奥深いな」
私の腕を掴んだまま長々長々と呟く弘臣さんに、私は呆気にとられる。
この人は、どこに悔しさを抱いているんだ。
私のことがわからなかったのが悔しかったということ?
ただ単に私の好みを当てようとしたということ?
次第に掴まれている腕が熱を帯びる。
「弘臣さんは……私の好みがダークブラウンのほうだと思ったの?」
「ああ。だが違ったな」
こんなちょっとしたことであっという間に喜びが湧いてしまうのだから、恋心とは盲目だ。
「帰るのやめる」
「ん? ああ」
パッと離された腕に弘臣さんの感覚が残るのを感じつつ、私は席に戻った。
目を逸らしたまま、喜びを隠してツンとした顔で席に座る自分は、恐らくちっともかわいくない。
もっと素直に、もっとかわいくしてたいのに……。
「あの……合ってます」
「何の話だ?」
「クラッチバッグの話。私が好きなのはダークブラウンのほうです」
そう言うと、弘臣さんは目を見開いた。
「先ほどはブラックと言っただろう。わけのわからないやつだな」
「だって、なんか……私がいいと思うものを――……」
そこまで話して俯く。
私がいいと思うものを別の女性に贈るんだな……と思って勝手に嫉妬した、なんて言えるわけがない。
「何だ」
「……何でもありません」
「何なんだ一体。だが、俺は間違えていなかったのだな」
そう言う弘臣さんをチラリと見て、私は息を止める。
弘臣さんが小さく笑みを溢していたのだ。
何という顔をするんだろう。
普段が仏頂面なだけに、ちょっとした笑顔の破壊力が尋常ではない。
ダメだ、これは見てはいけない。
ポーッと見惚れて釘付けになって、『好きですオーラ』を全開にしてしまいそうだ。
そうなる前に念仏でも唱えて……いや、念仏はわからないからカクテル名でもひたすら挙げていようか。
すると俯く私の耳に、弘臣さんのいつになく明るい声が届く。
「なあ、君はちなみに、最初に見ていた華やかな花柄のものが一番好きだったのだろう?」
「な、なんで知って……」
「やはりそうか。うちの秘書に、君は顔に出やすいから顔をじっくり見ればいい、とアドバイスをもらったんだ」
「えっ!?」
顔を上げると、弘臣さんがニヤリと笑いながら再び私をじっと見つめている。
また私の感情を読もうとしているらしい。
あの人、余計なアドバイスをしてくれた。
今日、弘臣さんが妙に見つめてくると思ったら、好意の欠片でも何でもなく、まさか分析していただけだったなんて……。
とんだ勘違いに恥ずかしくなって俯いていると、弘臣さんがまた私の腕を取る。
今度は何? と、私はドキドキしながら弘臣さんを見つめる。
手首をグッと掴まれて私のドキドキは限界まで高まって――
「心拍数が上がっているな。不整脈はなさそうだが……」
「……へ?」
弘臣さんはそう言って私の額に触れる。
「熱はないようだが……顔が赤いぞ。大丈夫か?」
この男は本当にちっともわかっていない。
ここで出すのは医師としての才腕ではなく、男としてのスキルだ。
この人は、どんなに的確なアドバイスを受けても、基本的な恋愛偏差値は底辺なのかもしれない。
恋心どころか、私の女心にも微塵も関心がないのだろう。
私は弘臣さんの手をやんわりと払う。
「大丈夫です。もう放っておいて」
「そうか。ああそうだ。君は、何か欲しいものはないか?」
「は、はい?」
「今日の礼だ。何か贈ろう」
そんなことを言ってもらえるとは思っていなくて、気分が急上昇する。
欲しいもの。
物ではないが、今度は誰かのものを買うためではなく、私と一緒に出かけてほしい。
そう言ったら弘臣さんはどう思うだろう。
驚くか、嫌な顔をするか……。
でも弘臣さんは鈍感だから、案外「いいぞ」って言ってくれるかも……。
そんなことを考えて黙っていると、弘臣さんが思い出したように告げる。
「そうだ……勘違いするな。贈るのは、高額な物ではないぞ」
「……は?」
ちょっと待って。
別に高額な物を贈ってほしいとは思っていないし、そんなに図々しくもない。
でも、クラッチバッグを贈る相手には『金額に糸目はつけない』と言っていたくせに、私に贈るものには糸目はつけるということ?
何か物凄く癪だ。
心の中を一気に拗ねた気持ちが充満していく。
「私、やっぱり帰ります。お礼は結構です。もうクラッチバッグもおおよそ決まったし、いいでしょ。じゃあ」
「あ、おい!」
私は早足でカフェを後にした。
歩きながらもムカムカする気持ちが抑えられない。
そんなに私は図々しい女だと思われているのだろうか。
腹が立つのと泣きたいのとが入り混じった最悪な気分。
そして本当に私は弘臣さんから見ると特別な存在でも何でもないんだ。
それを突きつけられたかのような現実。
きっと心を形にできるなら、今の私の心はカルデラみたいに特大の穴が開いて凹んでいるに違いない。
単なる飲み友達。
私は弘臣さんにとってそうでしかないのだ。
「……弘臣さんなんか大っ嫌い」
私はズズッと鼻をすすりながら、トボトボと帰宅の途に就いた。




