08-01.
Untangle the knots『結び目を解く』
さあ、解いて参りましょう♪
……何だろう。ふわふわする。
「――、――?」
「――。問題ない、俺は医師だ。久我病院まで頼む」
弘臣さんの声……? 私の額に触れる冷たい感触は……弘臣さんの手?
「大丈夫だ。眠っていいぞ」
……うん……。
「――が、――お願いします」
……また弘臣さんの声だ。
そしてもう一人、知らない人の声が聞こえてくる。
「――何か――ことをしたのか?」
「俺はそばにいても――、――ほうがいいんです」
これは……夢?
視界がぼやけていて、頭に霞みがかかるかのようで、会話を理解するのが難しい。
「おや、すまないね。起こしてしまったかな。まだぼんやりとするだろう。眠っていいんだよ」
知らない人が私に話しかけている……?
弘臣さんは、どこ? どこにいるの?
「弘……臣……さん……ッ……」
そばにいてほしい。どこにも行かないで……。
必死に手を伸ばすと、私の手にひんやりとした手が触れた。
「ここにいる」
弘臣さんの大きな手、そして低くて心地よい声が聞こえてほっとする。
「そばに……いて?」
「……わかった。どこにも行かない」
弘臣さんがギュッと手を握ってくれる。嬉しい……。
安心すると、途端に瞼が重くなってきた。
「ずっと……そばに――……」
お願い……夢の中でくらい、私のそばにいて……。
「失礼しまーす。堀田さーん、お目覚めでしたらお食事を……キャッ! 失礼しましたー!」
パタパタと誰かが去っていく足音が聞こえる。
誰? 「キャッ」って……何?
ボーッとする頭を叩き起こすようにして目を開けると、視界いっぱいに見えたのは――
「うわぁっ!」
なぜ……弘臣さんの寝顔だった。
私は飛び起きると、慌ててベッドの端まで這って距離を取る。
(……っていうか何このベッド、広っ! えっ、ここどこ!?)
私は目をかっぴらいてキョロキョロと辺りを見回す。
自宅のベッド三つ分くらいの幅の広いベッド、そして応接セットのようなテーブルとソファーが置いてある広い部屋が目に映る。
豪華な部屋だけど、ベッドにナースコールがぶら下がっているから、恐らく病院だ。
「目が覚めたか……」
寝起きのぼんやりした顔でボソッと呟いた弘臣さんは、ベッドに乗って私の方へ近づいてくる。
「なっ、何!?」
「動くな」
眉間に皺を寄せた弘臣さんがちょっと怖くて、思わず「ヒッ」と悲鳴が漏れる。
だって記憶が確かなら、私は弘臣さんに振られた。
そのあとは……どうやってここに至ったのか覚えてないけど、とりあえず弘臣さんに合わせる顔がないのは確かだ。
それなのに私に近づいてくる弘臣さん。
(何!? 何よ! 何の用!?)
怯える小動物みたいに身を縮めていると――ピッ。甲高い電子音が顔のすぐそばで鳴る。
「下がったな」
「……へっ?」
「君は熱があったんだ」
「あ……そう……なんだ……」
弘臣さんが手にするのは非接触体温計。熱を測られただけだった……。
そして弘臣さんは「よし」と満足そうに後退していく。
それにしても、いまいち状況がわからない。
私が相変わらずベッドの端で縮こまっていると、弘臣さんはフイッと視線を外して溜息をついた。
「そんなに俺を拒絶したいのか」
拒絶? 拒絶したのは弘臣さんだ。私にはもう弘臣さんに甘えることなんてできないのだから、こういう余所余所しい態度になることくらい察してほしい。あっ……この人、察するの苦手だったわ……。
黙り込む私を前に、弘臣さんは再び溜息をついた。
「なるほど、話すらしたくないほど君に嫌われたのだな。だから俺が君を担当するなんて無理だと言ったんだ。やはりもう一度父に頼むか……」
顎に手を当ててブツブツ呟く弘臣さん。
この人、何を言ってるの?
「私は弘臣さんを嫌ってなんかないんだけど」
「……わけがわからないな。君は『帰れ』と言って俺を拒絶しただろう」
「えっ……それは……弘臣さんの方が先に私を拒絶したんじゃない。だって弘臣さん、できることは何もないから、私と会うのをやめるって……ッ……」
言葉にするだけで苦しくて、視界がじわりと滲む。
すると弘臣さんは顎に手を当てて考え込み、ふと私に視線を合わせる。
「……言った」
そう認められると、心の傷口に塩を塗られるかのよう。
やっぱりもう会ってくれないってことなんだ。
寂しい……苦しい……。
「私の気持ちは、そんなに簡単に変えられるものじゃない。そんなに軽くないもの……。迷惑なら……ごめんなさい……」
どうか密かに想い続けることくらいは許してほしい。
ギュッと手を握りしめて俯いていると、弘臣さんがボソッと呟く。
「君がどうしても想い続けたいと言うのなら、もう俺にできることがないのは、仕方のないことだと思うのだが……。せめて君が不倫に突っ走るのは、さすがに止めたいところなのだがな」
私は目を点にした。
不倫? えっ、まさか――
「弘臣さん、いつの間に結婚したの!?」
今度は弘臣さんが目を点にする。
「なぜ俺の話になる。俺は未婚だ」
「えっ? でも今、不倫って……」
「源臣は葉月と結婚しているだろう。しかもアイツは葉月から揺らがない。そんな相手を想い続けてどうなるっていうんだ」
「……は? 久我さん?」
またもや私は目を点にする。
どうしてここで久我さんが出てくるのだろう。
私が久我さんと不倫に突っ走る?
それって――
「まさか……私が久我さんのことを好きだと思ってる?」
「ん? 違うのか?」
何これ……誤解されてる。
私は必死に首を横に振る。
「違う! 私は今さら葉月さんから久我さんを奪おうだなんて考えない! だって二人は誰が見たって相思相愛の夫婦じゃない! それなのに奪おうだなんて……えっ? 私が不倫なんてするような女だと思ってるってこと?」
そう聞くと、弘臣さんの表情が珍しくはっきりと困惑に揺れる。
「酷い! だいたい、私が好きなのは……私が……好きなのは……ッ……」
「ま、待ってくれ……それなら誰だ? あの五十嵐とかいう後輩か? いや、だが君は、五十嵐とは付き合わないと言っていた。それなら皆川か? いや、皆川とは会ってまだ日が浅いはずだ。長く想い続けた相手であるはずがない。では俺の知らない誰かか……?」
顎に手を当てて考え込む弘臣さんを見ていると、唐突に怒りが湧く。
この人、本当に全然わかってない。
私は苛立ちをぶつけるように、そばにあった枕を弘臣さんに思い切り投げつけた。
「バカ! 私が好きなのは弘臣さんだもん!」
枕は弘臣さんの顔面に命中し、ボフッと鈍い音を立てる。
そして枕がズリ落ちた先に見えた弘臣さんは、石像みたいに固まったまま、瞬きもせずに私を見つめていた。




